熱海温泉

あたみおんせん




所在地 静岡県熱海市
地図

泉質

ナトリウム・カルシウム―塩化物・硫酸塩温泉(低張性・弱アルカリ性・高温泉)
毎分湧出量18,000L
無色透明の源泉
総源泉数500本以上
湧出温度98.2度の高温泉

海岸沿いは塩化物泉の源泉が多く、山沿いは硫酸塩泉の源泉が多い。古くは大半の源泉が硫酸塩泉であったが、ボーリングによる源泉開発を多数行った結果、海沿いの源泉は、地下の線脈に海水の混入量が増えたため泉質が変わった。

温泉街


海沿いに旅館やホテルが立ち並び、山の裾野にある駅前まで広がる。
眺望を求めて山腹にも点在している。

共同浴場は6軒
  • 熱海駅前温泉浴場
  • 清水町共同浴場
  • 水口共同浴場
  • 水口第2共同浴場
  • 山田湯
  • 竹の沢共同浴場(2005年から外来入浴不可の会員制に)


歴史

およそ1500年前の仁賢天皇の時代、海中から熱湯が噴き出し、魚が爛れ死ぬのを近郷の者が発見、以来「熱い海」であることから、熱海と名付けられたとされる。
また、天平宝字の頃に箱根権現の万巻上人が、この「熱い海」のために不漁に苦しむ漁民たちを救済すべく、祈願により源泉を海中から現在の山里に移したという伝説も残されている。

江戸時代には徳川家康が来湯し、以来徳川家御用達の名湯として名を馳せた。
家光以降に、熱海の湯を江戸城に献上させる「御汲湯」を行わせた。

明治以降は文人墨客が多く訪れ、多くの作品がこの地を舞台に描かれた。代表的なものは、尾崎紅葉の「金色夜叉」であり、一躍熱海を全国区のものにした。他に、永井荷風の「冬の日」、林芙美子の「うず潮」などがある。

昭和30年代は、新婚旅行のメッカとなった。
高度経済成長期に入ると団体旅行を誘致するようになり、その客目当てのストリップ劇場や風俗店が増えた。これによるイメージの低下や、1964年には東海道新幹線が開通したことによって、東京と近隣からは容易に遠方の観光地へと出向けるようになったことも重なり、家族連れの客離れが進んだ。
バブル経済以降は団体客が減り、休館する旅館が目立つようになり、町に寂れた印象を与え、更に客離れが進むという悪循環に陥った。
現在は温泉ブームに乗って個人客は徐々に増えつつある。


関連項目

































最終更新:2014年01月05日 21:34