松江城跡

まつえじょうあと


島根県松江市にある江戸時代に存在した城の跡。国指定史跡
現在は松江城山公園として整備されている。

遺構としては石垣・堀・天守(国宝五城の一つ)があり、櫓・門・橋が復元されている。


所在地 島根県松江市
地図


概要

宍道湖北側の湖畔にある亀田山に築かれ、南側の宍道湖と大橋川を外堀としている。

本丸を中心に据え、東に中郭、北に北出丸、西に後郭、東から南にかけ外郭、西から南にかけ二の丸が囲む。二の丸の南には一段低く三の丸が配されている。

江戸時代には松江藩の藩庁であった。
明治時代初頭に陸軍省所管となり、天守以外の建物はすべて払い下げられ撤去された。
城跡は現在、松江城山公園となっている。

遺構

天守




国宝
複合式 4重5階望楼型

  • 竣工:1607年
  • 屋根:4重
  • 階数:5階、地下1階、付櫓平屋、地下1階
  • 高さ:30m(本丸地上から)、22.4m(天守台から)
  • 外壁:下見板張り

入母屋の二重櫓の上に、入母屋の二重櫓を載せた形状。
五重にも見えるが、真ん中の部分は東西方向に軒が回っておらず、南北方向への出窓状となっているため、通常は数えずに四重とする。
この入母屋破風の出窓は、千鳥破風への移行過程を示していると考えられている。
中央部分の窓が華頭窓となっている。

1・2階平面は東西12間に南北10間ある。
2階に1階屋根を貫くかたちで開口した石落が8箇所ある。
地下の井戸は城郭建築では唯一の現存例である。
最上階は内部に取り込まれた廻縁高欄があり、雨戸を取り付けている。

復元

本丸一ノ門
南多聞の一部
廊下門
北惣門橋
二の丸南櫓と塀の一部(40メートル)
中櫓・太鼓櫓と塀の一部(87メートル)

大手門復元に向けて懸賞金を掛けて図面や古写真などの史料を探している。


歴史

築城前
  • 鎌倉時代〜戦国時代:末次城(末次の土居)が置かれた。

築城後
  • 1600年(慶長5年):関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立。月山富田城は中世山城であり近世城下町形成には不利であったので、末次城跡を近世城郭の候補とした。
  • 1607年(慶長12年):末次城のあった亀田山に築城を開始。
  • 1611年(慶長16年)冬:松江城落成。(堀尾吉晴はこの年6月に完成目前で急死している。)
  • 1633年(寛永10年):堀尾忠晴没、嗣子なく堀尾氏は3代で改易となった。
  • 1634年(寛永11年):京極忠高が若狭国小浜藩(若狭・越前敦賀郡)より出雲・隠岐両国26万石で入封。三の丸を造営。
  • 1637年(寛永14年):忠高が嗣子なく没し京極氏は一時廃絶(のちに他国で再興される)。
  • 1638年(寛永15年):信濃国松本藩より松平直政が18万6千石で入封。以後、明治維新まで続く。

近現代
  • 1871年(明治4年):廃藩置県により、廃城となる。
  • 1873年(明治6年):廃城令が公布され、天守を除く建造物は4円から5円で払い下げられすべて撤去された。天守も180円で売却されることとなったが、出雲郡の豪農の勝部本右衛門や元藩士の高木権八が同額の金を国に納めるかたちで買い戻され、保存されることとなる。
  • 1889年(明治22年):当時の島根県知事、籠手田安定によって「松江城天守閣景観維持会」が組織される。
  • 1934年(昭和9年):国指定史跡となる。
  • 1935年(昭和10年):天守が国宝保存法に基づく国宝(旧国宝。現行法の重要文化財に相当)に指定される。
  • 1950年(昭和25年) :文化財保護法の施行に伴い、天守は重要文化財に指定される。
  • 1960年(昭和35年):本丸一ノ門と南多聞の一部を復元。
  • 1994年(平成6年):三の丸と二の丸を結ぶ廊下門(千鳥橋)と二の丸下段の北惣門橋(旧眼鏡橋)を復元。
  • 2000年(平成12年):二の丸南櫓と塀(40メートル)を復元。
  • 2001年(平成13年):二の丸に中櫓・太鼓櫓と塀(87メートル)を復元。
  • 2006年(平成18年)4月6日:日本100名城…に選定される。
  • 2015年(平成27年)7月8日:天守が国宝に指定される。



関連項目












最終更新:2018年08月14日 02:30