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岡山縣(公)報」(2008/09/04 (木) 15:56:10) の最新版変更点

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<p> <font size="3"> <strong>岡山縣(公)報</strong> について 08/09/02 創設 08/09/04 加筆</font><font size="3">  <br /></font><font size="3"><br />         <a href="http://racoon60.cool.ne.jp/Hunting/DataBank/">DataBank</a> 新設<br />  <strong>なに?</strong><br />   国が 『官報』 を発行するように、各県が 『県報』 を発行しています。 岡山縣の場合(大正10年前後で言えば)、大正10年3月号までが 『岡山縣報』 で(103号まで月刊)で、大正10年4月8日号からが『岡山縣公報』で週刊(金曜日発行)です。<br /></font><font color="#0000FF" size="2">  103号を単純に遡及すると、総て月刊なら8年7月分で、「大正1年9月」 が1号です、実態と法令根拠について確認する必要が残ります。<br />   『報』 から 『公報』 に切り替わった法令根拠についても調べる必要がありますが、内容からも想像できるように、道路/河川 などにおいて、國と縣の分担が確立する第二の時期にあったといえます。 (第一期は明治20年ごろ)<br /></font><font size="3"><br /><strong> どんな?</strong></font><font size="3"><br /></font><font size="3">   前者は原則・一段組み/後者は2段組み で、当時の山陽新報社の扱いです。 <font size="2">拾い活字の時代であったことは議論の余地はありませんが、活字が横向いている誤植があるのは愛嬌です。</font> 版サイズは、筆者は電子複写版にしか接していないので、見開きA4版と理解しています。 が、 往時、A版系列は一般的でありませんから、実物/純正レプリカを調べる必要は残ります。</font></p> <p><font size="3"><strong> どこで?</strong>   <br />   <strong>どこで、どんなもの</strong>を見ることができるかについては、筆者の事前調査は不充分ですが、最初の手掛かりを県立図書館で得ることが出来ます。 推測では、県記録資料館/市図書館(中央)でも事情は大差がないと考えます。<br />   県立図書館が、一般の需めに応じるものは、上記・見開きA4版電子複写物(アナログ紙媒体)です。 訊いたところでは、電子活字化/電子映像化/リスト(目次版)の映像化/DB化 などの作業はなされていません。 底本は公的保存物でなく (原本や保存用見本は焼失したと推測され)、「野崎版」=塩田王の野崎家蔵に依ると思われます。<br />   野崎版の現物(つまり、一般頒布物)の綴りがどこにあるかは追求中です。</font></p> <p><font size="3">===<br /></font><font size="3"> <strong>何がしたいの?</strong> <strong>何が判ったの?</strong>   <br />   まず、この時期(狭めて大正9~13年)の道路整備状況を確認したいのです。 ひとつは、「縣道」 の制定(認定)で、も一つは 「道路元標(大正)」 の存在位置の公示物を確認することです。(幾つかの県で、詳細なリストが告示されています)<br />   結論的には、T12~13年の記録に接していませんが、今のところ「元標リスト」 は得ていません。<span id="fck_dom_range_start_1220362661906_105"> </span></font></p> <p><font size="3">  <strong>「縣道リスト」</strong> (告示186号T9.4.1)は、『縣報』 の93号(T9年4月号)p569~で遭遇できました。 「縣道リスト」 に関しては、全国規模でHPを作成してる人がありますし、岡山縣についても、ほぼ、復元されているようですが、さらに細かい検討ができます。 <a href="http://racoon60.cool.ne.jp/Hunting/DataBank/kenhou_2.html">T9年縣道認定リスト</a> [画像版]</font></p> <p><font size="3">  <strong>「縣費負担河川港湾」</strong>のリスト(告示203号T10.4.1=縣公報1号・号外P22~)は有意義な代物です。 往時の財政負担状況が判るだけでなく、どのような河川港湾に社会的/政治的/軍事的注目がなされたかがわかります。 <a href="http://racoon60.cool.ne.jp/Hunting/DataBank/kenhou_4.html">T10年河川港湾リスト</a></font></p> <p><span id="fck_dom_range_end_1220362661906_812"><font size="3">  「往時の市町村の変遷」 については、インターネット空間に別の労作がありますが、差分表示では、各時点での切り口を見ることは困難です。<br />   『縣(公)報』 には、各年度の<strong>縣税の課税「税区等級」表</strong>が公示されています。  郡別に表示され、九等地までありますから、(格差の存在を容認してはいけませんが)、県や当事者の判断における、「都会度」 が想像されます。<br />   言うまでもなく、別の使い道 : 『大正・道路元標』 リスト(位置は不詳)に代用できそうです。</font></span></p> <p> </p> <p> </p>
<p> <font size="3"> <strong>岡山縣(公)報</strong> について 08/09/02 創設 08/09/04 加筆</font><font size="3">  <br /></font><font size="3"><br />         <a href="http://racoon60.cool.ne.jp/Hunting/DataBank/">DataBank</a> 新設<br />  <strong>なに?</strong><br />   国が 『官報』 を発行するように、各県が 『県報』 を発行しています。 岡山縣の場合(大正10年前後で言えば)、大正10年3月号までが 『岡山縣報』 で(103号まで月刊)で、大正10年4月8日号からが『岡山縣公報』で週刊(金曜日発行)です。<br /></font><font color="#0000FF" size="2">  103号を単純に遡及すると、総て月刊なら8年7月分で、「大正1年9月」 が1号です、実態と法令根拠について確認する必要が残ります。<br />   『報』 から 『公報』 に切り替わった法令根拠についても調べる必要がありますが、内容からも想像できるように、道路/河川 などにおいて、國と縣の分担が確立する第二の時期にあったといえます。 (第一期は明治20年ごろ)<br /></font><font size="3"><br /><strong> どんな?</strong></font><font size="3"><br /></font><font size="3">   前者は原則・一段組み/後者は2段組み で、当時の山陽新報社の扱いです。 <font size="2">拾い活字の時代であったことは議論の余地はありませんが、活字が横向いている誤植があるのは愛嬌です。</font> 版サイズは、筆者は電子複写版にしか接していないので、見開きA4版と理解しています。 が、 往時、A版系列は一般的でありませんから、実物/純正レプリカを調べる必要は残ります。</font></p> <p><font size="3"><strong> どこで?</strong>   <br />   <strong>どこで、どんなもの</strong>を見ることができるかについては、筆者の事前調査は不充分ですが、最初の手掛かりを県立図書館で得ることが出来ます。 推測では、県記録資料館/市図書館(中央)でも事情は大差がないと考えます。<br />   県立図書館が、一般の需めに応じるものは、上記・見開きA4版電子複写物(アナログ紙媒体)です。 訊いたところでは、電子活字化/電子映像化/リスト(目次版)の映像化/DB化 などの作業はなされていません。 底本は公的保存物でなく (原本や保存用見本は焼失したと推測され)、「野崎版」=塩田王の野崎家蔵に依ると思われます。<br />   野崎版の現物(つまり、一般頒布物)の綴りがどこにあるかは追求中です。</font></p> <p><font size="3">===<br /></font><font size="3"> <strong>何がしたいの?</strong> <strong>何が判ったの?</strong>   <br />   まず、この時期(狭めて大正9~13年)の道路整備状況を確認したいのです。 ひとつは、「縣道」 の制定(認定)で、も一つは 「道路元標(大正)」 の存在位置の公示物を確認することです。(幾つかの県で、詳細なリストが告示されています)<br />   結論的には、T12~13年の記録に接していませんが、今のところ「元標リスト」 は得ていません。<span id="fck_dom_range_start_1220362661906_105"> </span></font></p> <p><font size="3">  <strong>「縣道リスト」</strong> (告示186号T9.4.1)は、『縣報』 の93号(T9年4月号)p569~で遭遇できました。 「縣道リスト」 に関しては、全国規模でHPを作成してる人がありますし、岡山縣についても、ほぼ、復元されているようですが、さらに細かい検討ができます。 <a href="http://racoon60.cool.ne.jp/Hunting/DataBank/kenhou_2.html">T9年縣道認定リスト</a> [画像版]</font></p> <p><font size="3">  <strong>「縣費負担河川港湾」</strong>のリスト(告示203号T10.4.1=縣公報1号・号外P22~)は有意義な代物です。 往時の財政負担状況が判るだけでなく、どのような河川港湾に社会的/政治的/軍事的注目がなされたかがわかります。 <a href="http://racoon60.cool.ne.jp/Hunting/DataBank/kenhou_4.html">T10年河川港湾リスト</a></font></p> <p><span id="fck_dom_range_end_1220362661906_812"><font size="3">  「往時の市町村の変遷」 については、インターネット空間に別の労作がありますが、差分表示では、各時点での切り口を見ることは困難です。<br />   『縣(公)報』 には、各年度の<strong>縣税の課税「税区等級」表</strong>が公示されています。  郡別に表示され、九等地までありますから、(格差の存在を容認してはいけませんが)、県や当事者の判断における、「都会度」 が想像されます。<br />   言うまでもなく、別の使い道 : 『大正・道路元標』 リスト(位置は不詳)に代用できそうです。   <a href="http://racoon60.cool.ne.jp/Hunting/DataBank/kenhou_3.html">T11市町村リスト</a></font></span></p> <p> </p> <p> </p>

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