金沢城跡
かなざわじょうあと
石川県金沢市にある戦国時代から江戸時代にかけて存在した城の跡。
現在は金沢城公園として整備されている。
また、
兼六園は、金沢城に付属して作られた大名庭園である。
所在地 |
石川県金沢市 |
料金 |
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓入場料 300円 |
地図 |
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現存建物
- 石川門(重要文化財)
- 三十間長屋(重要文化財)
- 鶴丸倉庫(重要文化財)
- 切手門 城内に移築
- 東照権現 城外に移築。尾崎神社に改称。
- 二の丸御殿唐門 尾山神社に移築
- 玉泉院丸太鼓塀 城外に移築
三の丸の搦手門。石川郡の方面にあることが名前の由来。
表門、櫓、櫓門、左右の太鼓塀からなる
枡形門…。
前田利家入城前からあったが、1759年(宝永9年)に焼失。
現在のものは、1788年に再建されたもの。
昭和28年から32年にかけて解体修理が行われた。
重要文化財に指定されている。
鉄砲や火薬の製造所。
現在のものは、1858年(安政5年)13代前田斉泰の代に改築されたもの。
二重二階多聞櫓、南側は入母屋、北側は切妻、鉛瓦葺。
海鼠壁の内部に小石や土塊が詰め込まれ、隠し狭間が塗り込められており、有事の際の抵抗拠点となるようになっている。
重要文化財に指定されている。
歴史
- 1546年(天文15年):空堀や柵などを備える寺院、尾山御坊が築かれ、本願寺の拠点となる。
- 1580年(天正8年):尾山御坊を佐久間盛政が攻め落とし、金沢城と改称して使用。
- 1583年(天正11年):羽柴秀吉から加増を受けた前田利家が入城。尾山城と改称。
- 1587年(天正15年):高山右近の縄張によって改修。内堀や、新丸、大手門などを整備。
- 1592年(文禄元年):利家の子、利長が改修。利長が継いだ頃再び金沢城に改称。
- 1599年(慶長4年):内惣構堀をつくる
- 1602年(慶長7年):天守が落雷により焼失。代わりに三階櫓を建造。
- 1610年(慶長15年):外惣構堀をつくる
- 1620年(元和6年):焼失
- 1631年(寛永8年):焼失
- 1632年(寛永9年):辰巳用水完成。城内に引く。
- 1759年(宝暦9年):焼失
- 1787年(天明7年):二の丸菱櫓、石川門完成。
- 1808年(文化5年):二の丸御殿全焼
- 1809年(文化6年):橋爪門、二の丸菱櫓完成
- 1858年(安政5年):三十間長屋完成
- 1871年(明治4年):兵部省(翌年陸軍省に変わる)の所有となる。
- 1875年(明治8年):陸軍第七連隊が置かれる。
- 1881年(明治14年):火災により、石川門・三十間長屋・鶴丸倉庫以外を焼失。
- 1898年(明治31年):陸軍第九師団司令部が置かれる。第二次世界大戦が終わるまで存続。
- 1949年(昭和24年):金沢大学のキャンパスとして使われる。
- 1995年(平成7年):金沢大学が転出。
- 1996年(平成8年):石川県が国から土地を取得。金沢城址公園として整備を開始。
- 2001年(平成13年):菱櫓、橋爪門、橋爪門続櫓、五十間長屋の復元完了。金沢城公園と改称。
- 2008年(平成20年):金沢城跡として国指定史跡となる。
- 2011年(平成22年):河北門、いもり堀の一部を復元。
関連項目
最終更新:2013年05月01日 23:02