岡山文庫・25・岡山の街道 で判ったこと 08/08/23 記載
1) 上中野の「岡山一里」について
A> 左側面には彫り込み文字がない 裏面・右面は不明
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B> 表面字体「元」に関しては 里方(津山方面)が酷似
根引(瑜伽山道)は類似
加茂|高梁資料館(松山往来) とは全く違う
画像挿入相当 と議論 ← くりっく
2) 鴨方往来境目川畔国境石について
あ> 「従是西備中」の横に「従是東備前」が双子で建っている
い> 「従是西備中」は西向きに建っている
その刻字には<備中國>が含まれ、この位置の南方の「平野」とは別系
う
> 「従是東備前」の刻字内容は現有のものと同じと推定される
ただし、久米村<分の字>が有るかどうか、元の新聞記事でも、不詳である
え > 「従是東備前」の石材・柱頭の形は現有のものと同じと推定しておく
石材肌合いが酷似している
お > 「従是西備中」の石材・柱頭の形が岡山文庫を見る限り
「(往時の)従是東備前」のそれと同じとする推定は危険である
か >
「是」の字に関して、
「従是西備中」と「(現有の)従是東備前」と類似性は低い
き > 暫定結論;-
●写真取材時点で、備前/備中の柱は別削だった?
●「備前」は既に更新されていたものではないか?
「備前」は純正で 「備中」が更新品である疑いは消さない。
<「甲南邨」が後世(M8~14)の削であるから>
○南の「平野村分」に「備中国」刻がないのは何故?
○「備中」の平野村の下に「分」が有ったのか無なかったのか?