飛鳥山公園
あすかやまこうえん
#ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。
徳川吉宗が享保の改革の一環で、庶民が花見ができる場所として飛鳥山を整備。
施設
歴史
- 1720年(享保5年):徳川吉宗により、桜の苗木を植える整備が行われる。
- 1737年(元文2年):一般開放
- 1873年(明治6年):太政官布達により、上野公園、芝公園…、浅草公園、深川公園と共に日本最初の公園に指定。
- 1879年(明治12年):渋沢栄一が飛鳥山に別荘を構える。1901年から栄一が死去した1931年までは本宅として使用(実際は子息のいる三田山上の邸宅との併用である)。
- 1883年(明治16年):高崎線の開通に伴い、かわらけ投げが禁止。
- 1927年(昭和2年):東京オリンピックの会場を想定し、運動場を整備。
- 1945年(昭和20年)4月13日:空襲罹災。旧渋沢住宅の大部分を焼失。
- 1970年(昭和45年):回転式展望タワー「スカイラウンジ」(通称・飛鳥山タワー)開業
- 1993年(平成5年):スカイラウンジ廃止
- 1998年(平成10年):園内に三つの博物館が開館。
- 2009年(平成21年)7月17日:飛鳥山公園斜行モノレール(パークレール愛称アスカルゴ)運転開始。
関連項目
最終更新:2012年06月27日 14:46