Jane,2007


6/31

つきむくさむらい小の月
(6月は30日まで)

wikiの仕様だと、最終更新をトップにできる。
……んだけど、なんかぱっと見が混沌とするから、
普通に日記にしといたほうがいいなと思った。
後は隠しページ扱いで。
なお、更新ページは右側の下っかわとかに出てる。→

Includeタグ実装で、ブログライクなこともやれるように
なってるんだけど、やらないのはページ数が恐ろしいことになる
から。……というか、それがいいなら素直に、
はてな辺りで書けばいいしなぁ。

6/28

倍速でNHKフランス語講座を聞く。これってば噂の速聴?
でもしかしフリーソフトで出来るんだから便利な世の中になったもので。当初、時間短縮が目的だったはずが、実際やってると等速より聞きやすい、というかしっかり頭に入るもんだから困る。私、『流れ』の認知が弱いんかなー。順序てるのがヘタなのもレジ計算とかでコケるのもその辺に起因するような。認知の優先順位の混乱は……いや、端は一緒なのかな?重要ポイントな気がするけどわからない。卵が先かニワトリが先か。

  • プレイリスト(一回目)
唐突に、携帯のプレイリストについて語る試み。
聞き込む曲の変動ペースがほんと少なくて、月3曲とか。今も聞いてて割と最近知った曲はもらったCDに入ってた二曲、悲しい予感とT'en va pas (とんばぱ)だけ。とりあえず現在の曲目を並べてみる。

Frower Crown
リラックス
悲しい予感
video
Wheres in Summer B?
美しく燃える森
T'en va pa
jorgy porgy

SA702iはmp3非対応な上にヘッドフォンは3000円の安物なので、作った側のひとからすればかなり不本意な環境で聞いてるんじゃなかろうか。エッジの弱いベースラインはろくに聞き取れなくなっちゃうし、分離は悪くて音像はトナーコピーみたいだし、高域はガリっと切られてるし。まぁほら、聞き手の勝手なんだけど。でもこのナローな音が好き。

  • FrowerCrown
よく飽きないなぁ。ピンでリピート再生していることもままある。よくわからないけど気持ちいいから好き。歌詞は……新居昭乃さんの曲の中では人気があるらしいけど、個人的にはそこまで思い入れはない。あのひとの詞、私としてはもうちょっとストレートなのがすきなんだと思う。この人の詞が湾曲的なのはデフォルトなんだけど、その中でもストレートなのが。

  • リラックス
ブラックビスケッツはアレンジが神がかってる。
当時はポケビ派だった気がするんだけどな……何故かアルバムを持っているのはブラビの方なのだった。確か、近所の、今は潰れた個人経営のCDレンタル屋で購入したんだったような。まだお店、あったかな。
ポケビは歌から世界観から何から、千秋さんの個性に立ってる所が大きかったけど、こちらはとにかくポップ。アレンジャーさんまで含めて、ユニットになっているという印象がある。系統的にはジャニーズとかある種のアニソンとかそっちに近い感じ。ポップでファンキーなアレンジと、とにかく分厚いコーラスワークがキモ。たぶんベースラインとか結構凄いんだと思う。よくわかんないけど。

この曲は歌詞から何からものっすごい力の抜けててなんかわらけるんだけど(いい意味で。サビの「さあブギウギ夢のワンダーランド」とか意味わからないから!)要所要所であざといくらいに凝った構成とか、ぎっちり作りこまれたアレンジと何か色々濃かったりして、その辺が面白い。ブリッジの「がんばらなくてもそのうち幸せになれそう」→「神様お願い」に至るの流れは、あんまりにあざといもんだから笑えてしまう。そこでビビアンかよ。これは聞くよ。私が神様だったら聞くよ絶対。

  • 悲しい予感
知り合いに渡されたCDに入ってた一曲。(歌の)資料用?
で、・・・・・・『月詠』のEDだったと今調べて知った。ショートだと曲の世界観の根幹だと思われる間奏部分(半音階駆け下りフレーズ)が聞けないので、勿体無いと思う。和声の先生が一転の和音の持つイメージを指して言った言葉に「(恋の終わりの)20日前」って形容があったんだけど、これはもっとギリギリのライン。その辺は歌詞まんまか。よくわかんないけど綺麗で儚くてとにかく凄い曲。技法的なアレがさっぱりわからないのが悔しい。歌については分析的な感想ばっかり出てくるので略。「あなたの辿る」が「あなたのパ・ド・ドゥ」って聞こえるのは意図的かな。どっちでも意味が通じるように思える。


  • 美しく燃える森
ヘッドフォンできくと、奥田民生さんの声の孕んだ空虚にびっくりする。一歩ひくと、粒の立った個性の強い声に感じられるのに、耳元で聞くと実体がとてもつかみ辛い。茫漠、というか。この人の歌は私が知ってるのも聞き込んだのも『美しく燃える森』一曲で、しかもこれはスカパラとのコラボレーション盤。個人のCDじゃない、っていうのもあるんだろう。ある意味ではオケが主役。仕事に徹している、というのははっきりわかる。けれど、この空虚感はそれだけじゃない。軽快なスカのリズム。熱風じみた演奏(特に暑苦しいのがキーボードだと思う)。その中で、確かな存在感があるのに、ない。いるのにいない。「ない」ということを全力で主張している歌。この曲だからこうなのか、奥田民生の歌がこうなのか、それは知らない。

最近、ほかの人の歌を聞いた時、自分の身体の方で「玉」としてシミュレートする癖がついた。この声は広い。狭い。あたまにくる、胸におなかにくる、せなかにくる。で、奥田民生さんの声は、とても広い。広いんだけど、何故か輪郭しかないんだよな。でも輪郭はしっかりあるし、存在感もある。滲んで乾いた水彩絵の具を三次元的にした感じ。面白いなぁ、と思いながら聞いているけど、そんなの置いといて好きな歌なのだった。歌詞も曲も。2002年っていつだっけ。高校生のころ?数えきれないくらい聞いている。でも、歌唱のすごさをしみじみ感じるようになったのは最近。

  • Video他
いい加減飽きないのかと思いながら聞いている。ベンフォーに夏ははまりすぎて駄目。特に1stは某所でTheLastPolkaをやってからありえないくらい聞いたので、どんだけ影響受けてるのかはあまり考えたくない。

Videoが好きになったのはここ二月くらい。ベンフォールズのピアノは動的な、そして何か物がそこにあるような、イメージを喚起させる力が強い。この曲の場合、聞いていると本当に何かが回ってるイメージが湧いてくるのが面白い。たーんざらうんど、たーんざらうんど。これ聞いてるとくるくる回りたくなる、を通り過ぎて、私の場合、たいていは聞きながら指先とか指先とかををくるくる回している。Where's in~は、ベンフォールズで最初に好きになった歌。タイトルBってなってるけどもろにベンって歌ってて面白い。駄目キラキラ感とか失踪感とかある種のノスタルジーとか、何というかとても『らしい』曲。なくなったもの、なくなっていくもの、とまらない時間。

ツェッペリンもそうだけど、洋楽で、わたしが好きになったバンドにはリズム隊がやたらと強かった。ベンフォールズなんてピアノ、ドラム、ベース。リズム隊しかいないじゃんみたいな(2nd以降はほかの楽器も入ってるけど)。……あ、「ピアノは打楽器」は基本でお願いします。

  • T'en va pas
『悲しい予感』と一緒にもらったもの。
フランス語の練習用に入れた。リエゾンの位置がいまだに覚えられない。タイトルの意味がわかるまで二月かかった。「とんばぱ とんぬそばぱ」と仮名では覚えたけど、まともに脳内で訳せない。……で、わりと好き。日本語版も貰ってるんだけど、アレンジはこっちのが好きだ。歌い方はあっちが好き、というか参考になった。あと、フランス語の発話時の圧縮率の高さは異常だと思う。

  • jorgy porgy
よくわからんが好き。
大体イングリッシュマンインニューヨークとワンセットで聞いているんだけど、最近は何故かこっちだけがプレイリストに。EMINが好きな理由はなんとなくわかるんだけど、こっちが好きな理由がさっぱりわからない。なんとなく聞き取れる歌詞の内容と、マザーグースの引用(ジョージー・ポージーはプリン男、キスしちゃ泣かせてそればかり)から見るに、(客観的に見て尻の軽い男が)振られた女性を引きとめようとしてる歌、なんだと思う。たぶん。

多いから分けようと思ったんだけど全部張ることにした
(この日記は、書き溜めて放流する方式なのだった)

6/27

入った先の喫茶店で店員に選挙勧誘すんな空気読め。
って今某政党の妙に時代のを読んだ選挙カー放送(何故か萌え
系)を小耳に挟んで先日の記憶が蘇ったので書き捨てておく。
だってその場じゃとりあえず意識から締め出さないと仕事にならな
かったんだもの。というわけで一度書いたから忘れる忘れる。
午後だけだった授業が休講になってしまったので今日はお休み。
録音したいけど、それより前にフランス語をやれという天の声が。

  • このあいだ、本屋さんに行ったら
x51.orgのひとの本が出てた。立ち読みで勢いのままに読み通してしまったけど、気に入ったので、そのうち買うと思う。突飛だったり奇形めいていたりする出来事をさらりと記述してしまう、妙に喉越しのよい文体。それらと同じように、膨大な枚数の写真たちも不思議な立ち位置を保っている。写真は、文章からこちらが勝手に垣間見る人物像から隔たりを感じない。面白いなぁ、と思った。

遺体やら謎の菌類やら、うっかりすると嫌悪感を感じそうなものすら、「よくわかんないけどそこにあるんです」。ある意味凄いことだと思う。反面、生きているものの写真がいちいち魅力的だった。対比。ありのままの姿、なのか、編者のフィルタを通した世界、なのか、それはよくわからない。アルパカでまず悶絶したんだけど(『モコモコ』連発で負けた)、パンダは章を跨いで10ショットくらい。撮りすぎ。そして、生きた人間たちの写真は逐一、生命力に溢れているて、生けるものたちは「不思議なものたち」の最中で強烈なインパクトを放っている。

そういえば、エリア51で事故った件と謎の菌類(大歳だっけ→太歳だってつっこみをげt)の話とは、リアルタイムで読んでたなぁ、と読み終えたあとで思い出した。紙で読むと印象が違うもんだから、ほぼおなじ文章だということにすぐには気づけなかった。というか、紙のほうがしっくりくる、不思議。

6/26

イタリア語の授業で映画鑑賞。
その場でiモードで調べてみたら『鉄道員』らしいと判明。
内容が上手く頭に入ってこなかったんでどっかで探して見ることに
決める。ラストシーンとか凄くいいシーンの筈が。低血糖他諸々で
それどころじゃなかった。死ぬかと。

バイト先からパン耳もらって帰れて嬉しかった。
なにごともそうだけれど、まずは訊いてみるもんだと思った。

  • 体性感覚
肩こり(というか、背中の使い方と呼吸)をなんとかしないと、歌が壁を抜けられそうにない。緊張させることも不安にさせることも表現には必要だろうけれど、『それだけ』のものなんて誰が聞きたいと思うだろう?っていう理由もあるし、歌ってる動機はそれじゃない、っていう理由いうのもある。どっちかというと、ものごとを調律できる仕事をしたい。ていうか、BAROQUEのキャッチコピーって何気に深いよね?っていうか(米光一成さんのその辺のセンスは絶妙だと思う)、なんだかんだ言ってリメイク版を買っちゃうのはバロッカーの性なのかと思ってたら2chスレ微妙に楽しそう?みたいな。話が逸れた。

先週、ストレッチをやりながら股関節硬いなぁ、開かないなぁと思ってたら、骨盤先に開かないと足の付け根がカクカク言うんだと気づいた。足首が曲がらないから屈伸ができないんだと思っていたら足をひらくかしたらちゃんと曲がった、あとお尻持ち上げるようにしたら膝をひっつけた状態でも屈伸らしいポーズは取れた。とか。その手の発見が多くて面白い。いい整体屋さんに当たったとかデパスで死ぬ目を見た(たぶん稀少な体験)とかいろんな人にいろんなことを教えてもらったとか、細かな出来事の蓄積で。

「丹田」だの「正中線」だの。この手の話をかじったら真っ先に聞くこと。それに、ちゃんと理由があったんだと、ようやっと理解できた。体をうまく運用するためには、体の中心に所在する部位(つまりは骨盤とか、そこに繋がってる筋肉とか)が、末端の動きをうまくガイドしてやる必要がある。中央管制センターみたいな的な部位がうまく機能すれば、末端の部位が無駄なく動くことができる。だから、骨盤の柔軟性が無い状態で、股関節伸ばしを漠然とやってもうまくひらかない。わかったからって即効上手く使えてるわけじゃないんだけど。脚は多少ラクになったけど肩は凝ってるし。歌は妙に力んでていいテイクにならないし。

ゆる体操の高岡秀夫さんの本を読み返してたらそのまんまな一行があった。いわく、『人間が筋肉を使う直前には必ず、リードしスタンバイさせる意識が存在するのです。ということは、ある場所に常時ある意識が存在していると、筋肉は必要なときにすぐ使える状態になるのです』。あれー。前に、読んでた筈なんだけどな。今の今までさっぱり意味がわかんなかった。

6/25

昨日、『腰で歩く』を体得した気がしたんだけど、肩~背中ががっちがちに凝ってるから骨盤動かすと肩も引っ張られてしまう。膝から先の力がまったく抜けてないのが自分でわかる。きっと客観的にはかっこ悪い。困ったなー。本当にヌルヌル脚が動く上に疲れの出方は格段に違ったから、すこしだけ前進した気がするのだけど。すこしだけ。

  • シンセミア
えーと、なんとか町サーガ?←参考(未読)
じゃなくて。

ちょっと前から、共感覚も幻覚も、絶対に理解できない派だったんだけど、こないだ諸事情で手酷い『幻聴(not空耳)』を経験してから、ひょっとしたらあるのかもしれない派に転向した。感覚器がまともでも、感覚質、は、「そこにある」世界とはまるで違うものとなるって事態は存在しうる。

って、個人的経験から断言してしまうけど、人間の感覚世界ってほんとに化学反応で形成されてるんだなぁっていうか。ああいうのって、イメージ、とか、あると思い込む、とは違うんだな。

妄想を現実と思い込む、というのと、『そこにないもの』を知覚として認識する、というのは、病理的な症状としてはまったく違うものとして定義されてるんだけど(前者は神経症とか人格障害とかの症状、後者は統合失調症の症状、というとわかりやすい)、人にとって、経験が無いことを「違う」って理解することは、きっと凄い難しい。

synesthesia、からきて、共感覚。微妙に誤解を招く訳語。
同調、的なニュアンスからきているのだろうけど、なんていうかロマンを込めすぎじゃないかと突っ込みたい。そういった、特異な(というか、一般的でない)感覚質は、基本的には個人的なもの、他者には共有しえないもの、だと思う。共有できたら素敵だな、という希望はわかる。でも、幻想というか、1億にひとつくらいしか存在しえないものなんじゃないか、と今の私は思う。カエルが空から降ってきた、的なものは、確かに救いかもしれないけど。……は?ポルダーガイスト?知らないです。

無いと断言したらダメな気もするんだけど、うっかり断言したくなってしまうのは人情。カスタネダはイカサマだし幽体離脱は所詮明晰夢だしな。経験する機会の多い人は一度ためしてみたらわかると思うんだけど、「幽体離脱」時、まわりをよく観察すると作りこみが甘い、というのがわかる。本棚の本のタイトルは読める?内容は正しい?それを口に出すことができる?

感覚されるもの、されないもの、この境界は曖昧なようでいて、実は厳然として存在すると知った。ほんとに「聞こえる」んだよ。軽くカルチャーショック受けたさ。あのときの体験については、いつか書くかもしれないし書かないかもしれない。出来れば今後は無いことを願いたい。

そういやちょっと前、具体的には大学に入る頃までは、楽音は全部音名で、つまり言語で聞こえていたんだった。今は聞こえない。音の質感とか、身体への響きかたとか、そういうのに意識が行く
ようになって、音程へのラベリングは曖昧なものになっていった。

絶対音感って、絶対ってついてるから凄そうだけど、実は結構すごいあやふや、というかアバウトな認知形態だったりする(絶対音感の絶対は、絶対・相対の絶対だから、当然っちゃ当然だけれど)。440ヘルツでも443ヘルツでもラはラ、でも443ヘルツのラは『間違って』いて、気持ちが悪い……っていうのが一般的な絶対音感。しかも平均律準拠。

経験的には、絶対音感ってのはひとつの物差しで強引にラベリングして、感覚質が現象を上書きしてしまう認知形態。原理的には言語の認識、に近いものなのかもしれない。男の声でも女の声でも子供の声でも、「こんにちは」は「こんにちは」。synesthesiaって、これに近いものが視覚に干渉してるんじゃないかなーっていう、個人的経験に基づく予測。

ここまで書いてから、最相葉月さんの『絶対音感』で似たような話が扱われていたような記憶がボロっと出てきた。あれ、センセーショナルに扱われたけど、ちゃんと読んだ人は世間にどのくらいいたんだろうか。絶対音感についての「妙な」認識はいまだに世間に横行してる気がしてならない。まぁ、別にいいんだけど。微妙~な気分になることは頻繁にある(うちの学部だと、割とまぁそんなもんかなっていうか、たいしたものではない扱いなんだけど、その辺の温度差はけっこう大きい)。

あの本のタイトルは凄い。「絶対」という、語感の強い言葉。その実、神秘的なものとも凄いものとも扱わず、シビアに冷静に、それでも人間の感覚と認知についてセンス・オブ・ワンダー的にかつ理解しやすく書く。結果、語感の「なんか凄そう」な印象が、どこか宙に浮いたようになってしまう、そのギャップ。でも、実際に凄いのは、人間に備わっている感覚と認知のシステムそのものだ、っていう……いい本だと思ったんだけどな(読んだ当時の話、たしか高校時代)。なんか当時の扱いはタイトルの面白さを凄い勢いでスポイルしてたと思う。

最後になんでこれ書いたのかっていうと、
共感覚についてのこのくらいの話、
どっかで誰かが同じこと言ってるんだろうな、と。

  • センス
実用性的には間違ってない選択だったと信じている。
信じているけれど、微妙に後悔している。

この部屋にNECのビネスノートはまずかったかも。知り合いに「うん、ひろこの巣だね」と評された昨年の秋ごろよりも殺風景になってる。あの頃より間違いなくきちんと管理できているのに。5月終わりの携帯電話の機種変更で、深い青色のSA702iのモデルを選択したあたりが迷走の出発点。お店に向かった時点では、前持ってたのも黒だったので(確かNだかSだか)今回は可愛らしい色にしよう、と決めていたのだ。にも関わらず、店頭で「この色しか残ってませんね」と言われて、実物を見た瞬間これにしよう、と決めてしまった。写真を見た直後はえらくチープだと感じた筈なのに、今や、というかエレピの上で充電している現在も、手に取った途端に黒と金属質な青とのコントラストに陶然としてしまう。おかしいなぁ。惚れこみすぎだ。

  • 設定おわった
録音もできるし画像もさわれるし印刷もできるし。ああ安心。
CPUがありえないくらいサクサク動く。ちょっと感動している。
そんな現在のデスクトップ。

スタートボタンは使いまわし、英文フォントの文字化け激しい,
おざなり感溢れてるけど今はこれでいいや、みたいな。使うソフト少ないし。

互換シェルだけど、GeoShell、わりとお勧め。
何って設定が楽。機能少ない。インストール一発で使える。
CalmYourDesktop!のコピーはダテじゃない。
元々、PCのダイエットと見た目の為に導入したのだけれど、結局の所エクスプローラはたまに使うし、BBLeanとかより軽いのか、とかなると、試してないからよくわからない。でも、わりと使いやすい、と思う。問題は日本語の解説サイトがえらく古いことくらい。

なんとなくノリで作ってみた、ユルいGeoShellメモ。
別にレジストリを弄るっていってもそんな根幹部分を弄るわけじゃなくて、シェルの細かい設定を直接設定するってだけなので、細かく触りたい人は適当に試行錯誤すればいいと思う。ってなおざりな勧め方だけど、気に入っている。

6/23

1.一度に全部やろうとするから手に負えなくなる。
2.リラックスできてからがスタートラインである。
3.股関節は先に骨盤が開かないと開かないし閉じないと閉じない。

おぼえた。

6/22

ななななななな長かった!!

何があったのかっていうと、
先代のパソさんが壊れた。

据え置きタイプのVAIO。5年弱お世話になった恩人。最後は起動すらしなかった。何を間違ったのかシリアルを認識しなくて、リカバリツールも使えない。2週間か3週間、諦めきれなかったのと、次の人が決まらなかったのとで、しばらくは無理やりセーフモードで使っていた。

メモリとCPUの非力さに不便を感じ始めていた所ではあったので、夏休み辺りで買い換えようと考えてはいた。外付けのHDDにデータ引っ越して、これで安心、と思った直後の出来事だった。お陰で、中身は無事なのだけれど、いかんせん音楽はきけないしネットにはつなげないし何より製作できないし。仕方ないから紙媒体スキャン読むのと、エディタ打つのにだけ使ってたんだけど、最初の一週間は死ぬかと思った。PC中毒って怖いなぁ。

『なるたる』を30回は読み返したと思う。最初は不透明な嫌悪感しか沸かなかった「あの」ラストに愛着が出てきちゃったじゃん。ヴァンデミエールの翼にまで手が出そう。どこで読めるんだろう。

旧PCさんのほうは、そのままゴミに出すのも忍びなかったので、解体した。お弔いっていうか、死後解剖? 一度やってみたかったのでまるっと。パーツは一通り取って小さい箱にHDDだけは別に捨てたほうがいいと判断して、先日、フレームと一緒に家庭用ゴミに出した。融解処理(※京都のゴミは全焼却)。一応、一通りの中身は消してはある。一応だけど。

こちとら十年来カンだけでPCを扱ってきた身。解剖したところで構造がわかるわけでは、ない。でも、一度中身が見てみたかった。フレームの解体でけっこう手間取った(そりゃTYPE-VWだし)。わかったのはチューナーカードとマザーボードと電源ユニットとビデオカードくらい。RAMはなんとなくわかった気がしたけど、曖昧。あと、さすが天下のソニーだった。液晶は新しい子よりもいい奴だった気がする。液晶とビデオカードだけ換装とか無理かなー……サイズは同じっぽいんだけど。また壊したらシャレにならないから当分は試さない。

前回の「弄りすぎと電源入れっぱの負荷のせいで再インスコすらできない状態になった」教訓から、今回の人はNECのBTOモデルさんなのだった。流行のC2D搭載。早い早い。最初はDELLでいいと思ってたんだけど、どうも大学に置いてあるヤツのキーボードの感触が心もとなかったのと(色が白、ってのは魅力的だったけど)今回は5年よりは長くお世話になりたかったので、あれこれ迷ってこれに。XP対応で値段がそこそこの自由構成モデルを扱ってるメーカーってのがNECくらいしか無かった。どこもかしこもvistaなんだもんさ。いらないのに。で、今回はノート。ライブで使えるから。……今年いっぱいはライブしないと決めたにも関わらずこの選択なんだから鬼が笑う。しかし、A4ノートは意外と大きかった。持ち運べるのか。

で、VDSLモデムを初期化してようやっと繋がる状態になったので、とりあえずシェルの入れ替えやら軽量化やら何からスタートしたいと思う所存。いや、今の1GBメモリがあれば普通に動かすには困らない気もするんだけど。まぁいいや、やってみたかったから。
あー…ひょっとして今回の人ならRegSeeker試しても平気かしら。冒険心しか沸いてこない辺りでもう駄目な気がしている。二の轍を避ける気があるのかどうか。

あと何事もそうだけど、
壊すよりも維持するほうが大変だな、と思った。
直すのはもっと大変。

日記ログ
最終更新:2007年07月02日 05:27