廃藩置県

はいはんちけん


明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がを廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革。




1868年(明治1)明治政府が旧幕府領を府・県とし、中央政府から府知事・県令が派遣され、旧大名は東京への移住が命じられた。
旧大名領は藩とし、旧大名の居所の所在地名をつけ「○○藩」が行政区分名になった。274藩あった。大名は藩主となり従来どおり支配した。
1869年までに版籍奉還が行われ藩は国のものとなり、大名は知藩事に任命され、藩を統治。
藩領と天領とは入り組んでおり、この府藩県三治制は非効率だった。

1871年、中央集権を確立して国家財政の安定をはかるため、藩を廃止して、地方統治を中央管下の府と県に一元化した。
知藩事は失職し、新に中央政府から県令(後の県知事)が派遣された。
最初は藩をそのまま県に置き換えたため、3府302県と細かく分かれていた。旧幕府・旗本領や旧中小藩を引き継いだ県では県庁所在地周辺よりも多くの飛地を遠隔地に持つものが多く地域としてのまとまりがなく、非効率的だったためその後統合され、現在の都道府県となった。


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最終更新:2013年04月13日 11:23