ゴシック建築



西洋建築様式のひとつ。
12世紀のフランスを発祥とし、イギリス、北部および中部イタリア、ドイツライン川流域に渡る広範囲に広がり、16世紀まで続いた。

「ゴシック」という呼称は、15世紀から16世紀にかけて、アントニオ・フィラレーテやジョルジョ・ヴァザーリらが、ルネサンス前の中世の芸術を粗野で野蛮なものとみなすために「ドイツ風の」あるいは「ゴート風の」と呼んだことに由来し、ゴート族の建築様式というわけではない。


初期ゴシック建築

12世紀初頭に、パリ近郊のサン・ドニ修道院聖堂で東端部を改造する際、台形や多角形の平面に石造ヴォールト天井を架ける方法として、尖りアーチが発明された。

尖りアーチによって、ロマネスク建築の長方形平面上のヴォールトの問題点も解決できた。
ヴォールト天井のリブの線を壁面のシャフトの線と連続させることによって内部立面は、床面からヴォールト頂部まで明確に区分されるようになり、この区画を構成の単位として意匠の統一を図るようになった。

ロマネスクから受け継いだ、強弱交互の柱配置に六分ヴォールトを架ける。

身廊の高い天井を支えるため、側廊は二階建てとなった。
身廊部の内部立面は、大アーケード(側廊一階)、トリビューン(側廊部二階)、トリフォリアム(側廊屋根裏)、高窓層の四層構成となる。

身廊をさらに高くするためフライングバットレスが用いられた。

以上のように強弱交互の柱、六分リブヴォールト、四層構成が初期ゴシック建築の特徴である。

12世紀中期のパリを中心とする北フランスで開始され、ラン大聖堂やパリ大聖堂が代表的。


盛期ゴシック建築

初期ゴシック建築の基本が形づくられた後、13世紀初頭から、より高い空間・より細い柱・より開放的な壁面を作りたいという明確な意匠的理想を目指して急速に進展した。

その理想は北フランスのシャルトル大聖堂、ランス大聖堂を経てアミアン大聖堂でほぼ達成された。

身廊の内部立面は柱間二つ分を一単位とする強弱交互組織から、柱間一つを一単位とし、細長く、垂直性が強められた。
また、柱間一つの長方形平面に四分ヴォールトが架けられた。

ヴォールト天井のリブ断面は初期の半円に近いものから、大きく尖っていった。

身廊の高さはさらに追求され、大アーケードの柱も高くなっていった。

フライングバットレスにより建物の安定が得られることがわかったため、側廊は一階になった。
高さを追求した身廊を支えるフライングバットレスが側廊の屋根の上に多数浮かび、バットレス上には多数の小尖塔が建てられた。

身廊部の内部立面は、大アーケード(側廊一階)、トリフォリアム(側廊屋根裏)、高窓層の三層構成となる。

高窓層は拡大し、壁の中央部を繰り抜かれてできた高窓は、やがて壁面がなくなり、骨組みだけとなった。
このようにしてできたトレサリー(窓組子)にはステンドグラスがはめ込まれた。

西正面は、尖りアーチの戸口、円形のバラ窓、アーケード、トレサリー、多数の彫像で整然と飾られた。


関連項目















最終更新:2011年10月10日 15:10