明恵上人「あるべきやうわ」

504 名前:lambda[] 投稿日:2008/05/12(月) 18:39:05 ID:Lz8zLPyE
ま、またーりいきましょう。

妙に共通して得心いくところがあるので、思い出せないもどかしさがありましたが。
思い出しました。明恵上人です。

500
おっと、言いたいのは、資本主義の競争の要素はあるていど必須だと
一方で、あまりの格差や不公平感を緩和する社会政策も必須だと
これが、おいらの基本スタンスで、共産主義のいうような完全な平等は実現不可能と見る
だから、いまの日本の資本主義をベースにして、不具合を集約してバージョンアップを
するのが、現実的かつ確実だろうということ

こういう考え方は実のところ、非常に「日本人」らしい"感覚"だと思うんですね。
traditionalというよりもむしろcorrectiveというかcorrectnessというかなんというか。

明恵上人は「あるべきやうわ」=>「あるべきようは」と言った。
「あるべきやうに」とは言わなかった。「あるがままに」ともいわなかなった。

「あるべきやうに」であれば、思考が理想を追求する指向性を持ってしまう。
「あるがままに」であれば、思考は停止してしまう。
しかし、「あるべきようは」であれば、思考は現状を基点に中和していずれ均衡するだろう。

明恵の思想「あるべきようは」
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/1honmyou.html
そして武家社会は地方分権社会の始まりでもある。政治体制も、御成敗式目
(ごせいばいしきもく)が示すように、権力は完全に武士たちの手にゆだねられた。
「君臨すれど統治せず」の言葉どおり、天皇は権威に生きることとなる。地方分権社会と
権威に生きる天皇・・・・ここが大事なところである。さて、この御成敗式目が提示した政治
体制は、明治維新まで延々と続くのであるが、その源泉は明恵上人の哲学、
「あるべきようは」と、それを実践した北条泰時の政治によるものであった。

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最終更新:2008年05月29日 21:10
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