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「イタカ及びサンカ」

論文内容



  • 【一節 イタカについて】

イタカ:「イタカは学問なき賎者なれど経文を暗唱して者を乞いありくとみえたり。」(p454)「イタカは鉦打ちまたは鉢叩などと同じく、半僧半俗の物貰いにて仏教の民間信仰に拠りて生を営む一種類にはあらざるか」(pp454‐455)

「イタカ」の文献上の初見
『看聞御記』応永二十三年の記事に「阿波ノ法師」を名乗り、山城桂地蔵の霊験を吹聴して民の材を騙し取ろうとして召し捕らえられ者が居たが、この者は実は阿波の国の者ではなく、ある者がこれを「イタカ」と呼んだ。

イタカの当て字
  • 居鷹者(『節用集』)
  • 為多加、移多家、似仏、似仏百面者(『運歩色葉抄』)

柳田の考察
イタカ≠イチコ:
「上方にていう「クチヨセ」または「タタキミコ」は関東にてはこれをイチコといえり。イタカとイチコは語源を同じくするらしく、かつ両者相似の点多きこと次に述ぶるがごとくなれど彼をもってこの転訛と断ずるは不可なり。」(p456)
イタカ=イタコ:
「奥州のイタコのイタカと同じ語となるべきはほとんど説明を要せず。」(p458 )
「イタコはアイヌ語のイタクに出づるなるべし。」(p460)
バチュラー氏語彙を参照
:itaku=ro say,acknowledge,to tell/ itakube=thestem of aspring bow
⇒「少なくとも東北のイタコが神意を宣伝するを職とする、一種の語り部なることは疑いなかるべし。」(p461)


  • 【二節 イタカとサンカ】

「小田原の舞々が家の古文書にはイタカを移他家と記し、『運歩色葉抄』にはこれを移多家と書せるは注意すべきことなり。…中略…思うにイタカは一定の邑落に住せず常に家を移して行きしたるためにこの文字を用いしならんか。」(p463 )

サンカ:「現今のイチコは単身にて漂白すれど家を移して行くことなし。一家族を挙げて終始漂白的生活をなすものは今日別に一種あり。多くの地方にてはこれをサンカと称す。」(p463)

サンカの当て字
散家、山家、山稼、山窩
:「すなわちこれを散家と書するはかの徒の家が固定せざるがため、山家、山稼と書するは、山の陰などに仮の住居を作り盗伐をもって生を営むがため、また、山窩の文字を用いるは岩の窪み土窟の中などにいるがための宛字らしけれど、ともにいまだサンカという語の意味を説明する者とは信ぜられず。」(pp463‐464 )
「衣類など著しく普通民より不潔にして、眼光の農夫に比してはるかに鋭き者、妻を伴い小児を負い、大なる風呂敷に二貫目内外と思われる小荷物を包み、足拵えなどはずいぶん甲斐甲斐しきが、さも用事ありげに急ぎ足にて我々とすれちがうことあり。」(p464)
―サンカの描写。ただし柳田のサンカ像が殆ど警官からの聞き取りによっていることは多くの研究者が指摘している。

サンカの生活について(p.p.464‐468)
サンカの徒が普通人の零落してたまたま変形した者にあらざる一証としては、彼等の間に完全なる統一と節制とあることを述べざるあたわず。もちろん常民のこの仲間に混入したる者は少なからざらんも、これ等一代サンカは決して勢力を得るあたわざるのみならず、十分に既存の不文法に服従し去り、ついにかの徒の慣習の一部をも変更しあたわざるがごとし。(=常民がサンカの中に流入することがあっても、その者達はサンカの文化や慣習を決して変容させることはなかった)サンカには地方ごとに必ず一の親方あり、その権力はなかなかに強大にして、時としては部内の美女を択びニ三人の妾を持つ者あり。(p467)
⇒サンカの不文法、社会制度、ネットワークに言及

サンカは自称か他称か?:柳田の問題(p468L5-)
⇔発表者の管見の限りには、サンカを「自称」と捕らえている研究はない。

サンカに関する証言⇒「今のサンカと古のクグツと系統を同じくすることと論ぜんとする。」(p470L4-5)   イタカ=イタコ  クグツ=サンカ
「要するにクグツとサンカとは漂白の生活をなすこと、竹を原料とする手工をもって生計をなすことにおいて古今相似たる上に右のごとく「くぐつ舞わし」をサムカと呼びたるらしき記事も存するなり。」(p472L4-5)


  • 【三節 サンカの来源について】

サンカの生計
山野の食物を狩猟採集・工芸品の制作と販売→昨今ではこれだけでは生活できず、犯罪に手を染める者がいる。
→しかし古くは、サンカはこの外に「祈祷」「売笑」(さらにこの二つに伴う職業として「歌唱」「人形舞わし」)によって収入を得ていた。
→そしてこれはクグツの職能とも通じる。以下その論証。

諸史料に見えるクグツ:
「クグツが「木人を舞わしめ魚竜蔓延の戯をなす」は単にその生業の一部たるに止まり」(p473)その他、男は弓馬を使った狩猟と沙石を金に変え、草木を鳥獣に変えるようなマジックを職業とする。(p473)
「クグツには団体あること、及び定住なきにもかかわらずはなはだ富裕なりしことはまた『傀儡子記』に見ゆ。」(p473)
⇒柳田はこの彼等の富貴なる所以を「身分ある常人より金銭を」「人の迷信を利用」して巻き上げたため、あるいは彼等が貴人に「色を鬻」いだためとする。(p474)また柳田は「遊女」をクグツと同じものとして据え、「二種の名称は地方的の相違すなわち方言の差なりというを得るなり。」と言っている。(p467)そして柳田は遊女が巫女を兼ねたこと、あるいは巫女が売笑を生業としたことを諸書に引く。
―また今日においても娼妓の特殊部落より出でることが多いことと照らし合わせる。

⇒  潮来(イタコ)=イタカ=ヨタカ
   クグツ=サンカ=ソウカ
ここまでの柳田の議論だけでは、柳田が言わんとしたことは至極曖昧で分かりにくいが、沖浦和光の指摘(三角寛『サンカ社会の研究』所収沖浦和光「解題」p355-)を踏まえれば、柳田が平安期『傀儡子記』に出てくる漂泊民クグツをサンカの源流とする背景には「原始時代からの〈山人〉の末裔」→平安時代の書物に見える「傀儡子」→「サンカ」という、柳田のサンカの起源を先史時代から古代、中世まで遡りうるという立場が明確に見えてくる。

サンカ研究家
柳田國男「イタカ及びサンカ」―「サンカ」を学術的に考察した最初の論考。
鷹野弥三郎「山窩の生活」―サンカ集団の犯罪性を強調。これが行きすぎたサンカ認識であるとして、のちに批判を受ける。
三角寛「サンカ社会の研究」―サンカ集団についての網羅的な資料を集成。しかし後年この資料の信頼性に疑問が唱えられている。

サンカの定義について→資料①参照
「山窩」の字義については、警察の人間の中で漢籍に通じた者がサンカに「山窩」と当てたのがはじめであるということが通説になっている。
(三角寛『サンカ社会の研究』所収沖浦和光「解題」p358)


サンカの発生時期について―昨今の研究

沖浦和光
先ず柳田の「サンカ=クグツ説」及び「山人=クグツ=サンカ説」を否定。
沖浦説:「なんらかの理由で農山村にいた人たち(下層の民である貧民層、賎民層)の一部が、幕末のころに相次いでやってきた社会危機の時代に、安住生活に見切りをつけて漂白生活に入ったとみるほかはない。」(前掲書p372)⇒これらの漂泊民がサンカの源流

礫川全次
沖浦説がサンカを実際に「サンカ」として存在する集団と捉えて、「サンカ」という語をあまり吟味せず使用していることを批判。「サンカ」呼称の近代発生説を説く。
  

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