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219

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219.彼らの失敗


 ──失敗とは、どのような人間にもついて回るもの。
 例えば。彼の場合。


 遠く、戦いの音が届く。
 剣戟の音は、深淵の騎士か。それとも、♀セージ達か。
 どちらとも取れるが、すべき事は変わらない。
 急がないといけない。それだけは確かだ。
 ♂ローグは顔を上げ、共に離脱した♀クルセに視線を遣った。

「よう。直ぐ動けるよな?」
「ああ。…問題ない」
 彼女の腕や頬には、反動の衝撃で裂けたのか、幾つもの擦過傷があった。
 だが。彼は、敢えてそれ以上は問いかけるのを止めておいた。
 問題無い、と言うのならば、その意思を尊重する。
 ♂ローグは、そんな風に考えていた。
 全く全く。不釣合いと言うならこれ以上は無い。

 が、これも自分が変わってしまった、と言う事なのだろう。
 完全に彼は、それを自覚していた。
 それも悪くは無い。
 嘘は無い。自分はローグを辞め始めているのかもしれない。
 辞めたからと言って、何になれる、と言うわけでは無いけれど。

 随分と──戦場から距離が離れてしまった。
 後詰めの自分達が追いつくまでには、少し時間がかかりそうだ。

「走るぞ」
 言って、駆け出そうとする。
 だが。

「──♂ローグ、その」
 彼の歩みは、思い出したかの様な♀クルセイダーの呟きに止められた。

「ん、何だ?」
「その、だ」
 言いよどむ彼女に、彼は目線を向ける。

「…んだよ。はっきり言いな」
「約束が、欲しいんだ」
 時間も無い。それは彼女も判っているはず。
 だが、敢えて切り出すのだから重要には違いないのだろうが、今はともかく時間が惜しい。

「あのな。今、んな事言ってる場合じゃねーだろ」
「す、すまない…だが、それがあった方が…強くなれる気がするんだ。…何となく、だが」
 縮こまり、居心地の悪そうな顔で言う彼女に、♂ローグは溜息を一つ。
 彼の様子と言葉にに、♀クルセは、面持ちを硬くしていた。

「…早く言え。すぐ言え。あんまり待てねーぜ? まだ、終わった訳じゃねぇ」
 呟くような小声で言う。
 呆、とした♀クルセの顔がコンマ数秒ほど、それから彼女は目尻を擦る。
 男は言葉を待つ。じくじくと体中の傷は疼いていたが、何時もの顔ですっかり覆い隠していた。

「約束、してくれ」
「ああ」
「…未だ、話していないぞ?」
「急いでるからな。まず、意思表示だけ、な」
 続きを男が促すと、彼女はやっぱり、お前は変わらないな、そんな事を言って苦笑した。
 男は、笑わなかった。

「ここから帰ったなら──二人で一緒に、街を歩こう?
 それから、アラームや他の皆の為にも、絶対に幸せになってやろう。
 …もう居ないけど、私の姉さんもきっと、そう思ってる」
「幸せ、な」
 想像してみる。ちっとも具体的な像は結ばない。
 只、酷く眩しい──眩しすぎるくらい眩しいという事は、よく判る。
 こういう時は、自分が酷く薄汚れた人間だ、と♂ローグは考えてしまう。

「ああ。それもいいかもしれねぇな」
 だが、そんな言葉がついて出ていた。

「冒険者やローグは廃業かもしれねぇけど、食い扶持ぐらいならなんとかなるしよ。ま、仕事はおいおい考えるさ」
 アラームや深淵の騎士、それにバドスケ。
 そんな連中を知ってしまった以上、どうも今までの様な生活はとてもではないが続けられる自信が無い。

「そうか…なら、私は何をしよう…」
「ミルク売りとか、シスターとかな。ま、冒険者としては無理だろうけど」
「シスターか…」
「そうなった暁には雑用としてでも雇ってくれ」
 冗談めいた口調で言う。

「ああ。考えておこう」
 ふと、♀クルセがまた笑った。どこか嬉しそうに。
 今度は男が苦笑する番だった。
 これ以上話す事も無くなったのか、笑っている彼女を前に、男は思う。
 今は、ここまでだ。帰った後でなら、幾らでも話す事ぐらいできる。
 最後に一つ。言うべき事を言ってしまえばそれでいい。

「ま、俺で良けりゃ、何度でも約束ぐらいするさ…っと、行くぜ」
 そういって、彼は♀クルセの手を取った。
 ──もう刻限に余裕は無い筈だ。
 会話に要した時間は、煙草の先が灰になるかどうか位短いものだったが、急がなければ。

「…すまないな。つまらない事で、時間を取らせた」
「馬鹿言うな。なら急ぎゃいいだけだろ」
 言葉を切り、二人して駆け出す。

 目指すは戦場。即ち秋菜の元に。
 音と血の匂いが示す先へ。
 彼は自分が猟犬にでもなった気がしたが、それ程の体力がある訳でもなかった。
 むしろ、怪我人の♂ローグが♀クルセに遅れている程だ。
 それでも、息が切れる程走り続けると、遠く、しかしどんどんと近くなって来る♀セージ達の姿が見えた。
 そして、炎の壁が立ち上った。

「戦闘続行中、かよ。ま、一筋縄でいかねぇ相手ではあるわな」

 彼。つまり♂ローグは。今、この瞬間まで、自身が間に合う事を微塵も疑ってはいなかった。
 或いは。
 自身の成功を疑いなく信じ切る。その性質こそが、彼の最も特筆すべき点であるのだろう。
 けれど。
 忘れてはならない。失敗は、しぶとい猟犬の様に、常に人に付きまとう。
 それから。
 戦いは、今も続いている。

 幽かに、白い服──恐らく秋菜だろう──が、火の壁を背に数歩、♀セージ達に歩み寄るのが見えた。

「なっ」
 思わず足を止め、声が漏れる。
 いんでぃみでいと。緊張感に欠けた、けれど胸糞の悪くなるあの女の声。
 それを確かに彼等は聞いていた。
 発動の残滓を残して、秋菜の姿が掻き消える。
 それが示す所は。

「畜生、ドジった」
 歯噛みするが、全ては後の祭り。
 今にして思えば、迂闊な判断だったやもしれない。
 煙草の先分の時間を早回ししたところで、どうにかなる距離でもなかったけれど。

 横を向くと、愕然とした顔の♀クルセ。案の定だった。
 そんな彼女に、瞬時に♂ローグは思考を切り替える。

「馬鹿。落ち込んでる暇なんざねーだろ、行くぞっ!!」
 一喝すると、再び彼は走り出す。
 少し遅れて、正気に戻ったらしい彼女が続く。
 鋭い語調は、自らに渇を入れる為でもあった。

 今ならば。きっと間に合う。
 ♂ローグは、自らの希望的観測を信じる事にした。

 ──そう。何時だって、失敗は人につきまとう。
 そいつに目をつけられた人間に取るべき道は二つ。
 食い殺されるか、立ち向かうか。

 彼は、後者を選び、♀セージ達と合流するため、石畳の上を走った。


<♂ローグ 状態装備に変化は無し ♀セージ達と合流すべく向っている>
<♀クルセイダー 同上>

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