箭弓稲荷神社

やきゅういなりじんじゃ


埼玉県東松山市にある神社。
祭神は保食神(宇迦之御魂神・豊受比賣神)。
やきゅうさまと呼ばれる。


所在地 埼玉県東松山市箭弓町2-5-14
URL http://www.yakyu-inari.jp/
地図

  • 712年(和銅5年):創建と伝えられる。その頃は小さな祠だった。
  • 1030年(長元3年):源頼信が平忠常の討伐の際に参拝。神のお告げにより快勝したため、社殿を建造し「箭弓稲荷大明神」とたたえたと伝えられる。以来、松山城主、川越城主などの庇護を受けた。

名称

1028年(長元元年)に下総国の平忠常が謀反を企て安房・上総・下総の三カ国を制圧し、大軍をもって武蔵国に侵攻した(平忠常の乱)。
これを受けて源氏の棟梁多田満仲の子であり、甲斐国守を勤める源頼信は、忠常追討の綸旨を賜り、鎮圧に向かった。しかし、多勢に無勢、武勇の頼信も心を悩ませた。その時、頼信が布陣する松山本陣近くで古い祠を見つけた。問えば、野久原に鎮まる「野久稲荷大明神」で、本地は「十一面観世音」であるという。
これを聞いた頼信は、野久はすなわち箭弓(矢弓)の意で、武門の守護神であると、大いに奮い立ち、神前に怨敵退散の願書、太刀一振、駿馬一頭を奉納し、ついに忠常を撃退することができた。一説には、白狐に乗った神が弓矢を授けたと伝える。
この神恩に報いるため、社殿を再建した。以来、野久稲荷は、箭弓稲荷と号せられるようになった。
同形の物語としては、さかのぼること791年(延暦10年)坂上田村麻呂が箭弓稲荷より南西約4kmにある物見山の悪竜を退治する際に、老人の姿の神が矢を授けたとの言い伝えがある。







記念館











宇迦之御魂社(團十郎稲荷・穴宮)


東松山市戦没者慰霊碑


関連項目










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最終更新:2024年02月26日 23:47