東海道

とうかいどう(うみつみち)



五畿七道の一つで、本州太平洋側の中部。

伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、伊豆、甲斐、
相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸の15国。

ほぼ現在の三重県、愛知県、静岡県、山梨県、神奈川県、東京都、千葉県、茨城県にあたる。

また、そこを通る幹線道路のことで、以下に記述する。

律令時代

律令時代の東海道は、東海道の諸国の国府を駅路で結ぶ物であった。七道の一つで、五畿七道の中路である。
道幅は、中世や江戸時代の物より広く、比較的真直ぐに引かれた。中世に大半が廃れたため、正確な道筋については議論が為されている。

江戸時代

江戸時代になると、東海道は五街道の一つとされ、日本の中で最も重要な街道となった。日本橋(江戸)から三条大橋(京都)に至る。
宿駅は53箇所(→東海道五十三次)。当初は、主に軍用道路として整備された。途中に箱根と新居に関所を設けた。

京都から延長して大阪に至る京街道(宿駅4箇所)も、東海道の一部とする事がある。江戸方面から大坂へ向かう場合は、大津宿から京都には入らずに伏見宿に入る道が、追分駅付近から分岐する。

明治時代

明治政府は、幹線道路の呼称に番号付きの国道を用いるようになり、東海道は国道1号に受け継がれた。

現代

土木技術の発展により、国道1号は部分的には異なる経路をとるものの、基本的には東海道を引き継いでいる。

鉄道の東海道本線も東海道に沿って建設され、後に東海道新幹線建設へと至った。

東名高速道路・名神高速道路は、東海道から離れた所に建設されてはいるが、関東と関西を結ぶ機能は律令時代から同じく重要である。

尚、東海道本線・東海道新幹線・名神高速道路の熱田~草津間は、東海道でなく美濃街道・中山道に沿ったルートで敷設されている。
これは、最初に建設された東海道本線が、大津~長浜間の琵琶湖の海路を利用して早期に東西間を結ぼうとした事に由来する。
又、新幹線・高速道路の場合は、米原が北陸道の分岐点であったため、それへの連絡を図る目的もあったとされる。
最終更新:2008年03月06日 17:16