2004年3月20日(土)
ポツポツと、軽く雨が降っている音で目を覚ます。
今日は天気が悪いのかー。最悪な目覚めだ。
(北條撮影)
なんだかんだで仲良し、うーみんがーみん。
(北條撮影)
テン場の様子。多々羅大橋から丸見え。
下が芝生でいいけど、斜めになってるからずり落ちる。
(北條撮影)
朝ご飯のスパゲティー。
道の駅の人に早くテント片付けてと言われる。
朝ご飯を食べ終わった頃から雨が降り出す。
雨の中走る気はまったくおこらない。
多々羅大橋を渡ると広島県に入ってしまうので、雨宿りをかねてここで四国土産を買うことにした。
ここのお土産やさん、試食をバンバンくれていいところだった。
今日はやけに自転車で走ってる人が多いなあと思っていたら、イベントでスタンプラリーをやってるらしい。
受付があったので、俺らも用紙と記念のバッジをもらった。
モテたくてしょうがない浅海。
モテ薬を手に入れて大喜び。
雨がやむまでそうとうゆっくりしてから出発。
最初の見どころ、島の反対にある大山祇神社へ向かう。
お昼ご飯を買うため昨日行ったAコープへ。出発したばかりだというのにもうお昼だ。
手持ちのお金がなくなったので、レジのおばちゃんに郵便局の場所を聞いて向かう。
(北條撮影)
閉まってて引きかえしてきた。
(浅海撮影)
樹齢がすごい御神木
(浅海撮影)
境内でお昼ご飯を食べた。
ここの神様は戦争の神様だそうで、武具がたくさん奉納されている。
日本の国宝級の武具の八割が収蔵されているという国宝館に入った。
刀や鎧がたくさんあってみんなかなり楽しんだ。
(北條撮影)
博物館をゆっくり見てしまったので、自転車に戻るともう日が傾きかけている。
四時半くらいに出発。再び三村峠を越えて、
多々羅大橋へ向かう。
やっと
多々羅大橋。右を見下ろせば、今朝のテン場がバッチリ見える。
(北條撮影)
傾いた太陽。
ついに
広島県に突入。きれいな夕陽。しかしここで夕陽が見れていいのか。
やっと目的地に向かって走り出したばかり。まだテン場が見える・・・
夕暮れの生口島。時間もないのでスルー。因島の造船場が見える。
(北條撮影)
生口橋を渡り、因島へ向かう。もう暗い。
因島は、八朔発祥の地、ポルノグラフィティーの出身地。
(浅海撮影)
まずは銭湯に向かう。地元の人に聞いてもあまりわかっていなかった。
すごいわかりにくいところにあった上に、すごい所だった。
建物はぼろぼろ。一番端の蛇口をひねったら、茶色い水が出てきた。こんなに多くの人(男七人)が入ったのはひさしぶりなのだろう。
洗面器は、なんと金属製。しかも分厚くて重い。
いったいいつの時代のものなんだろう。
お風呂から出ると、加奈ちゃんが風呂屋のおばあちゃんから大量のハッサクとブンタン?をもらった。
風呂を出て、閉店時間ギリギリのスーパーに駆け込む。なんとか買いだしはできた。
しかし、今日はテン場がまったく決まっていない。周辺を探すが良さそうなところはなく、
5kmほど離れた
因島運動公園に向かう。海沿いを走り、坂を登り公園に到着。真っ暗。
多目的広場という、下が芝で、トイレが隣接した素晴らしいテン場を発見。
遅くなってしまったので、いそいで夕ご飯を作る。こういう日はやっぱり麻婆豆腐。
じゅんぺーはご飯を炊いていたが、寝だしたので、途中から柘植がやっていた。
浅海の目の前にある、麻婆豆腐のとろみ粉。水で溶かないとならないが、それも柘植がやる。
柘植は膝が痛くてしゃがめないから、腰をかがめてご飯の状態を見つつ、とろみ粉を溶く。
その横でぼーっとしてる浅海。
食器洗いをしている時、永村が「なんかおかしくねえ?」と言い出す。食器を洗ってるのは三、四年。そういえば昨日もおとといもそうだったような。
しかも実は宇都は一回も食器洗いをしてないと柘植が指摘。
そのときやつらは遊んでいた。ほんとこいつらは・・・。
最終更新:2009年01月19日 01:24