「blog/2006年06月11日/回答(2)」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

blog/2006年06月11日/回答(2)」(2006/06/11 (日) 05:47:19) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

#blognavi カオさんは今、ネット環境にないらしいので……先に進めさせていただいて、仕方ないじゃないかと。 前回の僕の書き込みは、最初に投稿してから二時間くらい推敲して修正しましたので、もし2時から4時くらいで見ていただいていたら、内容の再チェックをお願いします。 以下、ヒナタ氏への返答。 ・完成度を上げられると思う具体的な理由 「崇高なる孤独よ、それは寂しさの深さに比例する。」 たとえば、この文章を説明してください。説明なしには僕には理解できません。単独の文章としては素敵です。でも前後のつながりの中で理解できないんです。前後のどこに孤独の崇高さについて書いてあるんですか? 「これほどまでに人のぬくもりをあれほど温かいと思ったことはなかった」 同じ文章の中に、「これほど」「あれほど」は違和感を感じます。「あれほど」っているの? 「いろいろなものが色褪せるこの季節には、その様がしっくりと馴染んでいるように感じた。 」 たとえば、これはポジティブな文章のように感じます。ネガティブな言葉(痛み、後悔、失った、いたたまれない、etc.)を並べて、その次の段落もまたネガティブなことについて書くのに、ここでポジティブにすると流れを失いませんか。 「淋しい」「寂しい」 僕は、字面で「誰かがいなくてさみしい」時は「淋しい」を、「寂滅為楽と響くなり」(平家物語)のような無常観を表したい時は「寂しい」を使うことにしています。今回の作品で、ヒナタ氏が混在させる理由が僕には分かりませんでした。 とりあえず、1パートの最初の方から拾い出しました。全部のパートから全部言うのは無理です。 ・その先 小説で書きたいけど書けなかった、って言ってるものを小説のジャンプ力もなしに書け、と? 厳しい質問を気軽に……ぶつぶつ。 今回の場合は、ふたり(あるいはそれ以上)の人間が関係することで、それぞれが変わっていくことを書きたいと思っていました。旧版では、僕と津坂さんがおつきあいをしています。物語として完成度を低くしそうだったからカットして、妄想で津坂さんが僕に助けを求めるだけにしたけど、本当は僕が現実と向き合うところを書くべき話だと思っています。「つまらないけど、放っておけ」の僕の、その先です。「つまらないけど、他人のいる現実を生きる」って感じでしょうか。 本当に書きたいのは、世界がどうやってできているかについてです。どうして人は生きていけるのか。そっちは、もっと準備をしてから答えさせてください。 ・つまらないけど、放っておけ。 「けど」なのは、「つまらない」なんていつまでも言わせるつもりはないからです。「つまらない」なら何かするべきです。でも、今は放っておいて欲しいんです。だから逆接「けど」です。それでいいでしょうか? 「つまらない」ことを肯定するつもりなんか全然ありません。そんなことを肯定しているひとを許容するつもりもありません。ただそれを肯定するだけの作品を評価するつもりもありません。 #right{ カテゴリ: [[[io>blog/カテゴリ/io]]] - &trackback() - 2006年06月11日 05:08:07 } #blognavi
#blognavi カオさんは今、ネット環境にないらしいので……先に進めさせていただいて、仕方ないじゃないかと。 事務連絡2件。 ・前回の僕の書き込みは、最初に投稿してから二時間くらい推敲して修正しましたので、もし2時から4時くらいで見ていただいていたら、内容の再チェックをお願いします。 ・質問文には理由を添えてもらえないでしょうか。それが大事だと思っているからなのか、少し気になったレベルなのか、こちらのミスだと思われているのか、答えるときに前提が知りたいのです。 以下、ヒナタ氏への返答。 ・完成度を上げられると思う具体的な理由 「崇高なる孤独よ、それは寂しさの深さに比例する。」 たとえば、この文章を説明してください。説明なしには僕には理解できません。単独の文章としては素敵です。でも前後のつながりの中で理解できないんです。前後のどこに孤独の崇高さについて書いてあるんですか? 「これほどまでに人のぬくもりをあれほど温かいと思ったことはなかった」 同じ文章の中に、「これほど」「あれほど」は違和感を感じます。「あれほど」っているの? 「いろいろなものが色褪せるこの季節には、その様がしっくりと馴染んでいるように感じた。 」 たとえば、これはポジティブな文章のように感じます。ネガティブな言葉(痛み、後悔、失った、いたたまれない、etc.)を並べて、その次の段落もまたネガティブなことについて書くのに、ここでポジティブにすると流れを失いませんか。 「淋しい」「寂しい」 僕は、字面で「誰かがいなくてさみしい」時は「淋しい」を、「寂滅為楽と響くなり」(平家物語)のような無常観を表したい時は「寂しい」を使うことにしています。今回の作品で、ヒナタ氏が混在させる理由が僕には分かりませんでした。 とりあえず、1パートの最初の方から拾い出しました。全部のパートから全部言うのは無理です。 ・その先 小説で書きたいけど書けなかった、って言ってるものを小説のジャンプ力もなしに書け、と? 厳しい質問を気軽に……ぶつぶつ。 今回の場合は、ふたり(あるいはそれ以上)の人間が関係することで、それぞれが変わっていくことを書きたいと思っていました。旧版では、僕と津坂さんがおつきあいをしています。物語として完成度を低くしそうだったからカットして、妄想で津坂さんが僕に助けを求めるだけにしたけど、本当は僕が現実と向き合うところを書くべき話だと思っています。「つまらないけど、放っておけ」の僕の、その先です。「つまらないけど、他人のいる現実を生きる」って感じでしょうか。 本当に書きたいのは、世界がどうやってできているかについてです。どうして人は生きていけるのか。そっちは、もっと準備をしてから答えさせてください。 ・つまらないけど、放っておけ。 「けど」なのは、「つまらない」なんていつまでも言わせるつもりはないからです。「つまらない」なら何かするべきです。でも、今は放っておいて欲しいんです。だから逆接「けど」です。それでいいでしょうか? 「つまらない」ことを肯定するつもりなんか全然ありません。そんなことを肯定しているひとを許容するつもりもありません。ただそれを肯定するだけの作品を評価するつもりもありません。 #right{ カテゴリ: [[[io>blog/カテゴリ/io]]] - &trackback() - 2006年06月11日 05:08:07 } #blognavi

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
目安箱バナー