堀川用水
ほりかわようすい
「堀川用水及び朝倉揚水車」として、
国指定史跡となっている。
筑後川四大用水(堀川用水、床島用水、大石長野用水、袋野用水)の一つ。
- 1663年(寛文三年):福岡藩士木村長兵衛、魚住五郎右衛門により着工。
- 1664年(寛文四年):竣工。この結果一五〇町余が開田。
- 1722年(享保七年):取水口に土砂が堆積したので、福岡藩士川崎伝次郎、麻生四郎右衛門によって取入口の移動が行われ、右岸の岩盤に長さ一一間、内法五尺四方の切貫水門が掘られる。
- 1759(宝暦九年):上座郡奉行嶋井市太夫が検分の結果、用水路拡幅、新溝を開削、取入口拡張、突堤井堰の嵩揚げが実施されることとなる。十時源助の支配下で工事を実施。この結果灌漑面積は二一八町九反歩に増加。
堀川用水は流速も早く水量も豊富な用水であったため、上流部には揚水車が設置された。
関連項目
最終更新:2012年10月23日 14:27