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June,2009


06/24


ああ、そういえば上京区に引っ越したのです。
いきなり何なんだって感じだけど。

OSTER projectさんの「つきうさぎ」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7196883

大体一月前に録った奴。
絵師のゆきさん(この動画のかたです)と、
今の歌い方だったらどうなるんだろうってお話になって、
師匠に時期を前後して戦力外通告食らって落ち込んで足りない頭で考えて、
一回、下の文章書いて、始終唸っていて、引越したらいつ録音できるか
わかんないし!って事で、前日(準備ギリギリなのに)に録って、
……というか、この一週間は「これ録らなきゃ」と「引越しおわらさなきゃ」
の二つで生き延びた気がする。その後もぞろぞろと
いろいろあったんだけど、まぁまた別の話。

ひとしきり終わった後に風邪ひいてぶっ倒れたんだけど(豚フル?)
ここまでのカオスを乗り越えられたのはなんだかんだ、
周りの人たちのお陰だったと思います。
ケツ叩かれたり励まされたり。勇気付けられたり。
夜中にラリって電話したり。ごめん。ほんとごめん。

5月初頭から凄い二月だった。統括にはまだ早い気もする。
乗り越えたんだろうか、と聞き返しながら思う。
そして吹きすぎ。何回聴いても吹きすぎ。

06/24


拍手レス(5/26)
↑というわけで、はい。
お返事になってるのかな。ありがとうございました。

May,2009

05/26

(1)

模倣子って言葉がある。ミーム。
水、を連想する。循環するもの。呼吸されるもの。

何らかの表現作品を見ると、これを作った人は何を見て、何を聞いて、
こういう物に行き着いたのかな、この作品はどんな系譜の上にあるのかな
って探ろうとしてしまう困った癖がある。例えば気に入った作者がいれば、
CDなら取り敢えず年代順に盤って反芻して、並行して調べ物をする、
本(読む速度にだけは困らない)なら、文庫で刊行順に走り読みして、
後書きを読んであれこれ調べて、そして。ここ一年くらい、こう穿った
やり方はめっきりやらなくなっていたんだけど、物の見方はあまり
変わっていない。「似た匂いのするもの」を連想ゲーム的に追いかけて、
作品を掠って、作ったひとのことを調べて、同時代性、思想の繋がり、
伝承される表現形式、そんなものに気付いては安心する。

誰かが語れば物語になる。
語られなくても、吐く息吸う息で、繋がっている。
そのことに安心する。

夜通し、こう、仕方のないこと考えてたら、外はもう明るかった。
な、何の役に立つんだ時間ないのに!何なの馬鹿なの?!
でも、私は書かないと、自分が言語的に思考したこと認識を綺麗さっぱり
忘れてしまう人間なので、一応残しておくことにする。

(2)

暗黒の一ヶ月。
尊敬するボーカリストさんの訃報にショック受けて、
思うところあって曲を作り始めて、お腹がすかなくなって、
一月で7キロ痩せた、って経験がある。去年の3月くらい。
完成度は散々だった上に、その後一年で体重は綺麗に戻ってしまった。
たぶん、原因は体力不足。創作的な意味で。

ごくごくちっちゃい頃と初めてマイナートランキライザーを呑んだ
時を除外すると、ナチュラルに幻覚を見たのはあれが初めてだった。
幻覚っていうか、現実が溶けるような悪い夢を見た経験、というか。
劇的な経験だった!というより、そこまでどっぷり音楽に入っていた、
って意味ではとっても希有な体験だったと思う。私としては。

知人が死んだ体験って意味では、別に初めてじゃなかった。
そりゃそうだ。20年は生きてきていたわけだし。
でも、あの一月を経るまで、私は半ば、自分を死んだ世界の側の人間だと
錯覚していたと思う。説明しにくいけれど。自分は生きてるんだ、と、
そう実感した。お別れなんて全部一緒、近いか遠いかだけ、そう思っていた
時にはわからなかった、胸に穴が空いたような虚無感を、何故か、
そのときはじめて知った。はじめて人の死に泣いた。
泣こうとしたんじゃなくて、泣いた。

それまで、私の前を永遠に立ち去った人たちを悼む分まで。
死が絶対的な別離である、ということを初めて理解した。
冬空の下、死んだ兎のお墓をつくりながら思った、
死者の「行く先」が、私の生きる世界とは地続きでなかったことを知った。
ある夏の日、顔も知らない上級生が部活の練習中に不明死した、と聞いた
帰り道に椎名林檎の月に負け犬を聞いた、あの日の匂いを思い起こした。
祖母が看病していた曾祖母の痩せこけた手を、糖尿でほんのすこしおかしく
なってそのまま逝ってしまった祖母の笑顔と、在りし日、昼寝する孫の背中を
打ったあの変拍子を思った。同窓生の急死に憔悴した父の横顔を思った。
中学にあがったころから、人のいない教室で居眠りをしながら聞いた、
囁き交わす誰かの声を思った。

小さな頃、迷い込んだ裏山で見た、連なる蝶や蜻蛉の死骸。
そういえばあの時、小さな私はまだ、死を怖がっていた。
自分の一部みたいに錯覚してしまったのはいつから?
ありふれた別れの一つと感じるようになったのはいつ?

ある/ない、の彼岸。

(3)

わたしは、どうやら、私が生まれる前に死んだ子供の影を引きずって
生まれてきた子供であったらしい。オカルト!

目に見えない世界をまるごと信じて振舞うほど私は無防備ではない
んだけど、私の信条に「そんな物語があってもいいじゃない」っていうのが
ある。宇宙の最初はビックバンだったかもしれないけど、巨人が寝転んで
支えた空と大地があってもいいじゃない。神様が光あれって
言って見えた景色があってもいいじゃない。面白いし。

第一「科学的に」「論理的に」なんて言ったところで、
私たちは素粒子の存在なんて目にすべくもないし、
月面に立つ旗がヤラセの写真だったとしてもわからないし
(まぁ、ふつうの感覚でそりゃないだろうと思うけど)
レンジで加熱中の茶碗蒸しが、目を離した隙にグラタンに化けてないか
なんて確かめようがない。そっちが理屈が通るし、便利だから、
その文脈の上で生活しているけれど。

……話が逸れた。占いの話に戻る。
以前、母は、「あたると評判の香港の占い師がいて、翻訳の手伝いをする
ことになった」と、知人に聞かされたらしい。オカルト好きではない
けれど(少なくとも私ほどは)、自他共に認めるミーハーの母は、
面白半分でFAXで家族のプロフィールを送ったらしい。
そして返ってきた結果の中で、一番驚いたのが上の一文。
母はその話をホントかもしれない、と思ったらしい。
私の前に死んだ兄が居ただなんて、送信したデータには何処にも書いて
いなかったから。23歳くらいで影から抜けるんだってさ。
「今年23だったわよねあんた。何かいいことあった?」
よくわからない。一年経った今も、よくわからない。
面倒ごとは面倒ごとのまま。私は役立たずのまま。

(4)

占い師のFAXの一件を聞かされたとき、
なんと身近に、出来のいい物語があるもんだ、
と思った。影。死の影。そこから抜け出す、ということ。
ちょっと考えればわかる話として「生きている」以上、私は生の側の
人間だった筈なのに、それを実感できなかった。あの一月間まで。

並外れて鈍感な人間であった所の私は、自分が歌うこと、誰かの歌に感動
すること、人間が行う表現の中で、桁外れに確かな「歌」を通して
ようやく、「喪失」を理解するきっかけを得たのかもしれない。
あるいはたまたま、人生の特定のタイミングに、そんな出来事が収まった
だけかもしれない。偶然の偶然。

馬鹿げた話にも見えるけれど、今でもときどき、
その「物語」の文脈に、自分を置いてみたりもする。
「信じてることにする」。そっちのほうが面白いから。

音楽を通って、自分の中に残された何か―――
自分の中で、目を覚ました何かを思った。

(5)

ひきこもって作ってた一ヶ月間のあいだ、繰り返し考えたこと。
亡くなった人の歌は、もう二度と生み出されることがない。
録音技術という素敵な発明のお陰で、その影、その足跡を辿ることはできる
けれど、生身の人が生み出す音楽は、そこで終わってしまう。
そして、私の歌は今もここにある。何の価値もないのに。
あんな歌、私には歌えないのに。

「どうして、自分じゃなかったのか」
「どうして、彼/彼女だったのか」

先日、友人を亡くして落ち込んでいた友人(その、友人の友人を私は知ら
ない)が、全く同じことを言っていた。少し驚いた。
別離を経験した人間、誰もが一度は通る思考なのかもしれない。
生きていること、死んでいること、その距離。その不公平性。
……死んだ人は、不公平だ、なんて思わないのだろうけど。

神様の悪戯。簡単に存在して、簡単になくなる。
生命一個が存在して過ぎ去るっていうことが、ある視点からは等価な事象で、
過程を辿れば恐ろしく複雑な偶然の組み合わせだったとしても、
過去の人類が積み上げた学問体系に則れば恐ろしい情報量の物語だったと
しても、ここにいる私たちの実感としては、儚い。儚くて無為。
交わす言葉も、感情も、価値も意味も、「なんでもないこと」。

生きている意味が欲しかったんだと思う。
少し大きくなった時から、無意味、と戦う方法を探していた。
私に住み着いた無気力と悲嘆は、ただの生理的なものだったのかもしれない
けど、たとえば高校生の頃の私にとってはわりと死活問題だった。
冗談じゃなしに。生まれた街を離れて、すこしだけ好き勝手に生活させて
貰って、ばらばらになった自分の中の時間を繋ぎなおして、
その作業の終わりに、私は一度、自分が一度は負けてしまった、
「それ」に向き合うことになった。色をなくした視界の中で。

そして、私は結論した。
私たちは繋げようとして、繋がっているんだ。
生きるのに何の価値もない無駄を繰り返すんだ。
何の意味もないけど、そうやって「無意味」と戦ってるんだ。

以前、人と「生むのと壊すのとどっちが大変か」っていう、
どうしようもないことで議論したことがあるけど、
そもそも男女が精と卵をそれぞれ作ってセックスして女性が
一年間お腹を痛めて、生を受けて、歳を重ねて、そこに比べれば殺すの
も損なうのも簡単じゃないって私は思うけど、生きることがそのまんま
死んで行くことなんだっていうのも概念として理解できなくはない。
いや、出来てるのかな。自信なくなってきたかも。話が大きすぎて経験
が足りなさすぎて、理解できてないかもしれない。
でも、肌で感じることはある。

(6)

永遠がそこにあったらいいと思う。
紡がれて連なって行く一瞬、どこでもないどこか。
誰かに触れる、誰かと笑う、誰かと泣く、その瞬間。
歌を歌う、音を奏でる、何かを作る、その瞬間。

繋がった、と感じると、ちょっとだけ鼓舞される自分を感じる。
それをまた、誰かに伝えたいと思う。
私が知っている幸せを、私を生んだ人たち、私を残したもの、
一緒に笑った人たち、共鳴、と感じた心の所在。

今おもえば「まぁ、歌じゃなくてもいいよね」って事になるけど。
あ、しまった、気づいてしまったかも。私が歌わなくてもいい理由!
えーっと、何だろう。初期衝動。大事なのかな。
この先、忘れてしまったら悲しい。悲観的になってる。
っていうか、書いてたら疲れた。何も解決してないよ。

残さなきゃ。「そこ」に立って、残さないと。
何を、の答えはちゃんと持っていたつもりだったけど、
でも、その方法がみつからない。
みつけたつもりだったけど、掴めない。

05/19


GOEMON見せてもらってきて、「すごく面白かったけどなんか引っかかる」
ポイントが幾つかあって、その一つがラストシーン(扇を突きつける、
命を落とす)の下りですごい気になってたんだけれど

チャン・イーモウの「HERO」だわ。
無数の矢が、人間の形に城壁に刺さるシーンのインパクトが強すぎて、
肝心の始皇帝と無名の会話が頭からトンでた事に気付いた……
為政者を嗜める、剣を突きつけたかに見せかけて以下省略。
大好きな映画。これで俄かに中国映画に嵌ったかに見えたけれど、
今のところアレを超えた物はないぜ!みたいな映画だ。
(でも、両親が武侠物にハマってセブンソードのドラマを全巻見せられた
 って友人曰く、「中国物のよさはあんなもんじゃない」らしい 伝聞系)

ただ、こう芸事で復讐の連鎖を止めようとする……って、
ある種の王道というか、ほかにも何かあった気がするんだけど、
思い出せない。うーんうーん。信長の甲冑を着て突撃するのくだりは
花の慶次へのオマージュじゃね?っていうのは、スタッフロールにSpecialThanks武論尊(@北斗の拳)、があったから的外れでは
ないんだと思う。キリヤ監督は原哲夫が好き。たぶん。
全体的に梟の城を思い出す、これは気のせい。気のせいかなぁ。

後から調べたら「ここはこの映画のカメラワークじゃねーか」とか、
映画をいっぱい見てる人には色々引っかかる部分あったらしいけど、
まぁ、パクリとかオマージュとか馬鹿の一つ覚えな展開とか、
映画の面白さには何も影響しないし。馬鹿一大好きだけどね私!

GOEMON、大好きジャンルであるところの幻想寄りSF映画、
ダークヒーロー、路地裏で雨に濡れる系ハードボイルド、全部擦ってるようで
ルーツがマルっと違う気がしたけれど、好きでした。お勧め。
話はあんまり明るくないんだけど、俺はこれを作りたいんじゃー!!って
底抜けに陽性のパワーのせいか、重くても嫌な残り方しなくて気持ちいい。

紀里谷和明ワークショップ覚書
http://l-w-i.net/l/kiriya_workshop.txt
https://www.satsuei.net/a-blog/kaz.php?ID=962
凄いっていうか、凄まじい人物なんだなぁと。
言ってることが雲の上すぎてギニャーってなったけど、
なんであがっちゃうの?の下りは30回くらい読み返しておこう。

あと、「復讐の連鎖」「個人的な理由(肉親/恋人の幸福)からの平和
への願い」「世界をペテンに掛ける」「自己犠牲」このへんの
シチュエーションに、大反響、一年越しに無事二期終了しました(ほんと?)
だったコードギアス(アニメだよ)を思い出したんだけど、
調べてみたら谷口悟郎監督とは二歳違いだった。

キリヤ監督66年生まれ。谷口監督68年生まれ。
キリヤ監督はキャシャーンで、谷口監督はリヴァイアスで、最新作と
よく似たモチーフを使っていて、両者、40代半ばのクリエイター同士。
世代?新人類?
……と、四捨五入ギリギリ20の小娘が語る。また怒られるな。

そんなことより、谷口監督元々大衆演劇やりたかった人で、大学時代は
ドキュメンタリーとか撮ってたって話が最近スゲー納得できた。
http://geass.at.webry.info/200607/article_2.html
探せば脈々と生きてるんだなぁ。

戦後演劇の系譜って面白い。
これまで縁が薄かったものって感じてたけど、
どうやら私が触れてたものにもしっかり連なっているみたいで。

February,2009


03/20

ちょっと大変な事になっていたので、
日記は引きこもりになってました。
MusicCommunicationがスペースA4に配置……なんだけど、
申し込んだ時点でこんな事態になるとはおもってなくて(;´Д`)ノ
ど、どうしようみたいな。当日だけが近づいて来る。
終わってからお花見行こうぜーって話が出ていて、
それはそれで、みんなと会うの久しぶりだからすごく楽しみだけど!

曲、二曲決めてたヤツがあるんだけど(一曲はできてる)、
先生から「中途半端になるから余計な事はやらんように」って
釘を刺されていたり。反論の余地もねえ!
何かしら持っていけそうならこっちで告知かなぁと思います。

落ち着いたらブログをブログに引っ越したいんだけれど、
テンプレート弄ろうとしたら素材が足りなくてえんやこら。
共有の奴だと物足りないんだよなぁ。
デザイン的には今のこのwikiお気に入りなんだー……
サイトとのバランスとか考えつつ、けっこう凝ったし。

ちょっとだけ拍手に返信

≫曼哩さん
ごめんなさい拍手見てなかったorz
何か目論んでたりはするのです。手が回らないけど。

≫(#)2/19
ごめんなさいごめんなさい、ありがとうございます。

≫ミッキー氏
毎度ご心配おかけしていました。

で、実家に帰るのでした。
祖父の五十日祭。父になるべく出て欲しい、と言われてたので。
部屋の掃除してたら寝れなかったけど飛行機には遅れないように。
リハーサル後のお脳は回転がマトモなことに気付いたけれど、
このまま参列して髪切りに行って、明日は生きてる気がしないけれど。
折角の帰省なんだけどなー。お風呂行きたい。

一月ぶりだってのに、面白くもない日記だなー。
雨はまだ止まず。お外は真っ暗。
鹿児島が晴れている事を祈りつつ。

02/19

取るにたりないから/きたないから/普通でないから/
不適切だから/不道徳だから/醜いから/空っぽだから/
恰好悪いから/おぞましいから/近いから/恥ずかしいから/
誰かを傷つけるから/長すぎるから/不利益になるから/
湿っぽいから/雨降りだから/スマートでないから/
きもちわるいから/低俗だから/うるさいから/みっともないから/
独りよがりだから/壊滅的だから/遅いから/低脳だから/
臭いから/面倒だから/未熟だから/幼稚だから/
赤いから/白いから/青いから/遠いから/黄色いから/紫だから/
緑だから/不細工だから/要領がわるいから/卑しいから/
粗悪だから/迷惑だから/恥さらしだから/大人だから/
黒いから/辛いから/甘いから/苦いから/風が吹くから/
だめだから/役に立たないから/無意味だから/
ちぐはぐだから/非建設的だから/罪深いから/馬鹿だから


今週のこりの二日はひきこもってあれこれ。がんばろう。