盛岡冷麺

もりおかれいめん

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わんこそば、じゃじゃ麺と並んで、盛岡の三大麺と呼ばれる。


特徴

麺は、小麦粉、片栗粉などを用いた生地を穴から押し出して作る。
この際、麺が高温になりアルファ化するために強いコシがもたらされる。
その後の製品開発により、非押し出し製法である混練法で冷麺を製麺している製麺所も存在する。

付け合わせ(口直し)として果物が乗せられる。リンゴ、スイカ、梨など季節に合わせて変えるのが一般的である。
キムチは主に大根であり、カクテキと表す方が適切である。
殆どの店では辛みの程度を数段階(辛みなし、弱、中、強)から選べる。




歴史


  • 1954年(昭和29年)5月:朝鮮北部(現・北朝鮮)出身の青木輝人(ヤン・ヨンチョル:양용철)が、盛岡市に開業した「食道園」で「平壌冷麺」の名で出したのが最初である。
  • 1979年(昭和54年):南大橋の袂に開業した郊外型店「焼肉ガーデン ペコ&ペコ」(2001年閉店)は、テレビ・ラジオ・市内映画館などのメディア広告を使って宣伝し岩手県内に知れ渡った。単に「冷麺」と呼称していた。
  • 1986年(昭和61年)10月:盛岡で開かれた「日本めんサミット」出店した、在日2世の邊龍雄(ピョン・ヨンウン)が初めて盛岡冷麺の名称を使用。
  • 1987年(昭和62年):邊龍雄が「ぴょんぴょん舎」を創業。
  • 2000年(平成12年)4月:さぬきうどん、札幌ラーメン、長崎チャンポン、沖縄そばなどと同様に、公正取引委員会が「盛岡冷麺」の生麺に対して「特産」「名産」表示を認め、盛岡冷麺は "本場" として認定された。


青木輝人(ヤン・ヨンチョル:양용철)が子供のころに食べた咸興の冷麺を独学で再現した。
咸興の冷麺はソバ粉入りの灰色の麺であり、初期は店でもソバ粉入りの麺を出していたが、おいしそうに見えなかったため、かつて働いた東京の朝鮮料理店で出されていた白い冷麺を参考に、ソバ粉を抜いた白い麺とした。
また、咸興の冷麺はスープのない冷麺が有名だが、スープつきのものもあったといい、自身が好きだったスープつきとした。
ただし名称は、咸興より大きな街で有名という理由で「平壌(ピョンヤン)冷麺」とされた。

かみきれないほどコシの強い麺は「ゴムを食べているようだ」などと不評で、当時は辛いキムチも日本では一般的ではなかったこともあり、まったく受け入れられなかった。
しかし、コシの強い麺、キムチのトッピング、牛骨ダシ中心の濃厚なスープを変えずに守り続けた。
やがて盛岡の新しいもの好きな若者たちの間で、そのユニークさが評判になり、店には客が入る様になった。

「盛岡冷麺」という名称は、1986年(昭和61年)に盛岡で開かれた「日本めんサミット」で、在日2世の邊龍雄(ピョン・ヨンウン)が初めて使用した。
これは、運営を担当した盛岡市職員の田口善政が、盛岡式の冷麺が県外で「盛岡冷麺」と呼ばれているのを知り勧めたことによる。
「盛岡冷麺」という名称は当初、在日のコミュニティーからは反発を受けたが、これを機に徐々に「盛岡冷麺」の名が市民に浸透し始め、全国的にも盛岡の名物として知られるようになった。
邊をはじめ、青木を追って冷麺をつくり始めた店では、それぞれが独自の試行錯誤を繰り返し、盛岡冷麺の味は次第に日本人の味覚に合ったものに変化しつつある。







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最終更新:2012年03月27日 02:03