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HTMLドキュメント for ODM &italic(){試用版のテストです} By YamaY 060626版 最終書き込み 060705 <YL11地図資料から> [タイトル] 旧軍施設の地図資料を読み解く (案) [意図] 明治31年/明治42年刊行の陸地測量部地形図と昭和12年/昭和17年市販 地図(細謹舎版)を見比べて、「軍施設」とは何だったのかを読み解く。 [調査期間] 個別に記載がないものは、2006年6月中下旬である。  [素材]   ◎:収蔵済みの資料  ○:今回探索した昔の資料  □:提供を受けたもの ▼:執筆者の撮り下ろし 1) ◎明治後期地図      M31年 陸軍陸地測量部地形図 「御野村」 (1/2万) 2) ○明治後期地図      M42年(修正版) 同上 3) ◎戦前市販市街地図   S13年 『岡山市街詳細地図』 (細謹舎版  北村詮次郎/藤原音五郎監修) 4) ◎戦前市販市街地図   S17年 『岡山市街詳細地図』 (細謹舎版 監修 同上) 5) ○米国駐留軍航空写真  S23年    探索中 1)                               2) 3)                               4) 5) [このドキュメントへのコメント] 1) 岡山平野の測量は主として明治28年(1895年)に行われた。  近代的な意味の地形図としては最初のものである。 狭い意味の岡山市は、「御野村」 と 「岡山」 (いずれも縦書き横表記:「村野御」) に収まっている。 ここで示した地域は主に 「伊嶋村」 であるが、「北富」、「福居」、「新野」、「津嶋」、「榮ヶ崎」、「上伊福」 の地名が認められる。 画面下半分を斜めに横切る道は、「津山街道」 と呼んでおくが、明治○○年に設営された。 画面上四分の一を東から西に流れるのは、「座主川」 である。  条里制の坪境線に沿って流れると理解されている。 2) 地形図1)を基に修正されたものである。  このシリーズで我々が注目している旧・軍施設/関連施設が設営・建造されて、殆んど記載されている。 3) & 4) の差異、時代背景への論評や注釈は、敢えて、避けておきたい。 蛇足ながら、ODM5階のフロアーで来館者と話していると、年配者の中に、「ここまで詳しく公開してしまって問題ないの?」 と訊かれる人があります。  質問者の主旨に応えて、筆者は 「ええ、今の時代には、宜しいと思います。  現実問題、某国の情報機関では、都市部については、多分これより詳しい地図情報を得ているはずですよ。」 3) [付記] この市街図では、津山線・法界院駅から真直ぐに北へ向かう短い引込み線が描かれている。  これは、昭和9年の市街図以降で確認できるが、「兵器ショウ」 に資材を出入庫させるため建設され、敗戦時まで続いたものである。 [謝辞] 上記の地図資料の取り揃えには、ミュージアムの格別の配慮を頂いたが、山本鐘生氏には内実あるコメント・示唆を頂いた。  この記載に批判を受けるところがあるとすれば筆者の責任であるが、もし誉められる部分があるとすれば、氏の功績である。 [掲載コンテンツに付けるコメント] 検討中
HTMLドキュメント for ODM &italic(){試用版のテストです @070929 Evening} By YamaY 060626版 最終書き込み 060705 <YL11地図資料から> [タイトル] 旧軍施設の地図資料を読み解く (案) [意図] 明治31年/明治42年刊行の陸地測量部地形図と昭和12年/昭和17年市販 地図(細謹舎版)を見比べて、「軍施設」とは何だったのかを読み解く。 [調査期間] 個別に記載がないものは、2006年6月中下旬である。  [素材]   ◎:収蔵済みの資料  ○:今回探索した昔の資料  □:提供を受けたもの ▼:執筆者の撮り下ろし 1) ◎明治後期地図      M31年 陸軍陸地測量部地形図 「御野村」 (1/2万) 2) ○明治後期地図      M42年(修正版) 同上 3) ◎戦前市販市街地図   S13年 『岡山市街詳細地図』 (細謹舎版  北村詮次郎/藤原音五郎監修) 4) ◎戦前市販市街地図   S17年 『岡山市街詳細地図』 (細謹舎版 監修 同上) 5) ○米国駐留軍航空写真  S23年    探索中 1)                               2) 3)                               4) 5) [このドキュメントへのコメント] 1) 岡山平野の測量は主として明治28年(1895年)に行われた。  近代的な意味の地形図としては最初のものである。 狭い意味の岡山市は、「御野村」 と 「岡山」 (いずれも縦書き横表記:「村野御」) に収まっている。 ここで示した地域は主に 「伊嶋村」 であるが、「北富」、「福居」、「新野」、「津嶋」、「榮ヶ崎」、「上伊福」 の地名が認められる。 画面下半分を斜めに横切る道は、「津山街道」 と呼んでおくが、明治○○年に設営された。 画面上四分の一を東から西に流れるのは、「座主川」 である。  条里制の坪境線に沿って流れると理解されている。 2) 地形図1)を基に修正されたものである。  このシリーズで我々が注目している旧・軍施設/関連施設が設営・建造されて、殆んど記載されている。 3) & 4) の差異、時代背景への論評や注釈は、敢えて、避けておきたい。 蛇足ながら、ODM5階のフロアーで来館者と話していると、年配者の中に、「ここまで詳しく公開してしまって問題ないの?」 と訊かれる人があります。  質問者の主旨に応えて、筆者は 「ええ、今の時代には、宜しいと思います。  現実問題、某国の情報機関では、都市部については、多分これより詳しい地図情報を得ているはずですよ。」 3) [付記] この市街図では、津山線・法界院駅から真直ぐに北へ向かう短い引込み線が描かれている。  これは、昭和9年の市街図以降で確認できるが、「兵器ショウ」 に資材を出入庫させるため建設され、敗戦時まで続いたものである。 [謝辞] 上記の地図資料の取り揃えには、ミュージアムの格別の配慮を頂いたが、山本鐘生氏には内実あるコメント・示唆を頂いた。  この記載に批判を受けるところがあるとすれば筆者の責任であるが、もし誉められる部分があるとすれば、氏の功績である。 [掲載コンテンツに付けるコメント] 検討中

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