もうじき僕は歌わない。@Wiki

io01

最終更新:

匿名ユーザー

- view
管理者のみ編集可
05/11/21 夜の部の書き込み。
元ファイルは解釈(2)。長くなりそうなので、別ファイルに切り離しました。

まず、奥田美和子について書きます。
ご存じの方も多いかもしれないけれど、柳美里プロデュースの「青空の果て」が「ヤンキー母校に帰る」に使われて有名になった歌手です。
今回取り上げるのは、柳美里プロデュースの2枚目のシングル。「歌う理由/はばたいて鳥は消える」。
(引用はすべて、必要部分の抜粋です。)

歌う理由

あなたがここにいれば
何ひとつ歌うことはなかった
私は何ひとつ 歌わなくても良かった
あの夜 あなたはいなくなった
声が口からあふれ出した
両手で押さえても止められない
悲鳴のように嗚咽のように
私は歌う
二度と笑うことはできないから
私は歌う


はばたいて鳥は消える

雨のように絶望は降る
雨のように降り止むことはない
僕は雨を歌う
僕は絶望を歌う
はばたいて鳥は消える
歌って声は消える
青空に吸い込まれて消える
時の彼方に消える
僕は歌う
僕が僕であるために
僕は歌う
僕が君に紛れないために



これ、二曲とも、好きだけど僕の中で居心地が悪い曲です。

あなたがいれば歌う必要はない、ということは、幸せなら歌わなくていい、ということ。
二度と笑うことはできない、だから、歌うことは止められない。

昨日、僕が書いた「歌う=生きる」を含みつつ、もう一段階上の「不幸=歌」の構図。
「不幸=歌=生きる」。
これが数学なら「生きることは不幸なことだ」とか「死は幸せ」とかになるのかもしれません。

でも、とりあえず、ものかきにも覚えがありますよね?
書いていることは幸せなのか、不幸なのかって。

書いていれば幸せとか、生きているなんて思うな、と。



せっかく別ファイルにしたので、もうひとつ、コクトーの詩集から、僕の好きな詩を。
たぶん好きな理由は、読んでいただけば一目瞭然です。

哀れなジャン

白鳥が驢馬に言うよう、
君よ、心あらば、
喨々とこそは死ね。



喨々とは「ほがらかなさま」だそうです。
当然、ここで問われるのは、僕は白鳥なのか驢馬なのか、ということ。
ヤンキーなのかモンキーなのかドンキーなのか。

「白鳥は悲しからずや」若山牧水



昨日、書いた「もうじき僕は歌わない。」の分析項目に、もうひとつ追加です。
僕は、いつから歌っているんだ?




で、これをどうやって小説に落とし込むのか。

ブログに戻る

目安箱バナー