悪夢のシロプルコ


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2019年の4月18〜21日に行われたF1第4戦の大事故の総称。
グランプリ期間中に3人ものドライバーが事故で命を落としている。
ドライバー以外にもマーシャルやチームクルー、観客を合わせると120人以上もの命が奪われてしまうという、史上最悪の出来事となった。

悪夢の始まり


悪夢は、19日の2日目のフリー走行から始まった。
2017年に鳴り物入りでデビューした歴代3人目のセシリア人ドライバーのケーニッヒ・ウルフがカンポーネトンネル内のダラーラカーブで激しく横転し、そのままトンネル出口の直角カーブのガードレールに激突。
コクピットから激突したため、ウルフは頸部と肋骨の骨折、左腕の複雑骨折の全治10ヶ月の瀕死の重傷を負う。
これがまさか、あの史上最悪の週末の始まりだとは誰に予想できただろう。

予選時の悪夢


高速区間の多い後半のパーマネントセッションでの事故を受け、来期(2020年)のコース改修も視野に入れて開始された20日の予選。
次々とタイムが更新されていく中で、再びカンポーネトンネルで事故が発生した。
ウルフと同じ場所で壁に接触し横転、やはり出口の直角カーブのガードレールに激突し、コースアウトし、第2のシロプルコの餌食となったのは2015年にデビューしたバートランド・ドッペンガルマー。
1991年に事故死した父の背中を追ってF1に入ってきて5年目のベテランだった。
この事故を受け、ドッペンガルマーは右手と両足の複雑骨折をし、全治8ヶ月の大怪我を負い、F1の第一線を退くことを余儀なくされた。

繰り返される惨事…ルーキーの事故死


予選第2ラウンドでもクラッシュが多発するが、どれも負傷には至らない事故だったため、あまりインパクトはない。
当時マイケル・アンダーソンの最良のチームメイトであり、最強のライバルだったルーキー、クリスチャン・ジェラルドがトップで予選第2ラウンドを驚異的な速さを以ってトップタイムで通過したことは鮮烈に覚えている。
開幕4連戦でポールポジションを獲得すれば、前代未聞のスーパールーキーが誕生するという瞬間を、あれほど待ち焦がれていたことはなかった。
しかし、あれほどまで強烈なインパクトを与えた事故は突然起こってしまったのである。
予選第3ラウンド開始直後、ジェラルドが高速第6コーナーの「ヨストー」を抜けた先でガードレールに激突し、数回横転した後に停止。
マシンの右側がはがされた状態で、操縦席の中で首をうなだれていた。
接触したときに飛び散った破片が頭部を直撃すると同時に右半身を裂かれ、即死していた。
開始からわずか3分で予選が終了してしまう。
この事故を受け、チームメイトのアンダーソンは「走りたくない」と、チームマネージャーなどに連呼していたという。
F1史上、2006年の同グランプリでのジル・フレミドール・アルバース以来忘れることの出来ない大惨事となったのは言うまでもない。

華やかであるはずの「グランプリ」が、突如として恐怖と殺戮に満ち溢れ…


前日の予選以来、サーキット内は異常な雰囲気に包み込まれていた。
決勝の4月21日は快晴。
空は恐ろしく青く澄み渡っていた。
2018年までは、誰もが興奮し、待ちきれない様子を見せていたサーキットも、この日ばかりは一転、恐ろしく静寂化し、誰もが『早く終わってもらいたい』と願っていた。
聞こえてくるのは、甲高いF1エンジンの音のみであった。

レースはいよいよ現地時間の午後1時20分、フォーメーションラップというパレード走行と共に幕を開けた。
けたたましく響くエンジン音が、誰の耳にも鎮魂歌に聞こえたのは言うまでもない。
18人のドライバーが再びあるべき場所に戻り、スタートのときを待つ。
サーキットは緊張に包まれたが、このときの緊張は全く違い
『何も起こらないでくれ』というものだった。
全員が固唾を呑んで見守る中、レースがスタート。
目立った混乱もなく、観客席には安堵の表情も伺い始めていた。
だが、事故は突如として起こる。
ことの始まりは、7周目、マイケル・アンダーソンが第4コーナーのアルガルースでガードレールに激突、宙を舞い観客席へ。
幸いにもアンダーソンのマシンの下敷きになった観客はいなかったが、このときに飛散したパーツが直撃、8人が死亡する惨事に。
アンダーソンの方は幸いにも意識があったが、激しい痛みに耐えられずに悶え苦しんでいた。
観客席に救護班が出動し、救護班と観客による救出作業という異例の事態が発生し、病院に搬送されるも、神経が切断されていて、下半身不随に陥っていた。
マイケルの事故直後、赤旗が出され、レースは中断される。
その直後、カンポーネトンネル内で再び大クラッシュが発生。
ジャック・ビクトリーとアーノルド・カラムが接触し停止。
幸いにも二人に怪我はなかったが、このときに飛散したパーツで、観客16人とマーシャル1人がパーツに当たり即死。
マシンを降りようと立ち上がったカラムにも、悲劇が襲い掛かる。
後方でバランスを崩したニコール・ロイテマンがカラムのマシンに激突し炎上、撥ね飛ばされると同時に炎に包まれる。
その後ロイテマンは自力で脱出、幸い無傷で済むが、カラムは全身強打と重度のやけどで死亡。
同時に飛散したパーツによって、またしても観客8人が死亡、トンネル内は大混乱に包まれた。
観客の避難が始まった直後、炎上したカラムのマシンが大爆発を起こし、付近にいた106人が巻き込まれ焼死。
既に避難をしていた者たちは難を逃れた。
ピットでも混乱は起こった。
マドックスのリザーブドライバーで、ジェラルドの代役として緊急参戦していたジョージ・リスターのスピードリミッターが突然暴走、自チームのガレージに激突、チームクルー3人が死亡、自身も両手の骨折と重度の脳震盪に見舞われ、病院に搬送される。
これを受け、グランプリ続行は危険とし、わずか7周で赤旗終了、史上最短のグランプリとなる。

悲劇の終焉


第4戦のシロプルコの悪夢も去るが、次戦の第5戦・エストラルGPでもやはり決勝中に死亡事故が発生し、現役,元F1レーサーたちがGPDAを結成、FIAに講義し、2006年以来のシーズン途中のレギュレーション変更を施行する。
しかし、あまりにも急激なレギュレーションの変更であり、第6戦から最低1度の重大事故が発生するなど、グランプリそのものが混乱してしまっていた。
第12戦のヤルトGPでは大雨となり、セーフティカー先導でレースがスタート。
しかし、フォーメーションラップ開始から1周もしないうちにセーフティカーが謎のタイヤバースト、クラッシュする。
レースを円滑にするために導入されたセーフティカーがクラッシュしたことにより後方は大混乱を引き起こし、全車クラッシュでリタイアする。
全13人中5人が負傷、2人が死亡し、1019年シーズンのグランプリの続行は危険と判断したFIAは、シーズン途中でグランプリを打ち切る。
F1史上異例のタイトル獲得者無しという最悪の事態に見舞われる形で、悪夢は終わりを告げた。
これを受け、F1という存在そのものが消滅してしまうのではないかという噂が飛び交うほどで、モータースポーツそのものの存続危機に見舞われたシーズンでもあった。
パフォーマンスを重視しすぎていたが故の壮絶な代償であり、
「安全性を優先せよ」と言うF1の神からの戒めだったのではないだろうか。
翌2020年からは新しい衝撃吸収素材とモノコックシャシーが開発、導入され、死亡事故はなくなった。
しかし、この年のレラントンフは、前年の大惨事を目の当たりにし、すべての国内レースの自粛年度としており、1985年の初開催以来毎年開催されてきたレラントンフGPと、1959年から毎年開催されていたヤルトGPも初めてカレンダーから姿を消す。
一部ではレラントンフGP自体が消滅するのではないかと噂されるほどで、国内はもとより全世界を揺るがせた悪夢の舞台となったレラントンフが負った精神的ダメージは決して癒えることはないだろう。
そして、悲劇はもう起こることはない。

過去における『悪夢のシロプルコ』


1985年・レラントンフGP初開催に起こったハンザ・ラゥド炎上事故

当時はオーバルコースもシケインもトンネルも存在しておらず、丘を越える超高速サーキットであったシロプルコ国際空港サーキットで、最終コーナーの「ロスマンズカーブ」で発生した大事故。
単独事故ではあったが、バランスを失い時速200km以上でガードレールに激突、爆発炎上する。
赤旗中断となり救出作業を開始するが、風の影響で炎がコクピットにまで広がってしまい、作業は難航する。
作業開始から6分後に火は消し止められるが、ラゥドは重度の全身のやけどを負い、生命が危ぶまれるが、皮膚の移植などを受け、奇跡的に生還を果たし、翌年には現場に復帰するまでに回復した。
当時のことを彼は「私のF1キャリアの中で最も戦慄を覚える事故だった」と語っている。

1994年・第4戦に開催されたレースで起こったハンザ・ラゥド事故死

前戦第3戦のアマルフィアGP・オーバランスサーキットの予選中に起こったマーク・ローランドの予選中の死亡事故の雰囲気を引きずり重苦しい中で行われたが、ラゥドのチームメイトであるマイケル・アンダーソンが母国戦ポールポジションを獲得し、観客の興奮は一気に最高潮に達した。
しかし、チームメイトだったラゥドは予選5番手に沈み、「今期の成績が振るわない場合は引退を視野に今戦を戦う」と予選後のインタビューで表明し、引退を仄めかす一面が見えた。
だが、これが彼の生涯最後のレースになるとは誰も思いもせず…
決勝22周目、ファステストタイムをたたき出しトップを快走するアンダーソンとは裏腹に、ラゥドは同年引退のドライバーであるファン・H・トルカシュライフェから執拗にプレッシャーを与えられていた。
この周の1コーナーですでにリアが流れる動作があるも、それでも何とかコース上にはとどまっていたが、遂にプレッシャーが限界を超えてしまう。
23周目、逸る気持ちが抑えられず、1コーナーを曲がっている途中でアクセルタイミングを誤りスピン、そのまま外壁に激突し激しく宙を舞う。
レースは初開催以来の赤旗中断となる。
しかし、救出班は目を反らせたくなるような凄まじい光景を目の当たりにする。
マシンは粉々に砕け散り、モノコックの右半分が完全に潰れ、シートベルトが彼の左腕を切り裂き、皮一枚でぶら下がっている状態であり、さらにはサスペンションアームが腹部を貫通、流れた血はコース上にまで広がっていた。
コース上に救急ヘリが降りてきたり、地元戦初優勝が確実だったアンダーソンがレースを放棄するという異例の事態に見舞われる。
事故から30分後、レースは再開され、結局はトルカシュライフェが優勝。
その2日後、ラゥドは失血死。
偉大なる英雄の壮絶な最期を以って『20世紀最悪の週末』は終わった。
チームメイトだったアンダーソンは「彼は僕の最高のチームメイトであり、かけがえのない友達のような存在だった」と、訃報を伝えられた翌日の記者会見で号泣しながら語った。
後にも先にも、彼のようなドライバーは二度と現れることはないだろう…

2006年・華やかに締めくくられるはずだった『本当に速いF1』最後の年に信じられない悲劇…第7戦、ジル・フレミドール・アルバース激突死

環境配慮や予算削減など、F1は決して速さだけを追求したものではなくなり、また、ターボエンジン規制の波が押し寄せる。
ターボがレギュレーションで認められる最後の年、各チームが開発予算の殆どをこれに費やし、常人では到底操ることのできない超ハイパワーエンジンが誕生。
第7戦、念願のマドックスに移籍したアルバースが3連勝で迎え、タイトル争いに拍車をかけた。
だが決勝中、信じられない形でタイトル争いは終わりを迎えた。
18周目、シロプルコ・オーバルで突如制御不能となり時速300km以上で壁に激突、そのまま即死。
パーツがコース上に飛散し、レース続行は不能、即座に赤旗終了となる。
この突然の出来事に、チーム関係者は泣き崩れてしまった。
この事故でコースの安全性が浮き彫りとなり、オーバル部分に新たにヘアピンが設けられ、事故は激減した。
ツールボックス

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