平城宮跡
へいじょう(へいぜい)きゅうあと
奈良県奈良市にある史跡。
平城京の北端に置かれ、天皇の住まいである内裏即ち内廷と、儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う官衙の所謂外朝から成り、約120ヘクタールを占めていた。
周囲は5メートル程度の大垣が張り巡らされ、朱雀門を始め豪族の姓氏に因んだ12の門が設置され、役人等はそれらの門より出入りした。
東端には東院庭園がおかれ、宴等が催された。この東院庭園は今日の日本庭園の原型とされている。
歴史
- 710年(和銅3年):完成
- 794年(延暦13年):平安京遷都後放棄され、農地となっていた。
- 1852年(嘉永5年):奉行所の役人であった北浦定政が『平城宮大内裏跡坪割之図』を著し、平城京の跡地を推定。
- 1907年(明治40年):建築史家関野貞が田圃の中にある小高い芝地が大極殿(第二次)の基壇である事を発見、『平城京及大内裏考』を奈良新聞に発表した。
この研究記事がきっかけとなり、棚田嘉十郎・溝辺文四郎らが中心となり平城宮跡の保存の運動が起こった。
- 1921年(大正10年):平城宮跡の中心部分が民間の寄金によって買い取られ、国に寄付された。
- 1922年(大正11年):平城宮址として国指定史跡となった(後に特別史跡)。
- 1960年代:近鉄電車の検車庫問題と国道建設問題に対する二度の国民的保存運動が起こった。
- 現在:ほぼ本来の平城宮跡地が指定され保存されている。
復元計画
文化庁による「特別史跡平城宮跡保存整備基本構想」に基づき、遺跡の整備・建造物の復原を進めている。
既に第一次大極殿(2010年竣工)・朱雀門(1998年竣工)・宮内省地区・東院庭園地区の復原が完了している。
関連項目
最終更新:2011年08月09日 18:58