マイケル・アンダーソン

レラントンフ共和国出身の元レーシングドライバー。
10歳のとき、レーシングカートでレーサーデビュー、以後、レラントンフF3→国際F2→フォーミュラ1世界選手権へと目覚ましい早さでステップアップしたため、『天才ドライバー』の異名がある。
また、F1ではそのレーシングキャリアの長さから『F1不死身伝説』と言われることもある。
ちなみに、そのF1でのレーシングキャリアは28年間(!!)にも及ぶ。
また、地元レラントンフはもとより、全世界で熱狂的なファンが多く、セシリア国内で販売されていたPS2ソフト『The Lelantomphian Hero』シリーズの主人公キャラクターとしても大活躍した。

プロフィール


名前:マイケル・アンダーソン(Michael Evans Villa Andersson)

生年月日:1972年1月10日
性別:男(雄)
種別:オストライン(遮光眼カービィ)
出身地:レラントンフ共和国ヤルト州シロプルコリゾート市

エピソード


名前について


一般的には『マイケル・アンダーソン』で通用するが、英語圏でない国では、どうも呼び方が変わってしまうようで、少々ややこしい。
その呼び方の一覧を比較する。

英語圏:マイケル・アンダーソン
ドイツ語圏:ミハエル・アンデルソン
ガラマスカル語圏:メイシュル・アンヌッセン

レーシングキャリア


1982年:レーシングカートからレーサーデビュー(10歳)
1984年:レラントンフF3にステップアップ、LF3史上最年少デビュー(12歳)
1988年:国際F2にステップアップ(16歳)
1991年:F1世界選手権レギュラーシート獲得(ヒル・ケンヘルマッチ)、フル参戦ドライバー史上当時最年少ないしF1史上初のレラントンフ人ドライバーとしてデビュー、同年初勝利(19歳)
1992年:F1参戦(マドックス→セラム)およびインターナショナルIRLデビュー(20歳)
1993年:F1参戦(セラム)、ドライバーズランク2位(21歳)
1994年:F1参戦(セラム)およびル・マン24時間レース参戦(ベルドラン)(22歳)
1995年:F1参戦(セラム)、初ドライバーズタイトル&コンストラクターズタイトルを獲得(23歳)
1996年:F1参戦(RMロックフォート)(24歳)
1997年:F1参戦(RMロックフォート)、二度目のドライバーズタイトルとコンストラクターズタイトル獲得(25歳)
1998年:F1参戦(RMロックフォート)(26歳)
1999年:F1参戦(RMロックフォート)、最終戦で生命に関わる瀕死の重傷を負うも、ドライバーズタイトルを死守(27歳)
2002年:F1復帰(RMロックフォート)、第10戦セシリアGPでリアウィング脱落によりクラッシュ、負傷し再度休養(30歳)
2003年:F1復帰(RMロックフォート)、第11戦シュリフコスカGPでエアボーンクラッシュ、フェンスに激突、重度の脳震盪と全身強打により瀕死の重傷を負う(31歳)
2004年:第4戦の地元戦よりF1復帰(RMロックフォート)(32歳)
2005年:F1参戦(RMロックフォート)参戦(33歳)
2006年:F1参戦(RMロックフォート)およびル・マン24時間シリーズ最終戦スポット参戦(レグラント)(34歳)
2007年:F1参戦(RMロックフォート)(35歳)
2008年:F1参戦(RMロックフォート)(36歳)
2009年:F1参戦(RMロックフォート)およびWRC(第8戦・エストラル・ウェンリストベルク・ヒルクライム)スポット参戦(セラム)、ドライバーズランク3位(37歳)
2010年:F1参戦(RMロックフォート)(38歳)
2011年:F1参戦(RMロックフォート)(39歳)
2012年:F1参戦(セラム)、G.ドゥパイエとの熾烈なレースを繰り広げ、四度目のドライバーズタイトル獲得(40歳)
2013年:F1参戦(セラム)、五度目のドライバーズタイトル獲得で、F1史上最年長ドライバーズタイトル争い二連覇達成(41歳)
2014年:F1参戦(セラム)(42歳)
2015年:F1参戦(セラム)、六度目のドライバーズタイトル獲得(43歳)
2016年:F1参戦(マドックス)(44歳)
2017年:F1参戦(マドックス)、七度目のドライバーズタイトル獲得でF1史上最多戴冠ドライバーに(45歳)
2018年:F1参戦(マドックス)(46歳)
2019年:F1参戦(マドックス)、第4戦の地元戦で大事故、下半身不随でレギュラードライバー無期限休養へ(47歳)
2025年:F1の開幕前の合同テストでリハビリを兼ねたテスト走行プログラム103周を完走(バックウォード)、GP2チーム設立(オスト・アンダーソン)(53歳)
2026年:テストドライバーとしてF1参戦継続(バックウォード)、GP2チーム運営2年目で初のダブル戴冠(オスト・アンダーソン)(54歳)
2027年:F1にサードドライバーとして参戦(マドックス)、最終戦で同チームから復帰レース、2位表彰台(55歳)
2028年:F1参戦(マドックス)序盤で躓くも8度目の世界王者、数多くの最年長記録を更新しダブルタイトル獲得、引退を表明し、レースドライバー人生に幕を下ろす(56歳)
2029年:GP2チームをF1に昇格させて参戦(アンダーソン)、初年度ながら戦えることを証明するも中盤戦以降はよく知られた理由で失速も、初年度コンストラクターズタイトルを獲得(57歳)
2030年:前年型マシンを改良し、セラムとの熾烈なタイトル争いを繰り広げるも、ランキング2位(58歳)
2031年:エースドライバーのP.グルイヤールが移籍するも戦えるチームであることを証明することを誓う(59歳)

トリビア


  • 1990年の国際F2参戦中、同郷のチームメイト『セナ・クルーニー』を自分のミスで死なせてしまい、その罪滅ぼしにと、2002年に生まれた息子に『セナ・アンダーソン』と名付けた。
  • 1996年、PWF1の株式を100%買い取ったホームチームであるロックフォートがF1に復帰し、その記念として電撃移籍した彼が「もしこのチームで世界王者になれたら、その翌年の契約金はタダでも構わない」と冗談を飛ばし、その翌年の1997年にダブルタイトルを獲得すると、さらにその翌年の1998年シーズンの契約金が本当に無くなってしまい、動揺した。
  • ハイテク化の波で、様々なドライブアシスト機能が導入される中で、2008年から2015年までトラクションコントロールシステムが禁止となり、1990年代前半のような技術をドライバーは強いられていたが、彼だけはレーシングカート時代に培った独特のアクセルワークを披露した。その回数は、1秒間で8回(!!)という、殆ど痙攣しているような凄まじいアクセル開閉速度のため、『生命を持ったトラクションコントロールシステム』と某コメンテーターに呼ばれた。
  • 伝説のセシリア人ドライバー『ハンザ・ラゥド』と誕生日が同じ。
  • 1999年の最終戦でほぼ即死の大事故を起こし、3ヶ月間も心肺停止状態だったにも関わらず、意識はあり「一人で真っ暗な場所に立っていた」と、蘇生直後に発したらしいが、真偽は不明。
  • 2010年の開幕前、アマルフィアの氷河を見学中に遭難して死に掛けた
  • 2012年、チームメイトのブラン・カラムと共謀して年俸を上げるようチームオーナーに酷い悪戯をした
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