平成のKOキング

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「平成のKOキング」こと元東洋ライト級チャンピオンの坂本博之選手が現役引退を発表しました。
 本当に悲しい。
僕の尊敬する男です。寡黙で、すごい男らしい。
 ファイトスタイルもいわゆる「デトロイトスタイル」というもので、左肩を前面に出し、右ストレートを打つスタイルです。ハードパンチャーで、いつしか平成のKOキングと呼ばれるようになります。
 坂本選手は幼少のころから養護施設で育ちます。
18歳でデビューしてから、KOの山を築きその年の新人王になります。
 しかし、その時のライト級の日本チャンピオンは、とっくに世界チャンピオンになってもおかしくないと言われていた「リック吉村」という選手がいました。
 ジム側は階級を変える方針でしたが、坂本選手は果敢にリック吉村に挑み、戦前の予想を覆し見事KOで勝利を飾ります。
 これで坂本選手は「世界間違いなし」と言われたのですが、ここからが苦難の連続でした。
 2回の世界挑戦は僅差の判定で敗れ、3回目の挑戦は1ラウンドに2度のダウンを奪ったものの、4ラウンドの相手のパンチで目の上を流血し、無念のレフェリーストップになります。
 3回の世界戦でもう出番はない、坂本は終わったと言われ続けるのですが、ここでラストチャンスが訪れます。
 1度引退した「畑山隆則」がカムバックし、すぐに世界ライト級チャンピオンになります。
 世界を取ったそのリングで坂本選手を挑戦者に指名したのです。畑山選手はこのとき2階級を制覇していたのですが、「坂本のほうが強い」と言った声が多かったのです。
 僕は声をからし、血管が切れるほど応援したのですが、10ラウンドKO負けとなりました。
 近年稀にない壮絶な試合でした。
その後、3戦ほど戦ったのですが持病の腰痛のため引退の発表です。
 養護施設に随分寄付もしていたようです。養護施設の子供たちが精一杯の応援をしていました。坂本が畑山にKOされたときの子供の泣き声がすごく今でも印象に残っています。
 「僕の拳にはいろんな人の思いがこもっているんです」坂本の口癖でした。
 本当にかっこいい男です。

坂本選手のHPから・・・
 自分の身体が自分の身体でない・・・
そんな感覚(違和感)を感じるようになったのは、いつの頃からか?
誤魔化してきた腰痛が誤魔化せなくなった時。
それが僕の動きを嫌がおうにも止めた最初の時であったのかもしれない。
増すばかりの痛みの中、練習や試合から遠ざからざるしかなかった日々。
しかし、リングを下りることは全く考えなかった。
ヘルニアの手術を終えてから、またリングに復帰することだけを目標に生きた。
治療に専念した月日。
それからようやくリングに立てたのは、2年7ヶ月ぶりであった。
とにかく痛みが無く練習できる事が嬉しかった。
しかし・・・
僕の動きは、僕が思う動きまで届かない。
あの打たれても打たれても前へ出るスタイルが、坂本博之のボクシングであり 僕自身の姿であった。

それが出来なくなった今、グローブを置くことを決めました。


2007年1月6日 後楽園ホールの試合を最後に、引退します。

この15年間、坂本博之を応援して支えてくださった皆様へ。
本当にありがとうございました。
皆様の熱い声援のおかげで、一戦一戦闘うことが出来ました。
皆様に支えられた経験は、これから先、僕の人生最大の財産となることでしょう。

今までありがとうございました。
坂本博之


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