高松城跡

たかまつじょうあと


香川県高松市にある、安土桃山時代から江戸時代にかけて存在した城の跡。国指定史跡
現在は一部が高松市立玉藻公園となっている。
遺構として、櫓・門・渡櫓、石垣、内堀・中堀の一部が保存されている。

海沿いに築かれ、堀には海水を引き入れられた水城で、日本三大水城のひとつ。別名玉藻城。

所在地 香川県高松市玉藻町2-1
料金 200円
時間 日の出~日の入
休園日 12/29~31
地図
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城郭


輪郭式平城

  • 本丸
城の中央にある。周りを内堀に囲まれ、木造の鞘橋で北側の二の丸と繋がっている。
面積は狭く、多聞櫓と天守があるのみだった。
東西に細長く、東端に天守があった。

  • 内堀
北側を二の丸、北東・東側を三の丸、南・西側を桜の馬場に囲まれていた堀。
二の丸の東西を通して海と繋がっていた。
現在は、本丸西側は埋め立てられ、現在は高琴電鉄琴平線が通っているが、それ以外は玉藻公園となっている。

  • 二の丸
本丸北側の郭。北側は海に面しており、残りの三方向は内堀に面している。
全域が玉藻公園となっている。

  • 三の丸
本丸北東・東側の郭。北側は海に面している。北東側にはL字型の北の丸に接し、南東側は中堀に面している。南側で桜の馬場と繋がっている。全域が玉藻公園となっている。

  • 北の丸
三の丸と、東の丸の間の郭。北側は海に面している。全域が玉藻公園となっている。
月見櫓、水手(みずのて)御門、渡櫓が現存している。

  • 中堀
三の丸、桜の馬場の外側にあった堀。現在は西側半分は埋め立てられている。

  • 東の丸
三の丸の東の郭。北側は海に面し、東・南は外堀、西は中掘に面し、北西で北の丸と繋がっていた。
現在は、ホールや博物館が建っている。艮(うしとら)櫓が現存していたが、桜の馬場の太鼓櫓跡に移築されている。

  • 桜の馬場
本丸の南・西側をL字型に囲んでいる郭。内側を内堀、外側を中堀に囲まれていた。
西の隅に大手門である旭門がある。三の丸と繋がっていた。
現在は、西側は琴電や中央通り(国道30号)となっており、東側の一部が玉藻公園となっている。

  • 西の丸
現在は高松駅等になっている。




歴史

  • 1587年(天正15年) 生駒親正が讃岐国17万6千石の大名に封ぜられ引田城に入城する。同年、引田城は手狭であったので聖通寺城に移る。
  • 1588年(天正16年) 聖通寺城でも不便を感じ、香東郡篦原庄玉藻浦に高松城の築城を開始する。
  • 1590年(天正18年) 高松城完成。
  • 1639年(寛永16年) 生駒氏4代・高俊、生駒騒動により出羽国矢島藩1万石に転封となる。
  • 1642年(寛永19年) 水戸藩初代藩主・徳川頼房の子の松平頼重が12万石で入封。城の整備に着手する。2代・頼常にも改修が引き継がれる。
  • 1644年(正保元年) 頼重、城内の飲料水確保のため水道を造り、城下の亀井・大井戸・今井戸より水を引く。
  • 1669年(寛文9年) 小倉城を模した3層5階の天守が完成。同年、頼重隠居。隠居所として城の南西に栗林公園を造築する。
  • 1671年(寛文11年)松平氏による城の大改修が始まる。
  • 1869年(明治2年)版籍奉還に伴い廃城となる。
  • 1884年(明治17年)老朽化のため天守が破却される。



月見櫓(重要文化財)、水手御門(重要文化財)、渡櫓(重要文化財


艮櫓(重要文化財


関連項目
















最終更新:2011年05月29日 14:05