霧島神宮
きりしまじんぐう
歴史
- 高千穂峰に対する山岳信仰から始まった神社。6世紀の欽明天皇の時代に、慶胤(けいいん)なる僧侶に命じて高千穂峰と火常峰(御鉢)の間に社殿が造られたのが始まりとされる。火山の麓にあるという立地のためたびたび炎上する。
- 10世紀:天暦年間には性空により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に遷されるが、ここもたびたび噴火の巻き添えで炎上する。
- 1484年(文明16年):島津忠昌の命により、現在地に兼慶が再建。但し、建物はその後も幾度も炎上する。
- 1715年(正徳5年):島津吉貴により現在の社殿が奉納される。
- 1871年(明治4年):廃藩置県の際に霧島山の頂上に沿って県境が引かれ、霧島山一帯の境内のうち、宮崎県側は境内から外される。
- 1882年(明治15年):さらに7810ヘクタールが削減される。
- 1946年(昭和21年):日本国憲法制定による宗教法人化で山林の大部分は日本国に譲渡。
重要文化財
本殿・幣殿・拝殿(合1棟)
登廊下
勅使殿
(以下は「附」(つけたり)指定)
門守神社 2棟
神饌所 1棟
杉
勅使殿
御座所
関連項目
最終更新:2017年01月10日 06:02