杵築城跡
きつきじょうあと
大分県杵築市にある、室町時代から江戸時代にかけて存在した城の跡。
歴史
- 1393年(明徳4年):木付頼直により築かれる。
- 戦国時代:島津氏の大軍に攻められるが、籠城の末退けた。
- 大友義統が文禄の役での失態で豊臣秀吉により幽閉され、当主木付統直は自刃し木付氏は滅びた。
- 前田玄以、杉原長房の所領となる
- 1599年(慶長4年):細川忠興の所領となり、重臣の松井康之・有吉立行を城代として置いた。
- 1608年(慶長13年):天守が落雷で焼失。以来再建されなかった。
- 1632年(寛永9年):忠興の子・忠利が熊本藩に移封となり、替わって小笠原忠知が入った。
- 正保2年:松平英親(能見氏)が豊後高田藩より3万2千石で封じられ、その後明治維新まで居を構えた。
- 山上は城山公園として整備され、一部石垣が残る。
- 昭和45年:本丸の天守台跡に、資料館として3層の模擬天守建設。
山麓居館部は、現在の杵築神社、杵築中学校一帯に位置し、神社北側に石垣が残っている。御殿跡には現在図書館と公民館が建つが、庭園の遺構が残る。また、旧城内城鼻地区に旧船形屋敷が現存し、現在は民家として利用されている。
構成
南は八坂川、北は高山川、東は守江湾と三方を囲まれた天然の要害である台山に築かれている。
連郭式の平山城で、台山は空堀により4区画に区切られていた。
当初は台山山城に主郭部が設けられたが、慶長元年(1596年)の震災と、慶長2年(1597年)の暴風雨によって天守などが損壊したため、台山北麓に居館が移され、正保2年(1645年)以降は松平氏により山上の郭群が廃止されている。
戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となった。
江戸時代には杵築藩の藩庁が置かれた。
城跡は、公園として整備され、山上の天守台跡に博物館と展望台を兼ねた模擬天守が建てられている。
遺構
昭和45年に再建。
藩主の遺品などを展示。
所在地 |
大分県杵築市大字杵築城山15-1 |
料金 |
天守 210円 |
時間 |
9:00~17:00(入館は16:30まで) |
濠
濠
石造物公園
模擬天守
関連項目
最終更新:2016年10月20日 05:22