稚内空港に着いて、輪行袋をもって外にでると、とてもカラっとしたさわやかな風が吹いてきた。さすが北海道。夏なのに全然じめじめしていない。

空港の外で知らない人が輪行解除をしていた。
いつもの自分なら、伝家の宝刀「HI☆TO☆MI☆SHI☆RI☆」を発動して、できるだけ遠くで輪行解除をしていた。しかし、これから長い長い1人旅の始まりである。できるだけ多くの人と話をしてみたかったし、自分から話しかけないと一カ月以上誰とも会話できない可能性もある。
そう思って勇気をだして隣に行き話しかけてみた。

話を聞くと、なんとその人は筑波大のサイクリング部の三年生の山田さんという女の子で、夏合宿の一人プレを始めるところだったようだ。
こんな最果ての地で、お隣の県の大学の3年生のしかも女の子に偶然あうとは……。
しょっぱなからこんなことがあると、「ひょっとしら、この旅でいろんな女の子と出会えるんじゃね?」という期待が膨らむ。フヒヒ。





















ちなみに同年代の女の子との出会いはこれが最初で最後であった。



その後、山田さんとお別れをして、宗谷岬に向かった。

宗谷岬は、正直想像より迫力にかけたが、ここが日本最北端の地か……と思うとなんだか感慨深かった。

ところで、今回の旅はかなりの貧乏旅行になる予定だったので、出発前に数々の節約の策を練った。

例えば
  • ご飯は基本食パン。朝はジャムで夜はコロッケとかはさむ。お昼だけは外食。
  • 洗濯は洗剤と折りたたみ用のバケツを用いて手洗いする。
  • お風呂はたまにしか入らす、基本的には水道でなんとか頑張る。
などである。(ちなみにあまりに過酷だったのですべて三日以内に断念している。)


ということで、0日目は宗谷岬にテントを張って寝るつもりだったので、最北端の車いす用のトイレでこっそり体を洗ったのだが、水を体にぶっかけた瞬間、自分の計画がいかに浅はかであったかを思い知った。

いくら夏とはいっても冷水である。おまけに最北端である。寒くないわけがない。
しかし近くに銭湯はないので、体に水をぶっかけるたびに喘ぎ声を上げながらお風呂を終えた。

もちろん翌日以降はほぼ毎日銭湯か温泉に入った。


そしてその後、最北端で食パンをかじって、近くにいたライダーの人とちょっと話してから寝た。
なんだかひどくわびしい気持ちになった。
こんなんでいいのかなぁ……。






ここから日本縦断スタートです。
あんまし記憶にない日は適当に書いて飛ばします。




7月28日
1日目:宗谷岬→羽幌町
157km

この日はひたすら走った。
とにかく北海道の道が綺麗だったのを覚えている。
噂には聞いていたが、信号がほとんどない。

おまけに追い風も吹いていて、死ぬほど気持ちよかった。
そしていたるところにマシュマロを発見した。

道路に草の塊が転がっていた。


羽幌町の道の駅にテント張った。

洗濯ものはこんな感じで干した。

道の駅で出会ったキャンピングカーのおじさんと話をして、食パンをかじって寝た。
初日にして、食パンで旅を続けるのは不可能だという結論に達し、札幌でバーナーとコッヘルを買うことを誓った。

7月29日
2日目:羽幌町→秩父別町
99km
朝おじさんがゆで卵をくれた。
嬉しかったが、塩かマヨネーズがほしかった。ほんとに。
留萌でお昼を食べた。

堀北真希がドラマの撮影にきていると聞いて、見に行こうと思ったが、よく考えたら誰か知らなかったのでやめた。

温泉が気持ちよかったのを覚えている。

7月30日
3日目:秩父別町→札幌市
120km
札幌に住んでいる高校時代ラグビー部だった時の友達の家に向かってひたすら走った。
途中、コンビニの駐車場の入り口から両手を振っている若い人が見えたので、なんだろうと思って停まってみた。するとその人は
「僕も3年前に大学を1年休学して、自転車で日本一周をしたんだ。その背中の文字をみてたらなんだか懐かしくなっちゃって……」と言いながらコンビニの袋に入った差し入れをくれた。
どうやら僕が走っているのをみて、コンビニに先回りして差し入れを買ってくれたらしい。
僕はちょっと泣きそうになりながらお礼を言った。
ちなみにその人が僕が日本縦断しているとわかったのは、こんな服を着ていたから。

今は僕の部屋に飾ってある宝物のひとつになっている。

そして札幌につき、大学の友達のおすすめのラーメン屋に行ってラーメンを食べた。
疲れた体に濃厚なスープが染み込んで、死ぬほど美味しかった。

その後、友達の家にとまり、別の友達も呼んで北海道の観光名所とかをいろいろ教えてもらった。

そして太ったことをめっちゃ馬鹿にされた。

実は今回の日本縦断の大きな目的の一つに「痩せる」というのがあった。

こうみえて中学・高校時代は痩せていたのだ。
もともと高校でラグビーをやっていたころに一日5食食べていたのだが、部活を引退して受験生活に入っても同じ量食べ続けてしまい、大学入学の頃には20キロも太ってしまった。
立派なデブの出来上がりである。
何度が減量を試みたが、自己管理能力が無さ過ぎて全て失敗に終わった。

↓ちなみに痩せていたころのつぶき(中学時代)
最終更新:2011年11月18日 02:48