道路法の制定と改訂  08/04/13 開設 08/08/08 再認

最初の道路法制  最初の法制は1919年(大正8)4月公布、翌年施行

  法制により『大正国道』設定
  「道路元標」 はこの法に拠っていると考えられる

 道路法制以前
   
太政官達第60号 明治9年(1976):明治6年の達を改訂

  「国道」 の概念/等級を示し、県道/里道 もこれを端緒とする
  なお、明治19年(1986)太政官布達第1号で等級を廃し、番号を得た。
    これが、いわゆる『明治国道』で当初四十四号まで設定された。

  ☆備前の 「里程標(主として明治14/15年)」 はこのM19布達第1号を見据えた時期に相当する。
  ★美作の 「里程標(主として明治5/7/9年)」 はM6達/M9達第60号を予測した部分がある。
 点には注目を要す。 

 明治/大正国道の一覧  
   HP 集 : 原資料集と解説 明治国道資料 地図表示

 具体的には;-
  <明治国道の号数付けは、東京を始点ととする「一号(幹)」を設定し、行き先に応じて枝を着け、枝/幹の部分に二十二/二十四~~と命名した>
  明治国道 二十二号(鳥取)美作をかすめる 因幡街道相当 
          二十四号(島根) 出雲街道相当
          三十一号(愛媛) 金毘羅往来相当下津井経由
          三十二号(高知)岡山県下は三十一号と同一
     五十四号師団道(岡山) 東京から 十七師団まで
         
追加制定|大正9年まで継続

  大正国道 19号(島根) 現・180号相当
          22号(徳島) 四国へは いずれも高松経由
          23号(高知)
          24号(愛媛) 

 県境を跨ぐ県道の番号
 中国地方では1970年代に統一・共通化
  このため、20号まで(欠番を含む)を跨境県道に充て、21号が実質初番である。

<<重複記載>> 水準点の設定
  水準点設定の組織的な動きは、1884年(M17)から立案され、実際の基準(東京港潮位)測定が始まって、1891年(M24)に『基準標(庫)』が完成した。  [WikiPedia に拠る]

  追記> 国土地理院HPに拠ると、水準点データの蓄積は明治16年から開始され[陸地測量部が掌握して]、地形図に書き込まれる以外は、現在の意味で一般公開されることはなかった。 公開の根拠は昭和24年の測量法制定で与えられた。