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*「祭礼と世間」
**論文内容
一
・塩竈神社の帆手祭──「神輿荒れの騒動」神輿と警察の衝突
明治以降、町村の祭礼行列の警護 警固の役→警察
日本銀行の「祭礼入費」
二~四
・神輿舁きの悪意=前代の社会生活から存在
・私怨か公怨か
・塩竈様=氏子の思想統一に厳しい神
ザツトナ:正月十五日の晩、小児が各家を罵倒しながら町内を廻る
・諸国の「公の罵倒式」の類例
京・祇園社 :十二月晦日深夜、参詣人同士が暗がりで
近江・多賀神社:「をけら詣り」除夜の晩
千葉(市?) 千葉寺・南葛飾郡千葉村:「千葉笑ひ」十二月晦日の晩
千住二丁目:正月十五日、宴席で罵倒し合う
紀州有田郡の山村:「御田踊り」見物人が踊り手を罵倒──秋の収穫云々
・ザツトナに携わるもの=小児
正月十五日=子供を重んずる日
・道路に立ち塞がり物をねだる
・夜分人家の門を叩き、餅や銭紙を貰いまわる
・花嫁の尻を打つ
・越後の狐:先年の白狐が毎年一定日に、悪行を罵る
・琉球:神が従属と山・海から現れ、王家の庭で終日舞う
五~六
神輿の社会上の地位
神輿=神が乗る
御旅所=神の選んだ祭場→祭場へ至る道筋も同様
・武州栗橋:(牛頭)天王の神輿を鯉と泥亀がもたらしたという言い伝え
=神の思召によって祭らるべき地に祭られた
・神体漂着の縁起
仏閣でも武州浅草の観世音の例⇔しかし、国産と輸入の違い有りか
輸入──信心又は福分ある個人が稀有に発見=個人本位
国産──箱其他の器に乗って漂蕩して自ら来る。到着地が奉祀の地=土地本位
cf. 神体飛来(熊野権現)・神体盗み(道禄神=利益増大)
七~九
・神幸中止──豊後由須原の八幡(=柞原八幡宮)の社伝
キリシタン大名大友宗麟と在地宗教勢力の争い
・神輿の他軽重の変化するもの──越後南蒲原郡大崎村小布施神社の天降石=石卜の一種
・神による移転地選定
神の入った厨子・笈、神体の弓が重くなり、その場に祀る
ex.羽前鶴岡天神町の天神・江州堅田浦の走湯権現・大隈国安楽温泉の熊野権現・出雲の塩冶比古神社
十~十三
・石占
相模海老名地方の某社──五月五日の祭の日、塚から丸石が現れる→神輿に入れると重量増加
・神社の正体に天然の丸石──甲州各街道の道祖神(サヘノカミ)も同様=中世以来の石神
・「石神」→「石を管理する神が居る」という思想の転化。「卜ひ石」「伺ひ石」など
=「神体」と「神宝」の区別の困難さ
・阿波国・阿波井大明神の伺ひ石
石占を管理する神嫗──後継を石占で決定
・東京池袋村の百五十年ほど前に流行った天神様
後廃れて、試し石は庭先に
→社寺境内にある力石の類は石占の形式的な遺物
・相州大磯の虎子石=石占のバリエーションの一つ
その他、奥州の古い田歌・吉野のオイトシボ石・甲州勝沼の「さすり地蔵」
十四~十五
・神輿を舁く者の選定
甲:神人と称する特殊の部曲から。ex.祇園の犬神人、又弦指・弦女曾(ツルメソ)、駕輿丁
乙:一定の規則で氏子から舁き手を選出。若い男子が基本──塩竈神社はこちらのケース
・若衆制度
十五歳(元服)から加入。三年乃至五年間──神輿舁きはこの短く限られた期間
「年ばえ」:最後の一又は二年の年長の若衆。さらにその後一箇年を「中老」
・村の生活=若い衆が思想の中堅
童児→大人=誕生よりも重大な宗教上の事件
教育の統一=若者入り
若者宿での共同生活 →共同体における強固な習慣の統一
十六
・神輿の行動=神意かつ民意
・神酒の役割=神との仲介=託宣。人を霊媒にする →神酒の製造=巫女
【補足】
■祭礼と祭の相違 (「日本の祭」(初出:昭和17年)より)
祭礼=祭の一種、見物の集まってくる祭?
・神輿の渡御+行列(風流)=神の祭場への降臨
諸国でも飾り御輿を用いるようになったのは近世以降
・見物する群の発生
=信仰者でない人の参加
夜通しの奉仕が古い祭の式=「日本の祭」……夕御饌・朝御饌 参る=元来は「籠る」
↓
日中屋外の所作の増加・重視
夏の祭の増加 =「祭」→「祭礼」への推移
■塩竈神社(宮城県塩竈市)
奥州一宮
祭神:盬土老翁神【シオツチオヂノカミ】(別称:塩椎神・塩筒老翁神・事勝国長狭神)
製塩・漁業を伝えた神、航海、出産の神
出典:「塩竈神社」公式サイト〔http://www.siogamajinja.or.jp〕
■神輿の成立
・形式の成立は不明。有力説として天平勝宝四年(725)東大寺大仏開眼供養の折、宇佐八幡大神を迎えるに際し紫色の輦輿(天王輦)を用いたことに始まるとするもの(西角井 1985)
・但し、この時の「神輿」には神体ではなく、宇佐八幡の憑依した女禰宜が乗っていたという見解もある(飯沼 1996)
・仏具由来説もあり(小沢宏之『江戸神輿』1981──西角井著書の中で言及)
西角井正大『民俗民芸双書99 祭礼と風流』岩崎美術社,1985.
飯沼賢司「八幡神と神輿の成立──宇佐宮の女禰宜と「御験」(みしるし)の関係──」
『歴史評論』№550,歴史科学協議会,1996.
■公の罵倒式
・「千葉笑ひ」について、折口信夫は「ほかひゞと」=「正月に主として出て来て祝言を述べて廻る人々」の一種としている
「年中行事」『折口信夫全集 第十五巻 民俗学篇Ⅰ』中央公論社,1976(初出:昭和七―五年)
■若者連
・脱退年齢は、30歳(長野県北佐久郡)、35歳(宮城県黒川郡宮床村大字小野)、40歳(茨城県久慈郡幸久村大字上河合)など様々。
・脱退については年齢に関わらず、妻帯した時点で脱退という事例もある。
・若者連に入るのは長男のみ、また他村からの入婿に限り2年延長という事例あり(茨城県久慈郡幸久村大字上河合)
中山太郎『増補 日本若者史』パルトス社,1983(初出:春陽堂,1930)
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