国家社会主義の綱領-第ニ章-第三節


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第二章


第三節 治安維持


現憲停止


 まず、祖国復興のために最初に着手すべき緊急の課題は、治安維持です。日米が財政破綻した際には、社会の大混乱が予想されます。国の破産というのは、明確に有事です。そのため、この事件は震災のような物だと見なすのが適当です。もちろん、日本国民の暴動も想定されるのですが、それだけでは済まされないでしょう。なぜなら、日本の破産の混乱に乗じて、北朝鮮の工作員がテロ活動をする事が想定されるからです。これはあくまで可能性に過ぎないのですが、十分想定されうる事態です。したがって、最初期の課題は工作員のテロ活動の抑止にあります。また、この北朝鮮のテロ活動は、日米安保の枠組みを堅持したい日米両政府の思惑によって行われる自作自演の茶番劇である可能性があります。その場合には、致命的な破壊にまで至る事はあり得ません。そのため、余り恐れすぎずに鷹揚に構えておくべきです。
 しかし、こういった経済破綻、テロ活動に対して、現行の日本国憲法の規定では対応が不可能です。なぜなら、日本国憲法においては有事の想定が設けられてないからです。残念ながら、今の日本人は日本国憲法の枠組みの中でしか思考を組み立てられない傾向があります。しかし、恐らく国が破産した際には、事態の収拾のために軍が動くほか無いのです。一応、憲法上は文民統制の原則があるので、内閣総理大臣が自衛隊の指揮をとるとされています。しかし、治安維持のためには緊急事態宣言を発動し、憲法停止による一連の超法規的処置の実施は不可避です。もちろん、混乱期を過ぎれば憲法と議会を回復させる事を目指すのは言うまでもありません。
 その超法規的処置の内容は、公安警察による国民生活の監視、検閲による言論統制、インターネットの一時停止、自衛隊による治安出動などです。特に、貯水池や変電所といった重要施設の警備と、原子力発電所や核処理施設の警備は最重要です。したがって、関西電力の原発の集中している若狭湾は、最重要地域になります。仮に若狭湾の原発が破壊されれば、放射能汚染で日本海側は人が住めなくなります。加えて、近畿地方への電力供給が停止してしまいます。そのため、五つある海上自衛隊の母港の一つである若狭湾の舞鶴港は、近畿地方における最重要の防衛拠点となります。
 また在日米軍との連携のために、関東地方では恐らく神奈川県のキャンプ座間から自衛隊の指揮がなされるはずです。なぜなら、キャンプ座間には米軍の最高司令部と自衛隊の中央即応集団という新部隊の司令部が設置されているからです。この中央即応集団とは、2007年3月28日に新防衛大綱策定により創設された、陸上自衛隊の新部隊です。これは「中即団」(ちゅうそくだん)との略称をつけられており、防衛大臣直轄の機動運用専門部隊です。現在では、この部隊の司令部は東京都練馬区の朝霞駐屯地に置かれています。これは、各種緊急事態が発生した際に迅速に行動・対処する為の部隊として創設された部隊です。この部隊では、機動運用部隊(第1空挺団・第1ヘリコプター団)や専門部隊(特殊作戦群・第101特殊武器防護隊など)を一元的に管理・運用する事となります。この各緊急事態とは、財政破綻時における工作員のテロ活動を指しているはずです。この中即団の創設時の人員は約3,200名で、2008年3月に隷下部隊が全て発足すると人員は約4,100名となる予定です。当然、配給を担当する補給部隊は別にありますので、この中即団は最精鋭の対ゲリラ空挺部隊です。そして、ここが最重要なのですが、中央即応集団の司令部は、2012年までに朝霞駐屯地から、米軍の最高司令部のあるキャンプ座間に移設する予定となっております。この部隊の存在と今後の移設計画は、日米がデフォルトを宣言した際の、治安出動を念頭においているのではないでしょうか。
 恐らく、こういった有事における対応マニュアルは非公開ながら、既に完成しているのではないかと私は推測しています。例えば、現在の日本の有事法制においては非常事態宣言が規定されていないのですが、実際の有事に備えて政府内では非常事態宣言が規定されているのではないでしょうか。それどころか、日米両政府は既にデフォルトの対応マニュアルを水面下で完成させていると、私は推測しています。現実の有事の際には、米政府からも強権が発動されるため、大方の予想よりも遥かに迅速な対応がなされてもおかしくはありません。そのため、この日本の破産に伴う最初期の社会的な混乱は、恐らく数ヶ月以内に収束するでしょう。
 しかし、工作員のテロ活動の抑止に成功しても、その次にはハイパーインフレが日本を襲います。また、前述の通りヘッジファンドに代表される投機マネーの動きが活発すぎるため、混乱に乗じて恣意的に相場を乱高下させられます。これによって貨幣価値が暴落してハイパーインフレが加速するため、国民生活の混乱と窮乏は避けられなくなります。ハイパーインフレで刻々と物価が暴騰するため、通貨価値が下がる前に国民が品の買い占めを行います。したがって、急激に品不足が進み、物価高で生活が逼迫してくる事が予想されます。恐らく短期間のうちに、現在流通している通貨は紙切れになります。
 したがって、国民生活の保護のために各種の私権への制限が行われるはずです。具体的には、インフレ抑止のために市場原理を一時的に凍結処分する事が考えられます。現に、米国ではサブプライムローンの焦げ付き問題に対処するため、2007年11月30日にブッシュ政権が金利の凍結処分を決定した前例があります。恐らく、日米の破産時には市場原理の凍結処分がさらに包括的に行われるはずです。その内容は、預金封鎖、物価・株価・地価の一時的な凍結、生活物資の配給です。もちろん全て違憲行為です。これらの処置を法的に見れば、私有財産権と国民主権という日本国憲法で規定された原則が破られてしまうと言う事です。すなわち、ナポレオン法典によって確立された近代的な私有財産権が瓦解するのです。これは実質的なファシズム化であるとと言わざるを得ません。しかし、どうしても国民の生活保護のために、一時的に市場経済を凍結させた上で、統制経済に移行するのは避けられない事です。
 そして、通貨が完全に紙切れになって流通が麻痺すれば、政府による生活物資の配給に頼らざるをなくなります。そのために、自衛隊の補給部隊が全面動員される事は間違いありません。これは震災時における自衛隊の補給活動と全く同じものです。この配給物資の供給源としては、米国が食糧援助が期待できます。なぜなら、米国はモンロー主義に回帰するまでのしばらくの間は、日本の支配権を維持したがるはずなので、日本に対して食糧支援を行う事が予想されるからです。そもそも、日本に輸出しなければ米国の国内で小麦が余ってしまうだけです。加えて、戦後の日本は一度も戦争をやっていないため、国際的な支援が期待できます。これまでODAという形で世界中の貧困国に多大な支援を行ってきたため、他国から食糧援助などが施される事もありえます。具体的には、財閥系の商社がタイ米を日本政府に卸す仕事をするでしょう。つまり、日本は資源小国でありながらも、意外に海外から生活物資を調達する道が残されているのです。したがって、政府からの配給で最低限のカロリーを摂取する事は恐らく可能です。
 そして、最初期の混乱が沈静化した後には、若狭湾からロシアと貿易を行い、生活物資をロシアから調達する手段が考えられます。したがって、闇市で取引される生活物資は、主にロシアから輸入して来た品になる事が予想されます。そのため、闇市での取引は、ユーロかルーブルの外貨建てで行われるようになるでしょう。加えて、若狭湾から輸入した物資は交通の都合上、神戸市を拠点にして全国に分配されるため、この利権は山口組のものとなるでしょう。また、神戸市民は1995年に阪神淡路大震災を経験しているため、緊急時において迅速な対応をとられる事が期待できます。ちなみにロシア人も98年にデフォルトした際に、ダーチャと呼ばれる別荘で家庭菜園を開いて生き延びた経験があります。また、都市農業をやるべきだという声もありますが、この手段では十分な作付け面積を確保できないため、恐らく自給は不可能です。したがって、初期の混乱が治まった後には、日本海側の過疎地に集団疎開し、国営農業を開いて組織的に農業をやる案が考えられます。この日本海側への人口移転と国営農業の計画は、第九章から最終章で詳細に説明していますので、ここでの説明はこれまでにします。
 最後にこの節で触れておきたいのが、ハイバーインフレが日本人にもたらす精神的な影響についてです。前述の『エコパズムー発作的経済危機』で紹介されている逸話ですが、ジョージタウン大学の精神病学者ウィリアム・フリン氏によると、インフレは「潜在していた性格パターンの誇大化」を引き起こすと言います。したがって、ハイパーインフレの状況下においては、日本人の潜在的な性格パターンが顕在化するでしょう。日本人の文化結合症候群として知られているのは、対人恐怖症です。したがって、経済破綻によって極度に自信喪失した日本人の多くは、神経過敏から精神的な自閉状態になる事が考えられます。例えば、配給の列に並んで食糧を受け取った後に、そのまま自宅にこもり切りになり、一歩も外出できなくなるかもしれません。これを放置しておけば、自殺などへとつながる恐れがあるため、周囲の人々は細心の注意が必要です。これを放置しておけば、自殺などへとつながる恐れがあるため、周囲の人々は細心の注意が必要です。
 恐らく、現実に経済破綻が起こった際には、人生に絶望した人々による集団自殺が頻発する事が考えられます。どういても、失業率の上昇に比例して、犯罪率と自殺率が爆発的に上昇する事は必然的に避けられません。しかし、混乱期において日本人が米国市民のように銃器で武装して殺し合いをする事は、日本人の国民性からしてまず考えられません。加えて、日本人は環境適応が素早くできる性質があるので、配給の列に並ぶの事にはすぐに慣れるはずです。つまり、ハイパーインフレの状況下においては、日本人の従順さ、温厚さという長所が前面に出てくるでしょう。

旧憲恢復


 財政破綻の混乱で、現行の日本国憲法は実質的に死文化してしまいます。その後には、なるべく速やかに憲法を回復させねばなりません。しかし、急激に変化した国際情勢の中において日本国憲法は有効なものではありません。なぜなら、武力放棄を規定した日本国憲法はあくまで日米安保と連動したものだからです。したがって、米国の崩壊で仮に日米安保の枠組みが崩れてしまった場合には、米国の核の傘が期待できなくなるため、日本は憲法の面でも見直しが迫られる事となります。また、日米安保の破棄は、国家破産後にすぐ起こる事ではないので、時間的猶予があります。そのため、国家破産後には、憲法の見直しをするために、国民全体で今後の憲法のあり方について議論をし、確固たる合意を形成させる必要があります。 
 財政破綻後の混乱から、秩序を回復させるためには、権威主義的で安定した政体が必要です。第一節で主張した通り、私は幕府制度が最適な政体であると考えています。その幕府制度的な政体を法的に正当化する上で、戦前に施行されていた大日本帝国憲法は非常に有効です。なぜなら、大日本帝国憲法はプロイセンの欽定憲法を模倣して編纂された法体系だからです。したがって、現憲法が死文化した後には、議会において法的手続を踏んだ上で、旧憲法を回復させるべきです。しかしながら、内容は時代に合わせて抜本的に改訂するべきです。この大日本帝国憲法の問題点は、天皇主権の形式性にあります。実は、戦前の政治においても現実の政治に関する技術的問題などについては、陛下を輔弼する枢密院が最終的な判断を下していました。また、軍の統帥権が陛下にあるか、それとも陛下の周りに居る重臣にあるかという統帥権干犯問題は、二・二六事件の遠因にもなりました。現実には、戦前から陛下は象徴的な存在であり、政治に直接関与した事はほとんど無かったと言われております。したがって、法的な枠組みはほぼ同じものをとりながら、別の政体を目指すべきです。第二章の冒頭部で説明した通り、私が理想とする政体は、鎌倉時代から続く日本の伝統的な政体です。すなわち、朝廷の天皇が権威となり、幕府の征夷大将軍が現実の政治を執り行う体制です。それに倣って、天皇は国家統合の象徴とし、幕府の征夷大将軍に近い地位の身分を築くべきであると主張します。これは前述の復幕運動です。そして、大日本帝国憲法における権限を、その征夷大将軍に値する者に付与すべきであると主張します。
 具体的には、強大な行政権を持つ大統領制を導入すべきです。そして、この大統領に大日本帝国憲法における天皇と同じ法的な権限を与えます。したがって、軍の統帥権はこの大統領に与えられます。それに加えて、大統領に十分な行政権を与えるために、戦前並みに中央集権的な体制を敷く必要があります。現在の日本の省庁は国益より省益を優先するセクショナリズムの弊害が顕著であるため、各省庁を統合する総務省の権限を拡大し、総務大臣を大統領の直轄下におく事で、強大な行政権を与えます。この一連の行政改革により、半ば帝政に近いほどの権限を持った大統領制が実現されます。もちろん、大統領は独裁者ではないため、当然、議会と裁判所から弾劾される可能性を持った存在です。しかし、現在の内閣総理大臣とは比べ物にならないほど強大な行政権を執行できるため、より大胆な政治を行う事が出来る事になります。これらは丁度、現在のプーチン政権の政体によく似たものです。
 この大統領は直接選挙を通じて選任され、任期は四年とし、三選を禁止します。加えて、三選した後に院政を敷く体制を築くために、大統領による後継者の指名権を法律で認めます。しかし、大統領の直接選挙は戦前のように制限選挙で実施すべきです。まず、現代の民主主義では普通選挙が実施されています。この普通選挙とは、最大多数の最大幸福という功利主義が論理的支柱です。したがって、現代の民主主義では、馬鹿も利口も同じ一票とされています。しかし、満足に政治的な判断能力のない人々にまで参政権を与えると、衆愚政治の罠に陥るだけです。そうなれば、全く功利主義的ではない政治が選択されて民主主義が自殺に走る事になります。したがって、衆愚政治と民主主義の自殺を予防するために、制限選挙にすべきです。しかし、制限選挙も戦前のように納税額を基に参政権を与えて実施するのではなく、現代風に改訂するべきです。具体的には、投票前に一般常識テストを課して、獲得した得点に比例して票の数を割り振る事が考えられます。
 また、旧憲法を回復させる事は、当然ながら再軍備も意味します。非現実な非武装中立論や軍事アレルギーによって、現在の自衛隊には国防軍として然るべき名誉が与えられていません。そのため、その不満が原因で、現在の自衛隊では陰湿なイジメが横行しています。私はこういった我が国の国防の現状は間違っていると考えます。所詮、非武装中立論などは単なる幻想であり、憲法第九条は日米安保によって守られて来たに過ぎません。しかし、将来的には米国の破産によって軍縮が進められ、日本は米国の核の傘を失う事が考えられます。それが現実のものとなれば、日本は中露脅威に晒される事となります。中露脅威を見くびってかかり、軍事と戦争を全てタブー視するのは明らかに誤っています。したがって、国防のために再軍備に関する議論を進めねばなりません。これからの日本は、自国を防衛できるたけの一人前の軍事力を持ち、国家として独り立ちせねばなりません。ちちろんそれだけではなく、戦争を想定して、それを早期講和に持ち込むか回避するための外交も求めらます。したがって、この旧憲法の回復とは、米国からの軍事的な独立を意味する行為であると言えます。
 しかし、こういった法的処理や再軍備は非常に大きな困難を伴うため、生半可な覚悟では実行できません。なぜなら現行の法体系や行政慣行を一度完全に覆す事になるからです。厳密な法的手続を踏まねば旧憲法の回復は不可能ですが、戦前の大日本帝国憲法に精通した憲法学者も数が限られています。しかし、一度死んだ法体系を甦らせた試みは過去にあります。それは、近代のドイツにおいてローマ法大全を復活させた例です。大陸国家のドイツは、自衛のために常備軍を整備する必要があり、その上で厳密な行政法に基づいて運営される官僚機構を築かねばなりませんでした。したがって、ドイツはその官僚機構の構築のために、同じ官僚国家であった東ローマ帝国で過去に編纂されたローマ法大全を復活させて導入した過去があります。この例に倣って、核の傘が無くなった後の日本でも、旧憲法を復活させる試みを行い、大統領制を通じた疑似的な幕府制度を導入するべきです。この旧憲法回復以後、国家社会主義の本格的な導入が推進される事になります。

綱紀粛正


 次に、法治主義の重要性を強調させて頂きます。なぜなら、法の遵守は国家の礎であり、復興のためには法の正義を取り戻す事が急務だからです。何より、国家破産の混乱から立ち上がるためには、第一に社会秩序の再建が求められます。したがって、旧憲法回復の後には綱紀粛正を最優先課題とするべきです。そもそも、個人の自由と、無秩序な混乱は全くの別物です。現代の日本社会の風紀紊乱は明らかに常軌を逸しています。そのため、社会秩序を乱す犯罪に対しては、厳粛な法の裁きを下すのは当然の事です。何よりも、国家を運営する側の綱紀粛正が最優先課題です。言うまでもなく、公金横領や天下りは、国家権力の腐敗です。国家権力の健全化を図るために、こういった役人の不正は断罪すべきです。そして、今後の官僚と代議士は国民に身を範を示すため、厳格に法を遵守せねばなりません。つまり、法を執行する国家の側から、気を引き締めていかねばならないのです。
 これを手始めに、刑法に抵触する各種の微罪に対しても処罰を下し、風紀の乱れを正さねばなりません。まず、名誉毀損に対して、現在の日本の司法はあまりにも寛容すぎます。そもそも、言論の自由と事実無根の誹謗中傷とは全くの別物です。これは名誉や信用といった目に見えないものを高く評価しない慣行に問題があります。しかし、信用は社会での生活に欠かせないものであり、基本的人権の尊重のために、個人の信用保護を行うのは国家の義務です。したがって、刑法230条の名誉毀損罪、刑法231条の侮辱罪を厳しく施行し、社会全体の引き締めを図るべきです。また、民事不介入の原則によって、家庭は聖域とされて来ました。しかしなら、近年の児童虐待や家庭内暴力に見られるように、家庭内でも刑事罰の対象になる事件が多発しています。そのため、児童を虐待した親に対しては、児童虐待保護法に基づいて裁判所は親権停止処分を下すべきです。そして何より、児童保護施設を拡充し、国が非虐待児童を責任もって保護育成する体制を完成させねばなりません。
 次はサラ金とパンチコの禁止です。そもそも、刑法第185から187条において、賭博は禁止されています。また、利息制限法で15%以上の利息をつけて貸し付けを行う事は禁止されています。したがって、正式な法的続きを踏まえて、サラ金業者とパチンコ業者を廃業させるのは、日本政府に課せられた当然の法的責務です。これらサラ金業界やパンチコ業界がスポンサーとなっている民間放送局にも、規制をかけるべきです。まず、放送コードの厳格化を実施し、青少年の育成上好ましくない内容の番組は、放送を自粛させるべきです。これは言論弾圧などではなく、社会的利益を伴う正当な判断であり、その法的根拠は十分にあります。特に、深夜番組における性的描写に対する規制は急務です。また、法の正義とは平等主義にあります。法の下の平等は近代法の原則であるため、例外や特権などは決して許されてはなりません。そのため、在日朝鮮人への各種の特権や、宗教法人への非課税特権などは即刻廃止すべきです。こういった形で、まずは厳格な法の裁きを通じて、罪に対しては然るべき罰を与え、綱紀粛正を図るべきです。
 ちなみに、売春を禁止する法律はそもそもお仕着せのもので、日本人が自ら作ったものではありません。1946年にGHQが民主化の一巻として公娼廃止指令を出し、1958年の売春防止法の施行によって、吉原は潰されてしまいました。彼ら米国のエリートがこういった売春を禁止した背後には、プロテスタンティズムにおける禁欲主義的な価値観が根底に横たわっています。しかし、この GHQの政策は余計なお世話です。我が国の風土を理解しないよそ者に、我々の風俗に対してまでとやかく言われる筋合いはありません。現在の日本では、建前上は売春は禁止されていますが、現実には風俗店という形で売春宿はいくらでもあります。法的には「風呂屋」との事ですが、女が身体を売る風呂屋を売春宿と呼ばずして何と呼ぶのかと思います。私は、こういった売春を禁止する法律自体がそもそもバカげていると考えます。
 そのため、綱紀粛正の以後は、法律を改正して売春と賭博を公認するべきです。なぜなら、売春と賭博は人間が人間である限り、永遠に求め続ける普遍的な娯楽であるため、法で禁じても必ず地下で行われるからです。そもそも、遊びや快楽を禁じた社会ほど不毛なものはありません。遊びを通じて快楽を求めるのは当たり前の事であり、全く悪い事ではありません。加えて、呑む打つ買うは遊びの基本であり、こういった庶民の風俗が日本の伝統文化の一翼を担ってきた側面もあります。特に、江戸時代における日本人の性の開放性は世界でも有数のものでした。成功者は、妾や芸者を囲うのが日本の伝統文化です。その中で、遊びを取り仕切るヤクザの存在は庶民の憧れでもありました。私はそういった日本の伝統的な風俗は全く間違ったものだとは思いません。
 これからは、若者にカネが回る経済構造をつくり、若者を遊ばせる事で消費を促し、おおいにヤクザを稼がせるべきです。極端に言えば、ヤクザが儲かるほど日本の経済は活気づきます。したがって、売春と賭博については法律で公認して明確な規定を築き、庶民の娯楽として堂々と表でやるべきです。具体的には、行政が指定した地区で、売春と賭博を法律で公認し、暴力団に自治権を与えて経営させる案が考えられます。すなわち、赤線を復興し、安土桃山時代に始まった遊郭の伝統を復活させるべきです。もちろん、ヤクザの盆も堂々と開くべきです。また、売春や賭博といった遊びにも伝統的な作法があり、それに本格的にのめり込むだけにはそれ相応の覚悟が必要です。そのため、ヤクザの経営する本格的な賭場で、花札や半丁博打をやる覚悟のない半端者は、最初から賭博などにはに手を出すべきではありません。(かく言う私自身が半端者なので、本格的に賭博にのめり込むだけの勇気はありません。)総論すると、遊びの場にもルールがあるため、遊びにおいても伝統的なルールも復興し、大人が本格的に愉しめる遊郭と賭場を復活させるべきであると主張します。

国連協調


 国政の場において法治主義を貫くのみならず、外交の場においても国際法の遵守を徹底すべきです。ここで強調しておきたいのは、私は軍国主義ですが、同時に反戦主義であるという点です。なぜなら、戦争は双方にとっての不利益にしかならず、当事国とは関係ない第三国を武器輸出で稼がせるだけの結果に終わるからです。そのため、原則として戦争は極力避けるべきです。したがって、国連協調主義は今後も貫き、国際紛争は国連を通じた調停で極力穏便に片付けるべきです。例えば、日本と韓国との間で争われている竹島の領有問題は、オランダのハーグに置かれている国際司法裁判所で決着をつけるべきです。これには確固たる態度を示して、公式に国際的な調停に出席させる必要があります。なぜなら、この問題に関しては、国際法に照らし合わして見て、日本側の主張に明確な正当性があるからです。
 また、米国の覇権失墜に伴う国際情勢の変化により、これからは国連の再編も求められる事になるでしょう。まず、今後は国連において中露と欧州の発言力が強くなります。その一方で、英米の発言力は相対的に弱体化するでしょう。そのため、国連本部はオランダのハーグに移転されるのではないでしょうか。なぜなら、ハーグには国際司法裁判所と国際刑事裁判所といった国連機関の中でも最重要の機関が置かれているからです。この潮流の中で、国連の中での日独の扱いにも変化が生じるはずです。元々、国連の常任理事国は戦勝国である連合国によって築かれたものです。そのため、大戦中に枢軸国であった日独は、大きな国力を持つにも関わらず常任理事国入りは拒否され続けました。しかし、西側世界の指導者であった英米の覇権が失墜し、一方で東側世界の二大勢力であった中露の勢力が増大すれば、日独を邪見に扱う事は出来なくなります。なぜなら、中露の軍事的脅威の拡大は、ユーラシア大陸の諸国家にとって大きな問題となるからです。したがって、中露の軍事的脅威が拡大する結果、その抑止力として日独の軍事力が期待されるはずです。そのため、日独が安保理の常任理事国に格上げされるのは時間の問題です。
 そもそも、国連の目的とはこれはカントが提唱した集団安保体制の構築にあります。地域紛争の解決のために、多国籍軍が編成されて武力介入するのはそのためです。この地域紛争に関する事なのですが、米国崩壊後には地域紛争そのものは恐らく減少傾向になるはずです。なぜなら、これまでは米国がCIAを通じて世界での紛争を煽り、世界の警察を自称して自作自演の武力介入を行って来たからです。しかし、米国が崩壊すれば、米軍に代わって国連が国際法に基づいて、地域紛争に対して武力介入する時代が来ます。すなわち、世界の多極化とは、国連を通じた多国間協議で紛争解決をする時代の本格的な到来を意味します。そのため、国連による平和維持活動(略称:PKO)の重要性はこれまで以上に高まる事が予想されます。もちろん、これからの日本は国際社会における安全保障のために積極的な協力を行い、然るべき責任を果たす事が求められます。そして、日本が恒常的に PKOに参加する場合、憲法改正で集団的自衛権の容認が必要となります。この場合、日本国内での軍備の再編も求められるようになります。具体的には、国連予備軍を恒常的に保持しなければならなくなります。加えて、PKOに恒常的に参加するには、英語と国際法に通じた人材の確保が急務となります。
 その過程の中で、これは万一の可能性しかないのですが、国際連合が「世界政府」を目指して再編されるかもしれません。その世界政府の仕事としては、国連を通じて貧困国への福祉を積極的に行う事が考えられます。そもそも、日本が世界に対して真に範を示し、尊敬される国になりたいのであれば、これからも貧困国への援助を続けなければなりません。現在、弱肉強食の市場原理主義の名の下に、世界の貧困国では罪もない子供が次々に死に追いやられてしまっています。それらは貧困、飢餓、疫病などが原因です。やはり、先進国に生きる我々は、一杯の小麦の有り難さや、一掬いの灯油の暖かさを実感できないものです。しかし、ワクチンを接種させる事業や、最低限の初等教育を施す事業には、実は大した費用はかかりません。つまり、先進国は、そういった貧困国を一方的に搾取するのではなく、富の再分配を行って、福祉の漸進を目指すべきです。これは、ただの慈善活動などではなく、育成的な融資という意味も含まれています。仮にそういった援助を行えば、その援助は近い将来配当という形で必ず返ってくるのです。例えば、第三世界の国々から、政府レベルでの条約を締結して、安く資源を手に入れる事が出来るようになる事等が考えられます。したがって、内政において富の再分配を行うばかりではなく、外交においても富の再分配を行うべきです。
 具体的には、ソマリアやシエラレオネなど、内戦で疲弊したアフリカの最貧国においては、PKOで紛争を解決に導いた後に、国際法に基づいて、多国籍軍ならぬ「多国籍政府」なるものを設置する案が考えられます。これは当然、当事国の同意の基に行う政治介入です。この多国籍政府の内容は、一時的に国連による統治体制を築き上げ、そこで最低限の治安維持、初等教育、衛生管理、医療福祉、インフラ整備などを行い、国家としての基盤を完成させるという案です。加えて、日本国内に有り余った人材を貧困国に派遣し、現地において多国籍政府に従事させるべきです。たとえ貧困国に生きる人々であれども、相手は同じ人間ですので、互いに協力しあう姿勢が大切です。そして国家の運営が軌道に乗れば、現地人の政府要人に後の国家運営を相続して頂きます。当然ながら、政府の腐敗防止のために監視団を派遣するのは言うまでもありません。
 これは一種、同化政策に近いものですが、私はこの考えに間違いはないと信じています。なぜなら、この政策を通じて友好国を増やして行くのは、資源小国の日本にとって無くてはならない事だからです。例えば、シエラレオネは豊富な金鉱脈を持つ国ですので、政府間での協定を結んで、市場価格より安値で金資源を提供して頂ける事が考えられます。したがって、次世代のグローバリゼーションとは、市場ではなく政府主導で、全世界の人々が最低限の福祉を享受できる体制を築き上げる事ではないでしょうか。それによって、多くの国々が互いに不足している部分を補い合い事を目指すわけです。この新たなパラダイムをこの場で「世界福祉」を命名させて頂きます。福祉を先進国だけの特権とするのではなく、貧困国の人々にも最低限の福祉を保障する事によって、援助国の国益とひいては人類全体の長期的繁栄にもつながるというのが私の考えです。


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