萩の歴史
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- 土地の歴史
- 萩城・城下町
- 毛利輝元が関が原の合戦に敗れ、周防・長門の二国へ減封された際、幕府から築城を指示されたのがこの萩の地であったそうだ。航空写真を見ると簡単に判るように、萩は目の前を海、二方を川に囲まれた水郷である。当時の指月山は阿武川下流の松本川、橋本川に囲まれた三角州に孤立し、湿地帯が多かった。そのため築城作業は、指月山南東麓の埋め立てから始まったと言われる。輝元が慶長9年に居城を構えてから260年間、36万石の城下町として栄えた。
- (昔の萩市観光用パンフレットより。完全な引用文ではありません。こちらでアレンジしています)
- その他トピック
- -1552年(天文21年)12月9日 周防 宣教師トルレスが信徒を招き、夜を徹してデウスを賛美する-
- 近隣の文化遺産(抜粋) 思いの他『すごいもの』がたくさんある山陰地方から抜粋
- 萩焼
- 沿革:文禄二年(一五九三)毛利輝元が文禄の役から帰国する際、朝鮮の陶工李勺光と李敬の兄弟を連れ帰り、窯を築かせたといわれる。
- 技法:白っぽくて多少厚みのある釉のかかった陶器が主で、いまでも松の薪を燃料とする登り窯を使っているところが多い。
- 特色:手ざわりも口あたりも柔かく、お茶を入れたとき冷めにくい。使う人の心に応じて、やきものの色も品位も変わり「萩の七化け」といわれている。
- (集英社 日本の技8 山陽・四国 潮の技 S58.11 より引用)
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