彼と彼の故郷について (仮題)

萩市の歴史

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萩市の歴史


 県の北部、日本海岸に面する西日本随一の史跡都市。三方を山に囲まれ、市内を清流阿武川が流れる萩は、典型的な江戸時代の城下町である。
 明治二二年(一八八九)に市町村制実施の際、旧城下町が萩町となった。大正一二年、椿東・椿・山田の三村を合体し、昭和七年七月にいたってようやく市制を施行。戦後の昭和三〇年三月、三見・大井の両村、孤島の見島村、六島諸島よりなる四村を編入して現在の市域となった。(私注:平成の大合併のため二〇〇五年三月にも川上村・田万川町・須佐町・旭村・福栄村・むつみ村が市域に加わり、現在の市域は更に拡大しています)
 市域の周辺部から弥生土器が出土し、大井地区にはすぐれた副葬品をもつ古墳がある。また大井・椿東地区には奈良時代の寺院跡もあり、古くから市域がひらけていたことを物語っている。
 戦国期、石見国三本松城(津和野城)主吉見正頼が、指月山下に居を構えたこともあるが、萩の名が歴史上に登場するのは、慶長九年(一六〇四)に毛利氏が阿武川の河口、指月山麓の橋本川・松本川に抱かれたデルタ上に萩城(指月城)を築き、萩藩(長州藩)三六万石の城下町となってからである。以来文久三年(一八六三)、山口に藩庁を映すまでの二六〇年間、萩は防長二国の中心地、三六万石の城下町として栄えた。
 幕末には維新の先覚者吉田松陰を中心に、高杉晋作・久坂玄瑞・木戸孝允・伊藤博文・山県有朋など数多くの逸材を世に送りだし、明治維新の発祥地として歴史に刻まれた。
 しかし、明治維新以後、萩は近代的発展をとげることができなかった。ことに工業化的発展から取りのこされた市の産業は、夏ミカン栽培を主とする農業と漁業の第一次産業が中心であった。その夏ミカンも、明治に入ってから、武家屋敷跡に植えられたのに始まるものであった。
 第二次産業では、萩の代表的な地場産業である萩焼や夏ミカン、水産物の加工業がさかんである。
 近代的発展からは取り残された市ではあるが、反面、史跡建造物や城下町の遺構を数多く保存することになり、日本有数の史跡都市として歴史ファンの観光客を集めている。
 城下町の面影を残す市内には、数多くの史跡・文化財に富むばかりでなく、作家の獅子文六が、『白い壁のある町・萩』のなかで「・・・天守跡らしい小高い丘に登って、町を眺めると、実に風光明媚な土地である。私は萩の古さを求めて、訪ねてきたのだが、海と川と山の姿が、こんなにも美しいとは意外だった。・・・」と記しているように、風光にも恵まれ、海岸一帯は北長門海岸国定公園に指定されている。
 見どころは毛利氏ゆかりの寺をはじめ、明治維新の先覚者たちの旧居旧跡など数多い。武家屋敷の残る堀内と平安古は、重要伝統的建造物保存地区に選定されている。萩焼の窯元を訪れるコースも人気が高い。


年中行事

見島の大凧あげ(一月一日)
萩・椿まつり(二月下旬~三月下旬)
萩焼まつり(五月一日~五日)
松陰神社春祭(五月二五日)
おしくらごう(六月第一日曜)
住吉神社例祭(七月三〇~八月三日)
七夕祭(八月七日)
松陰神社秋祭(一〇月二七日)
萩時代まつり(一一月第二土・日曜)


特産品

萩焼
竹すだれ
夏ミカン
かまぼこ(やきぬき)
エソ巻
夏ミカン菓子
ママレード
夏ミカン砂糖煮
ウニ
干しわかめ
するめ
魚の干し物
萩ガラス


(人文社 郷土資料事典35 山口県 1998年7月 引用)



コメント
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  • 萩城→萩市までは容易に想像がつくんですが、それ以前の資料がなくて。阿武郡に萩という場所があったことはわかっていますが、それも手持ちの資料で遡れるのは1500年代まででそれ以前については不明です。ただし、平安時代には既に阿武郡の記述は見られるので、その中に萩なる地名があったのかどうか・・・ -- (ありさ) 2005-12-31 19:33:31

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