田園都市

でんえんとし



1898年にイギリスのエベネザー・ハワードが提唱した新しい都市の形態。
都市と田園の両方の利点を備え、自律した職住接近型の都市。

その理想に基づき実際にレッチワースとウェルウィンの都市開発が行われた。
1920年代のドイツの集合住宅(ジードルンク)や日本の郊外開発、第2次世界大戦後のイギリスのニュータウン政策などにも大きな影響を与えた。

重工業が発展するロンドンには人口が集中し、環境悪化と貧困の拡大を招いていた。これを憂いたハワードは、アメリカ・シカゴのガーデンシティー構想から刺激を受け、「都市と農村の結婚」を目指して1898年に「明日-真の改革にいたる平和な道(To-morrow;A Peaceful Path to Real Reform)」を出版した(1902年にわずかに改訂され「明日の田園都市(Garden City of To-morrow)」と改題)。

概要


  • 都市と農村の結合
農業のための土地を永久に保有し、これを都市の物理的な広がりを制限するために利用すること。

  • 土地の公有
都市の経営主体自身が土地をすべて所有し、私有を認めず、借地の利用については制限をおこなうこと。

  • 人口規模の制限
都市の計画人口を制限すること。

  • 開発利益の社会還元
都市の成長と繁栄によって生ずる開発利益の一部をコミュニティのために留保すること。

  • 自足性
人口の大部分を維持できる産業を確保すること。

  • 自由と協力
住民は自由結合の権利を最大限に享受しうること。

ひとつの田園都市の市街地は400ha、周囲の農耕地2000ha。
市街地部分のパターンは放射・環状型
中心部に公共施設、中間に住宅・教会・学校、外周に工場・倉庫・鉄道、さらに外に大農場・貸農園・牧草地。
人口32000人で、計画人口に達したら、別の田園都市を生み出す。これらは鉄道と道路でつながり、25万人の都市集団を作る。

実際の開発

この理論は余りにも夢想的だと批判されたが、彼は現実に1903年ロンドン北郊のレッチワースに田園都市を着工し、住民を募集し、その運営を見事に軌道に乗せて見せた。
第1次世界大戦後の1920年には2つ目の田園都市ウェルウィンを作った。
その後ドイツで建築家ヘルマン・ムテジウスやブルーノ・タウトらと接触し、田園都市の構想に影響を受けた彼らによってワイマール共和国時代のドイツ各地での住宅開発計画が進められた。
ハワードは1928年没するが、レッチワースなどの成功はイギリス政府を刺激し、第2次世界大戦後の1946年にニュータウン法が制定され、政府の手で30以上のニュータウン・コミュニティが建設された。

彼の著作及びレッチワースをモデルとした都市計画が、著作出版から10年以内に北米・ヨーロッパ・ロシア・日本など世界各地に出現した。
21世紀の今日でもニュータウン建設や郊外住宅建設にあたってはハワードの理論が引用されることが多い。だが、それらの多くは田園都市の美名の下、単なるベッドタウンに終わり、職住近接の自律した都市や、住民によるコミュニティまでを実現しようとした例、実現した例は残念ながら多くない。

日本への影響

日本でも1907年(明治40年)に内務省地方局有志による『田園都市』が刊行され、ハワードの理念が紹介された。大阪では1911年に小林一三が桜井の分譲を行った。小林はハワードの著書を読んだと思われ、私鉄による住宅地経営を創始するに当たり田園都市のコンセプトやコミュニティ形成を参考にした。また、東京では渋沢栄一らが田園都市株式会社を設立し、1918年以降、洗足や田園調布の分譲を行った。


関連項目


  
 

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