トランスバレット


セシリア島において国鉄が運営している、鉄輪式の非浮上列車に属する高速鉄道。
通称「TB」または「トラバ」
1976年の10月1日にセシリア中央駅と東ムルアカ駅間で開業し、当時世界で初となる、200km/h以上のスピードで走行する鉄道だったため『夢の超特急』と呼ばれていた。
現在は、同駅間を走行する「セシリアライン」と、セシリアシティ国際空港からカルタリス中央駅間の新整備区間(セシリアシティ国際空港駅、第三京浜前駅、北ランツァルド駅~カルタリス中央駅)を走行する「空港カルタリスライン」の2種別によって運行されている。



計画の背景


もともと1969年に、「ホバートレイン計画」として構想されていたが、1972年になり、騒音問題により計画が破産となり、新たな鉄道計画が急務となっていたが、この計画撤回からわずか3日後に打ち出された「弾丸列車計画」が発端となる。
「トランスバレット」の名の由来となったのは、この弾丸列車計画の理念であった「弾丸のようなスピードで、セシリア島の人々の足となり、各都市へ運ぶ大動脈鉄道」から来ている。
計画の開始からわずか4年の間に、試験や線路建設(セシリア中央駅~トライスター中央駅間は、ホバートレイン計画の試験路線を転用したため、工事期間が節約できたとも言われている)という、驚異的な速さで開業に持ち込んだ技術者たちの情熱こそ、この名前の本質なのかもしれない。
また、世界初となる、シールドマシンを用いてのトンネル工事が行われたことでも有名。



最高速度の推移


1976年

開業当時は、世界最速となる250km/hでの営業運行を実現。
開業当時はCT500系TB車両(2009年5月18日に全車両引退)が主力車両であり、ダイヤはセシリア中央駅~東ムルアカ駅間の各駅停車のみ(先の試験車両「CT0系」による高速度での長時間継続走行でモーターが異常過熱し、故障したことが原因による)。

1992年

1986年に、新しく東ムルアカ駅~北ランツァルド駅間が開業したことにより、より速く移動することが急務とされ、同年より開発が始まったCT600系TB(2019年8月31日に全車両引退)が、1992年7月25日に登場。
最高速度は270km/hで、CT500系よりも20km/hスピードアップが実現した。
また、CT500系で問題視されていたモーターの異常過熱も解消され、長時間の連続走行が可能となり、セシリア中央駅~東ムルアカ駅間と、ソムノ臨海中央駅~北ランツァルド駅間の急行ダイヤが新設された。
1994年には、F1グランプリのシュリフコスカGPがランツァルドリンクで初開催となり、最寄り駅である北ランツァルド駅への列車が不足する恐れが出たため、9月から11月の3ケ月間のみ、試験的にセシリア中央及びソムノ臨海中央からの特急ダイヤがCT600系での運行で設立されている。

2002年

当時の国鉄エアポートシャトルと、営団地下鉄空港線では賄いきれなくなった乗客の需要への供給を拡大するべく、2002年6月1日に空港へ乗り入れを開始したトランスバレット。
それと同時に登場したCT700系は、現在の空港カルタリスラインの前身である「ランツァルド湾岸ライン」の主力車両として、最高時速300km/hでの運転を開始。
この時点ですでに、開業当時は信じられない性能を誇っていたCT500系も時代遅れとなり、徐々に第一線から退き始め、CT600系とCT700系が主力車両となりつつある状況へと転換。
また、CT700系がセシリアラインへの乗り入れも2003年中(当時)に決定し、新たに特急ダイヤが登場、より速く島内の主要都市間を結ぶ大動脈としての役割を担うこととなった。

2014年

セシリア都での事業拡大時代から、他の主要都市への経営分散へと乗り出し、更なる経済成長が見込まれ、徐々に景気回復の兆しが見られる中、更なるスピードと居住性を求める「鉄道超高速時代」の夜明けとなった2014年。
多くのビジネスパーソンだけでなく、一般住民からも引く手あまたとなったトランスバレットは、それまでとは異なる全く新しい『スーパーシャトル』という、始発から終着駅までの途中駅をすべて通過する、画期的なビジネスダイヤを実現するべく、革新的な車両、CT800系を同年の7月6日に投入した。
このCT800系の最高速度は320km/hで、しかもそのスピードで、セシリアライン(セシリア中央駅~北ランツァルド駅)を2時間30分台、空港カルタリスライン(セシリアシティ国際空港駅~カルタリス中央駅)を3時間20分台で走破する、驚異的な高速連続走行性能を誇る。
また、特殊なダイヤであるため、平日のみに2往復するだけである。
このサブダイヤ的な位置づけの「通勤シャトル」と「通勤特急」も、それぞれCT800系が主に活躍している。

2015年

最高時速がすでに300km以上が当たり前となった高速鉄道輸送事情に、新たな衝撃を与えることになったのは、記憶に新しい。
2015年の7月13日にデビューした、CT800系の改良版である「CT800N」は、ありとあらゆる常識を覆す性能を発揮し、増設されたスーパーシャトルのダイヤの主力車両として、最高時速350km/h(中央ナーグス、カルタリス中央間)で走行を開始した。
また、CT800系を製造するにあたって開発された試験車両、CT050系がこの年にも、試験最高速度で501.45km/hを記録し、鉄輪式非浮上鉄道として世界第2位(それまでの試験最高速度第2位は、エストバニアのICE(Inter Continental Express)が記録した499.89km/h)の座に再浮上した。



バブル崩壊と共に頓挫した、幻の『北セシリアライン』


2003年、トランスバレットの3番目の路線として、北側の都市を結ぶ路線が建設され、2005年には専用の編成がテスト運行を行っていた。
セシリア中央駅を起点とし、セシリアシティ国際空港とサンライン空港とオステマハ中央駅(仮名)を経由し、カルタリス中央駅までを結ぶ『トランスバレットの半環状線計画』という、途方もない壮大な計画が存在していた。
当時は2007年までにオステマハ中央駅までの先行開業、2018年までにカルタリス中央駅までの開業と、既存2路線の相互直通運転を目指していたが、2006年に起こった高額不動産の異常売動きに起因する首都地価の大暴落によるバブル経済崩壊で、国政に計り知れないダメージを被ったことにより、国鉄の経営状況も煽りを受け赤字転落、計画自体が破産となってしまった。
一般公募による周辺施設の売り出しも検討されていたが買い手が付かず、沿線開発も中止されたかに見えたが、最終的には大手流通企業の『テジョンホールディングス』に買い取られ、名前を『北セシリア湾岸高速鉄道』と改め、専用車両であるCT4050系もわずか1年で製造,量産され、2008年の3月5日に全線開業となった。
当時は赤字路線の最有力候補であったが、最高速度260km/hというスピードで走る私鉄という話題性も助けとなり、初年度から運行利益が500億円(当時の貨幣価値による)という大成功をおさめた。
長い目で見れば国鉄が手放したのは失敗だったとさえ言われている程だが、果たして国鉄による計画が再開されていたとすればそれは疑問であったかもしれない。

本当に必要だったのか?たった2年でダイヤが大幅改正されたスーパーシャトル


2014年に新たに導入されたスーパーシャトルは、2016年末には不便さを解消するために途中主要駅に必ず停車するように変更され、ラッシュ時の2編成40両での運行も取りやめられた。
始発から終着までどの駅にも止まらないとなれば、途中通過駅に用事のある乗客を完全無視する事態となってしまい、実際にそれによる大きな苦情になってしまった事案が発生したことによるものだった。
セシリア中央や北ランツァルド、カルタリス中央へ直接アクセスするには非常に利便性が高いのだが、それ以外の主要駅となれば特急を利用しなければならず、終着から最寄り駅まで乗り換えをしなければならない、皮肉にも効率の悪いダイヤとなってしまったのだ。
始発と終着を除き、トライスター中央、ソムノ臨海中央、東ムルアカ、北ランツァルドの各駅に止まるダイヤは、特急の速達タイプの停車する駅とほぼ変わらないが、最大で10分の短縮に一役かっている。
ただ、旧ダイヤから比べれば最大で30分のロスとなる上に、新ダイヤで2編成40両での運行ともなれば既存施設を大幅に改築(主要駅を最低1050m級のプラットホームに改造)しなければならないこともあり、莫大な投資によって国鉄そのものの経営が悪化しかねない事案となる上に、このまま2編成運行を続けるとなれば後続列車の減速あるいは走行中断などにより致命的なダイヤの乱れを誘発してしまうことの要因となることから、単編成20両での運行とされた。
2017年には『スーパーシャトル』というダイヤ名自体も存続が危うくなり、一時は『最速達』と改名する案が浮上していたが、公募署名により当面はダイヤ名の存続が決定している。
ただ、逆に1日2往復、最大4本とされていたが、新ダイヤとなり17本に拡張された部分を見ると、本数に関係する不便さは解消されている。
最終更新:2018年10月28日 16:40
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