神田神社(神田明神)
かんだじんじゃ(かんだみょうじん)
神田祭を行う神社として知られる。
東京十社の一つ。
武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、オオクニヌシ(だいこく様)を祀ったのに始まる。神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。
平将門の首が当社の近くに葬られ、関東地方の平氏武将の崇敬を受けた。嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が流行し、祟りであるとして供養が行われ、当社の祭神に加えられた。
江戸時代には、神田明神となのり、江戸総鎮守として尊崇された。神田祭は江戸三大祭りの一つに数えられ、山車は将軍上覧のために江戸城中に入ったので、「天下祭」と言われた。
江戸初期に豪華な桃山風社殿が、天明2年(1782年)には権現造の社殿が造営された。
明治時代に、神社が国家の管理下に入り、正式の社号が「神田神社」に改められた。
また、明治天皇の行幸にあたって、逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて祭神から外され境内摂社に遷され、代わりに少彦名命が茨城県の大洗磯前神社から勧請された。
電線の普及等により神田祭の山車の数が大幅に減少した。
関東大震災で社殿が焼失し、その後当時では珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造で権現造を模して再建された。
東京大空襲では、境内に焼夷弾が落ちたにもかかわらず本殿・拝殿などは焼失を免れた。
神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神。
歴史
- 730年(天平2年):創建
- 1309年(延慶2年):平将門が祭神に加わる。
- 江戸時代:神田明神とよばれる
- 慶長8年:神田台へ遷座
- 元和2年:現在地へ遷座
- 1782年(天明2年):権現造の社殿を造営
- 1872年(明治5年):神田神社に改められる
- 1874年(明治7年):天皇の参拝にあたり、平将門が祭神から外れ、スクナビコナが勧請される
- 1923年(大正12年):関東大震災により社殿焼失
- 1934年(昭和9年):現在の社殿を造営
- 1984年(昭和59年):平将門が祭神に復帰
建造物
隨神門
- 昭和50年
- 構造:木造(檜)
- 屋根材:銅板葺き
- 屋根形状:入母屋
御社殿
国登録有形文化財
明神男坂
関連項目
最終更新:2024年03月13日 21:09