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明治初期の管轄境界標」(2008/09/17 (水) 17:09:43) の最新版変更点

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<p><font size="3"> <strong>明治初期(8~9年創建)の管轄境界標</strong>について<br />     創始 08/09/17<br /></font><font size="3"><br />   管轄境界標について、『岡山縣史料』駅逓編 の最初の数ページに以下の記載がある。<br />   1) 明治8年5月内務省丙22号の準拠して、岡山縣と他県(*)の間に7本の管轄境界標と元標が建てられた。  <font size="2">(*)香川県については(高松県+丸亀県)呼称変更があったので、明治9年1月19日付けで、下津井の境界標が作りかえられた。<br /></font>  <br /><font size="2">  <font face="MS UI Gothic">海路:下津井//陸路:船坂峠/万能乢(佐用)/杉坂峠(平福)/四十曲峠/<br /></font></font><font face="MS UI Gothic" size="2"> ?右手乢[梶並往来?]?/備後国境(上御領)//橋本町元標 <br /></font></font><font size="3">   <font color="#00FF00">標柱の具体的記載内容は、JPG画像で、HP に示す。</font><br /><br />   2) 明治9年12月、上記8本とは別の、「福浦村(対赤穂村)(#)」の境界標について流亡したので、「<strong>木製仮標柱から石製標柱に変更することが恒久的である</strong>」旨の具申(協議)が整った。 <font size="2">(#)この地域は、昭和になって、赤穂市に編入された。</font></font></p> <div> </div> <p> </p> <p> </p> <p> </p>
<p><font size="3"> <strong>明治初期(8~9年創建)の管轄境界標</strong>について<br />     創始 08/09/17<br /></font><font size="3"><br />   管轄境界標について、『岡山縣史料』駅逓編 の最初の数ページに以下の記載がある。 当事者は岡山縣令・高崎五六/内務卿・大久保利光|実務者:駅逓頭・前島密であった。<br /><br />   1) 明治8年5月内務省丙22号に準拠して、岡山縣と他県(*)の間に7本の管轄境界標と元標が建てられた。  <font size="2">(*)香川県については、明治9年1月19日付けで、(高松県+丸亀県)併合により呼称変更があったので下津井の境界標が、同日付で、作りかえられた。<br /></font>  <br /><font size="2">  <font face="MS UI Gothic">海路:下津井//陸路:船坂峠/万能乢(佐用)/杉坂峠(平福)/四十曲峠/<br /></font></font><font face="MS UI Gothic" size="2"> ?右手乢[梶並往来?]?/備後国境(上御領)//橋本町元標 <br /></font></font><font size="3">   <font color="#00FF00">標柱の具体的記載内容は、JPG画像で、HP に示す。</font><br /><br />   2) 明治9年12月、上記8本とは別の、「福浦村(対赤穂村)(#)」の境界標について流亡したので、「<strong>木製仮標柱から石製標柱に変更することが恒久的である</strong>」旨の具申(協議)が整った。 <font size="2">(#)この地域は、昭和になって、赤穂市に編入された。</font></font></p> <div> </div> <p> </p> <p> </p> <p> </p>

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