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2009・01記事測地学委員会が津山市で観測(発見?)した重力観測台、これらはいずれも明治後期のものです。===
09・10・14記載滋賀県栗東市の復元里程標 記事
滋賀県栗東市綣(へそ)、中仙道に沿った大宝神社境内に建つ「大宝村大字綣村元標」、いわゆる里程標であるが、ここに現在建っているのはレプリカである。隣に立派な案内板が建っているが、ここに限った事ではないがやはり'明治里程標'と'大正道路元標'の混同がある様である。 なお大宝村は1889年(明治22年)4月1日に綣(へそ)村他9村が合併して成立しており、道路元標の根拠法は大正8年の旧道路法施行令である。なお'里程標'については「桜村の元標(三重県四日市市桜町と智積町に在った元標についての一考察)」に妥当と思われる詳しい記述があり、大阪府及び各県県庁所在地に設置された'里程元標'と補助的な'里程標'があるとしている。
【以下引用、原文のまま】大宝村大字綣村元標について 元標(げんぴょう)は道路元標ともいい、道路路線の起点や終点など表示する標識であります。各市町村一つづつ置かれるもので、石材その他の耐久性材料を用いて、里程や市町村名が記載されているものです。 この元標は「大宝村大字綣村元標」と刻まれることから、道路元標と云えますが、同時に大津市元標や栗太郡役所などからの里程をも示しており、里程標を兼ねたものだといえます。官公庁としては大正15年(1926)に廃止された栗太郡役所、及び昭和29年(1954)に移転した草津警察署からの里程を示すのはもちろん、京都伏見の第十六師団司令部や、大津駐屯の歩兵第九連隊(大正14=1925年に伏見へ移転)といった陸軍官庁からの里程も明らかにしており、建立時の時代背景をよく示しています。 <読み方と意味>(正面)大津市 大津市元標と距てること、四里十八町三十■間五尺。(約17.730m)栗太郡役所と距てること、二十四町三十一間4尺。(約2.700m)草津警察著と距てること、二十九町二十五間。(約3.200m)(向って右側面)第十六師団司令部最迫より、九里八丁(町)十二間五尺(36.200m)大津第九連隊最迫より、四里三十■町十三間五尺(約19.000m)(向って左側面)東は大宝村大字野尻より、十一町六間三尺 (約1.200m)南は大宝村大字苅原より、八町四十間一尺 (約950m)西は大宝村大字北中小路より、五町二十一間三尺 (約590m)北は物部村大字二町より、四町五十八間三尺 (約540m)(裏面)大正六年二月十五日建設、寄付・西田哲太郎元標の復元 旧元標は設置されて80年余りの年月を経ているため、風化がひどく文字の判読が困難な状況であることと、交通事故により中程から半分に折れるなど破損が著しいので、平成12年(2,000年)に創意と工夫の郷づくり事業により復元したものです。 尚、旧元標は栗東歴史民族博物館に保存されています。綣行政区
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