1878年(明治11年)11月、京橋区の楓川に、アメリカ人技師スクワイヤー・ウイップルの発明した形式を元に工部省赤羽分局により製作、架橋された。
当時は橋幅は9.1m(5間)あったと記録に残る。架設経費は4058円。
付近に島田弾正屋敷があったため、弾正橋と称された。当時、馬場先門から本所や深川を結ぶ主要路であったので、文明開化のシンボル的存在の鉄橋であった。
1912年(大正2年)、市区改正事業により、北側に新しく弾正橋が架橋されたため、「元弾正橋」と改称された。
1923年(大正12年)の関東大震災後の震災復興計画によって廃橋。
1929年(昭和4年)5月、由緒を惜しんで現在地に移設。当時、橋下は八幡堀という河川であった。
1977年(昭和52年)6月27日に
重要文化財に指定される。
1989年(平成元年)には日本ではじめて米国土木学会より「土木学会栄誉賞」が贈られた。