里程標速報 08/10/03 開設 09/08/12復活
== 玉島六里 伝承 ==
下倉しもぐら にあった由 総社市史(S60) p101
=== 東城往来 09/09/05 ===
岡山十七里 On東城往来(9号線)@上鴫・蛇の穴 やや上流
井原(七日市)からの分岐 杖立県境は300mほど遠い
岡山十八里 On東城往来(9号線)@三原 個人住宅前・完品
岡山十四里 On東城往来(旧県道)@吉井沢岡 三叉路
情報変更 : 支所西方の 旧県道北折部
十五里は 当初算定より遠方:旧・落合橋の北袂??
十六里は On9号線:下鴫/山村境界辺り?? 新規算定
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== 新シリーズ 09/08/28 ==
岡山七里@玉島乙島 上成小の南南西約1km 国道429号やや南
=== 直近、1週間ほどの纏め = 09/08/12 ==
岡山十六里(新シリーズ?) On野呂街道@多和山峠09/08/22GET
野呂街道:塩坪-片岡-長尾鼻-多和山峠--落合・久世
参考 HP 巨瀬町の歴史散歩
十一里@高梁 からの分岐と考える
岡山十九里 On伯備連絡@石蟹・長屋 近くに水準点09/08/22GET
岡山六里 On旧山陽道@伊部・大西 かねて、鐘さん探求のもの
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真庭市教委での聞き取り 08/11/10 (移動しているかもしれないが現存)
「距津山元標六里」 久世町目木(目木橋の少し西) GET
「距津山元標八里」 勝山町勝山(大雲寺下か公民館) GET
以下推定であるが、「四里」・「七里」(採録済)から、「五里」は追分付近、「九里」は神代付近と考えられる。
「散在型」 里程標の情報 (文書記録を中心) について掲示
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別件:西伊部里程標柱
坂根五里が水準点#390の極く近傍/#391は香登本/
#392は大内104-8番地地先=大ヶ池のくびれの部分の西
水準点に関しては、国道2号上にあって、GS・ENEOS の西辺りか
大ヶ池くびれの部は大内分と伊部分の境。標柱はギリギリ伊部側にあって可笑しくない
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「距 金川八里」 出典:『道調査書』 大山道 p16
別稿で詳述 加茂市場北一里強 豊岡八幡・尾原一本桜中間
?「金川七里」 あるなら、66号線・加茂市場北1km程度
?「金川六里」 あれば、高谷/平岡境界:高谷口北方
?「五里」 は、真瀬良:宇甘渓キャンプ場西方1km
?「四里」 は、虎倉市場辺り、三谷橋まで行かない
?「三里」 は、紙工・久保、71号線交差点付近
ここの間が2kmしかない 陸路(!)積算 水路積算すべし?
?「二里」 は、九谷橋北500m?
?「一里」 は、箕地橋西5~600m西
「距 玉島三里」 出典:『吉備の道志るべ』 井上雄風 p169
@真備町箭田中須賀
『旧山陽道より新本往来に入ると五十米西側に立つ』 原文どおり
== 参考情報 ==
新本往来とは県道54号・倉敷美袋線なるべし。 大正九年県道に明記なし。
?「玉島四里」 あるとすれば、立坂(建坂)峠 南方
?「玉島五里」 あれば、仏ヶ峠 南 1~半キロ
「玉島六里」? 古老の記憶下倉に玉島へ六里の石柱があった 総社市史民俗
?「二里」
54号ラインにあるなら、山陽高速交差北:穂井田小近隣
09/06/16の情報では存在(出典高梁川) GET