掘り出された 渡来銭 09/01/19 創始
出典 ニュー・サイエンス社 考古学ライブラリー45
坂詰 秀一 編 『出土渡来銭』 ~中世~(1986)
早島と総社に、出土例が知られている。
矢島 恭介
『日本考古学辞典』 (1962) から引用している
詳細内容 要調査
英田町福本 11,709
枚 平安中期から室町初期の間と考えられる
[矢島恭介氏による 「第二期」
に分類される]
これは、水運の発達による流通経済の発達の結果の
経済活動蓄財と理解されている
熊註) <軍備蓄財(埋蔵金) と
経済活動蓄財があるという見方、
希には、宗教的祭祀に関わる部分がある>
英田町歴史民俗資料館 電話:英田町公民館(0868)-74-3111
!!岡山県下の記載例は少ないが、熊ぷーの私見では、
研究者あるいは行政の注目度が低い故と思われる!!
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国立博物館の古銭収蔵記録(明治/大正/戦前)より
M45 勝田郡吉野村発見の古銭76貫について 収納必要なしの裁定
T13 総社・如常寺の 古銭1点購入
T14 早島・松屋坂の 古銭1点購入
S15 林野町・三海田の 古銭収納の必要なしの裁定
熊註) 総社/早島の名が挙がるが、各1点は不可解
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『高梁川』 43号(S60=1985) に 「竹薮から古銭多数発見」
要調査
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一般論としての 銭瓶 銭壷 の研究
上記書物では、
四国:初期は 瀬戸内で備前焼 高知側で常滑焼
中期では 土師/須恵器系、丹波焼も含まれる
後期では 備前焼が多い <詳細は原典参照>
北陸/信州: 北陸では珠州焼、越前焼
信州では瀬戸/常滑焼
東北: 珠州/越前焼、 蝦夷に近いところでは須恵器