まちづくり条例
背景・経緯
1960年代
旧都市計画法の時代。
当時の法律の規制は緩く、経済成長により乱開発が進行。
財源不足とともに都市基盤整備の伴わない都市開発が広がりつつあった。
1965年川崎市、1967年川西市で「開発指導要綱」制定
民間デベロッパーに対して、住民への説明義務、教育施設や道路、公園等の施設について開発者負担を求める。
1968年
新・
都市計画法の制定
ゾーニング制度、開発許可制度に大きな欠陥
ミニ開発・マンション等による無秩序なスプロールが続く。
1970年代
大都市周辺の多くの自治体で要綱を制定
大規模開発などのコントロールに一定の役割を果たす
1980年代
ワンルームリースマンション、高層マンション、パチンコ店、ラブホテル、大型店等、住民運動を背景として一定の歯止めをかけるためのさまざまな要綱が制定される。
最高裁での行政の敗訴
法的には、何ら明確な根拠のない要綱による行政というのが法治主義、法律による行政という理念に反する
規制緩和政策により国から「行き過ぎ是正通知」が出される。
緩和が進むが開発問題は収まっているわけではなく、次々と新しい問題も発生。
1980年
都市計画法・
建築基準法の改正により
地区計画制度が新設。
1981年に神戸市が、1982年に世田谷区が地区計画制度を有効に活用するための独自の手続き条例を制定。
(住民が地区のルールを行政に提案・行政は住民に対して助成や専門家の派遣により支援)
いつ起こるかわからない開発を予測して地域のルールを定めておくことはむずかしい。
8割から9割の同意を必要としているところが多いが困難。
1990年以降
田園地域の自治体で開発をコントロールする条例。
1990年湯布院町、91年掛川市、93年真鶴町、96年神戸市、99年穂高町
まちづくり条例の抱える問題
都市計画法や建築基準法に抵触する内容の条例が制定できない。
まちづくりの分野では強制力を持った条例制定はほとんど不可能となってしまうという問題。
抵触が懸念される規定に関しては、違反者に対しても氏名の公表にとどめるといった配慮を行い、条例制定に際して正面からの抵触を回避する工夫を行っているものが大部分。
1999年
地方分権一括法
市町村のまちづくりについて国や都道府県の関与が少なくなる。
2000年以降
市町村の委任条例に制度の運用を委ねる法改正が続く。
地区計画の住民提案制度、都市計画の住民提案制度、開発許可基準の条例による上乗せ、都市計画手続きの条例による付加
都市計画マスタープラン、環境基本計画、緑の基本計画等はまちづくり条例の制定を促している。
大都市近郊の自治体を中心に条例を制定する自治体が全国的に急増
地域特性にあった自治体独自のまちづくりを市民参加で行うシステムを定めることが目的
関連項目
最終更新:2008年12月10日 21:12