ユークトバニア連邦共和国の主要人物

ユークトバニア連邦共和国の観光通信にて登場するであろう人物を紹介するページである。

政治・諜報関連


  • イグナート・ジムノフ
ソ連・ユークの行く末を大きく変更させた謎の人物。主にオラーシャ・ソビエト史の影で暗躍し、レーニンやスターリンを説得し,都合よく史実ソ連よりも大規模な国力を持つ超大国にすることに大きく貢献している。外見はRGM-79 GM そのまんま。( 凸)
主な功績は何とかレーニンを説得してロマノフ皇室一家を助命して人質としてアナスタシア皇女を娶ったりして、白軍も説得してコルチャーク等の帝国軍人を生存させて、オラーシャ帝国時代からの錬度の高い将兵や海軍の技術的伝統、運用の方法などを失わずにすんだ。周りの共産党員からは裏切り者ではないかと疑われることもあったが*1、順調に革命が進んでいたことからレーニンやスターリンの名声を高めることに一役買っている。しかし歴史の表舞台には一切出てこなかったために出自は謎に包まれている。百数十年後の欧州で皇帝をやっている人物と酷似しているといわれているが真相は定かではない。

  • ロフチスラフ・マーシャルノフ
ウラジーミル・プーチンの後任者になった人物で、扶桑皇国との融和政策を図ってた大統領。オーシアのTPPや中国のAIIBに対向すべくユーラシア連合を設立しようと日々東奔西走していた。拡張されすぎた軍備予算の縮小や無駄に多い部隊の廃止・兵士の除隊を行っており、科学技術関連や社会保障にまわすなど国民の受けは良かった。しかし政府や軍部の強硬派からは弱腰と称されており反感を抱かれていた。新冷戦でオーシアに経済封鎖をされ、北方領土の返還を余儀なくされた際に軍部の強硬派の不満が爆発し、近衛赤旗軍の陰謀によって辺境の地に幽閉された。ちなみに大統領補佐官は殺されているほか、内閣の重要人物のほとんどが謎の失踪や不審な事故死を起こしている。

  • ウラジミール・マカロフ
大統領がいなくなったクレムリンにおいて、国会の中心となって大きな発言力を有している人物であり近衛赤旗軍のスポンサーにして実質の指導者。生粋の共産主義者で、CIAからマークされている。ソ連8月クーデタ時は一般兵だったために処分は軽く済んだものの再び8月クーデタを起こそうと企む。ユークに復讐を誓うベルカ残党勢力と現状のユーク政権を打破して社会主義国家を立ち上げたいマカロフの利害が一致しているため、密かに共謀している。

  • イムラン・ザカエフ
ファシズムという相反しているイデオロギーであるが目的達成のために一時的に共闘体制に入っている。同じくCIA要注意リストの一人に数えられている過激派。10月革命の際にレーニンの計らいによって生きながらえたロマノフ朝を中心とした君主制国家の樹立を標榜しており、新生オラーシャ帝国を立ち上げてオーシアとの最終戦争を目論んでいる。寄生虫を用いて身体的に強化された兵士「パラサイトユニット」は彼の配下の部隊の兵士で、手駒のように駆使して秘密を探る者の暗殺行動を行っていた。

  • グスターブ・ヴァシリーエフ
連邦保安庁(FSB)所属の職員で、アナスタシアの実兄にしてニキートフの親友。シスコンの残念イケメン。肉親と親戚をテロで失ったことをきっかけに国内の不穏分子を摘発する連邦保安庁に入隊した。CIS会議以降姿を見せない大統領と当時護衛を務めていた連邦警護庁(FSO)の行方について疑問を抱いており、周辺捜査をしていた。次第にザカエフやマカロフの企みやベルカ、紅龍会の陰謀、扶桑皇国への奇襲攻撃などといった真相をつかみかけるも捜査に当たっていたチームに突如捜査停止命令が下され、さらに元チームの職員が次々と不自然な死に命の危険を感じ逃亡する。独自の捜査からついに真相を暴くも自体は己一人ではどうしようにもならないくらいにことが進んでおり絶望し、追っ手に追い詰められて撃たれる。命からがら実家に逃げたものの最期に力尽き、アナスタシアにデータを託して第二の故郷である扶桑に亡命するよう言い伝えて息絶える。

  • 諏訪部鳥海
扶系ユーク人で、本名は「ラウジミール・チカチーロフ」。後述する事件によって死に強く惹かれているが、かといって自殺するほどの意思能力を失い鬱々と惰性で生きており、しかし任務はきっちりとこなすタイプ。
スパイ大国であるソ連を代表する諜報機関「参謀本部情報総局(GRU)」第3局扶桑支部の局長で、活動以外にも後方撹乱も担当している。
扇動の腕は確かで、熱っぽいロマンチストを演じて知識階級層を扇動し、扶桑皇国内で過激新左翼組織「扶桑赤旗革命軍」を組織している。扶桑国名は複数あり、公安庁からは実態のつかめない謎の指導者して手配されている。天才的な演説と人心掌握術を持っており、支持者は多い。
工作員でありながら戦闘技術は並みの特殊部隊を凌駕するものをもっており、自身の手によるトラップ敷設・破壊工作にも長けており、天性の感の鋭さで敵を翻弄する。

  • ヴァシリー・アレクセーエフ
扶系ユーク人。普段はユーク在扶大使を装っているが、本職は対外情報庁極東支部局長を務めている。主に政治工作担当。陰では扶桑共産党のスポンサーにもなっている。扶桑各地に潜在する間者の司令塔的役割を持ち、報道関係者を篭絡させて手中に握っている。某新聞会社のように国益にならないような売国的な報道を流しているのも彼の手腕といわれている。対扶参戦時には外務官を務めており、満州国の在留扶桑人の紳士的な対応をとったことで知られている*2

極東方面統合参謀本部

  • 参謀

  • イワジミノフ・ミヤンコ
極東方面軍総司令官にしてユーク連邦陸軍大将。ユーク側のフォーク准将枠。フォーク准将との唯一の違いはユーク軍きっての戦略家であることであり、敵将の能力を素直に認めるなど極東ユーク軍の中では有能な将軍である。クーデタ政権が流した偽りの北海道の千島列島での事件に憤り、率先して対扶桑戦総司令官に立候補した生粋のタカ派で、大統領府の軽率な判断に疑いの念を持たずに宣戦布告をするという暴挙に出た。いってみれば、コイツが扶桑との戦争の原因といっても差し支えない。さらに、思慮に欠いた行動に出たばかりか、演説の際に「我々にはこれしか道がない。祖国の栄光にかけて、恐れず勇気と誇りを持って戦おう」などと恥知らずの演説を行い、絶大な声援で迎えられる。
北海道攻略作戦の指揮を直接執り、扶桑軍の北部方面隊を苦しめる。しかし、海軍北方艦隊派遣軍の総司令官オルガ・パブロヴナ海軍大将との不仲から、軍管区の命令に背いて無謀な作戦を強行し、さらにオーシアからの勧告を再三無視したということで超大国同士の戦争を恐れたFSBの判断によって逮捕された。その後、マカロフと共謀していたことと、無駄な戦争を推進したということで軍法会議にかけられ、死刑判決を下される。なお、シーニグラードで密かに行われた反マーシャルノフ派によるクーデタについては何も知らされておらず、あくまで純粋に軍事行動を執った人物であるため、ある意味彼とその幕僚団は、ユーク側一の被害者かもしれない。

  • オレグ・タナルスキー
ミヤンコの参謀補佐官であり、ミヤンコから優秀な右腕と称される実力を持つ。階級は陸軍中将。例に洩れず軍人であることに誇りを持っている。ウクライナのクーデタの際に短期間で反乱軍を制圧したことで名を馳せた英雄である。ソ連崩壊時にマネーロンダリングした莫大な資金を元に一個師団分の特殊作戦部隊を秘密裏に有し、政界にも大きな顔が利く。しかし、決して矮小な人物というわけではなく、「好きなように生きて、好きなように死ぬ」という信条を持つ。ミヤンコを尊敬しているが、今回の軍事行動には疑問を持つなど良識的な面を持っており、作戦の最後まで戦争を起こすことに悩んでいた。
北海道戦争では兵站管理担当で、後方参謀として短期間で大量の軍や装備を動員させ、後方の補給も装備も充実させるなど辣腕を振るった。ユーク軍が精強な扶桑軍を相手に、たった2週間で北海道の9割を掌握することができたのも、彼のおかげといっても過言ではない。
部下の信頼も厚く知将という評価を受けていたが、ミヤンコともども責任をとらされて処刑されている。

  • ユーリ・ボルコフ
ミヤンコ幕僚団の参謀補佐官で、参謀本部に所属する陸軍中将。作戦担当であり、北海道への大規模侵攻を企画した人物として後に処刑された。ユーク軍きっての知将で、知略に於いてはユーク軍一との評判を誇る。・・・しかし、思慮深さは残念ながら持ち合わせておらず、ミヤンコ同様にタカ派であり、偽りの情報に疑念を抱くことなく激しい憤りを感じ、大規模な軍事行動を起こす。
レーダーサイトを攻撃し一時無力化した後に北海道の四方向から攻撃を仕掛けるという大胆を通り越して無謀とも思われるような作戦を提案したが、その裏には緻密な計算によって確証された可能性に基づいたものであり、多大な戦果を挙げた。大胆不敵、臨機応変を標榜するメドヴェージェフ海軍大将に薫陶を授けられたものと思われる。

  • アレクサンドル・コマロフ
情報参謀で階級は陸軍少将。幕僚団最少年の将官で有能であるが故に尊大な性格をしており、周囲からは妬まれやすかった。C3ISRの徹底と敵戦力を冷静に判断することによって勝敗は決まるという徹底的な合理主義者で、作戦を効率的且つ被害を最小限に抑えるためには味方ですら囮にする非道な人物。最年少で大佐まで登り詰めた実力は折り紙つきで、コマロフ傘下の戦略情報部によって得られた的確な情報に基づく作戦は多くの成功を収める。
「自分の実力を試したい」という理由だけで二つ返事で戦争に志願した、タカ派云々以前に問題外。しかし、軍のあり方に口を出すタイプではない分、タカ派連中よりはマシかもしれない。
北海道侵攻部隊のキーパーソンとして活躍したが、第一次道南沖や苫小牧海戦での海軍の損害からミヤンコとの共謀を疑われて、戦後に処刑判決が下された。

ユーク陸軍登場人物

  • セルゲイ・ニキートフ
後のユークトバニア大統領にしてユーラシア連邦初代大統領となる人物だが、今回の時間軸では東部軍管区のとある部隊の大佐を務めている。また、世界最強の異端者であるSSSレートに分類されており個人の戦闘能力はユーク最強であるが、このときは未だに完全覚醒していない。30歳にしてユーク大統領になることを志している野心家であるが、若さゆえか上官には煙たがられる。後のリアリストで冷酷な性格からは考えられないが、この頃は部下や仲間への思いやりが強く、厳しいことをいうこともあるが万が一のときは危険も省みない行動に出るなど部下との関係の信頼が強かった。また、人脈が非常に広く東部軍管区司令総官であるドミトリー・チュイコフ大将や西部軍管区司令総官イワン・アダモフ、その他国内軍の高官や部隊長などといった面子に協力を頼みクーデタ時には全部隊を蜂起に参加することを約束させ、さらに警察機構の上層部とも話しあいクーデタに対して無介入を決めさせるなど交渉能力も高い。
本国の怪しい動きに対して常に違和感を持っており、特にFSBの職員が何者かに殺されているという情報を知ってから懐疑的になり、独自に諜報部隊を編成して調査に当たらせていた。

北海道戦争での活躍
本編には一切出てこない。キターイスクやコリアが武装蜂起し北海道戦争が終結、本国が対中国に向けて戦争しようとしているところをクーデタを決行。首都機能を一夜にして麻痺させ国会でこれまでの蛮行を暴く。マカロフ内閣を外患誘致罪・外患陰謀罪・内乱罪で解体、各省大臣を無期懲役・処刑。「国家緊急事態宣言」を発令すると臨時に大統領に就任し対中国戦に突入、後に「異端者」を公式に用いた大規模な殲滅戦を行うことになる。

  • ユーリ・スヴェルドロフ
陸軍中将。東部連邦管区でプリモルスキー地方に駐在する兵士を率いる将軍で、鉄壁の防衛戦術から「ヴァストーチヌイ・クレムリ」の異名を持つ合理主義者。優秀な軍人を多数輩出した名門家系の出身で、国と軍に対して絶大な誇りと信頼を持っている。扶桑と戦争になることに対しては若干の戸惑いを見せながらも、ユーク軍の正義を信じて軍事行動を起こす。・・・もはや、ユーク軍はタカ派と無法者と狂信者の集団なんじゃなかろうか。
「弱肉強食」を信条としており、様々な民族が住む東部連邦管区でも人種による差別はしておらず、無能ならスラヴ系の兵士でも冷遇する実力至上主義な面が見える。しかし部下を捨て駒にするような冷徹な人物ではなく常に最小限の被害にとどめるよう善処したり部下が無事に帰還できるよう無理強いをしないなど厳しさの中にも確かな部下への思いやりを持つため、上官としては絶対の信頼を集めている。極限のアフガン紛争を生き抜いており、その影響か臨機応変に奇襲、待ち伏せ、後方支援の破壊といった、攪乱や攻撃を行う戦法を得意としている。アフガン紛争やチェチェン紛争で確立された対ゲリラ戦闘やゲリラコマンド戦は彼が築き上げたもので、ユーク陸軍の将兵からは「現代ゲリラ戦の父」と評されている。
扶桑皇国との戦争では遊撃部隊として第1極東戦線を率いて北海道北部に上陸し、本隊の到着まで扶桑陸軍の目をスヴェルドロフ配下の部隊に引き付けるのが任務となっており、強力な部隊との戦闘はなるべく避け、浸透戦術による後方部隊の攻撃、補給路、交通手段の破壊、夜襲、奇襲、遊撃戦などで扶桑陸軍の兵を疲弊させることに一役買っている。

  • リュドミール・ラフマニノフ
陸軍中将。過去に総合格闘技で世界トーナメントを総なめしたことがあり、かなりの年であるがボディービルダー顔負けの鋼の肉体を持つ65歳。いかつい体格とは裏腹に変人と名高く、普段は女好きの怠け者である。情に厚く紳士的な好々爺で、世話好きでおおらかな性格をしている、タカ派ばかりのユーク陸軍にしては希少な人物。・・・しかし、一皮向けば、やはりユーク陸軍の将校。老獪な策略家の面も持ち合わせており、野心家でもある。自分と似たところがあるニキートフを重用したり策略を教えたりしており、自身が原隊から離れている間に部隊をニキートフに任せクーデタに参加させるぐらいには信頼している。が、クーデタが失敗したらあっさり見捨てようとする腹黒さもある。
得意とする戦法は機甲師団と野砲/榴弾砲による砲兵部隊の砲撃による制圧攻撃で、制圧戦においては彼の部隊に勝る部隊はいないといわれている。的確な情報に基づいた戦略や戦術によって早期殲滅を計り、圧倒的な戦力を積極的に投入することで相手に反撃する隙を与えず、結果的に被害を最小限にとどめるというトハチェフスキー戦術に独自の解釈を用いた「ラフマニノフ・ドクトリン」の提唱者で、ユーク陸軍の作戦展開能力など機動性を高めると共に軍事改革に大きな影響を及ぼした功労者。
スヴェルドロフとは同期の仲で、性格・戦術ともに違う二人であるがお互いの実力ことを認め合っているほどには仲がいい模様。北海道侵攻作戦において北東部からの侵攻を主とした第2極東戦線の指揮を任されており、扶桑陸軍を道東方面に釘付けにするのが任務となっている。

  • ステファン・ニコラエフ
第1戦車師団の師団長を務めている陸軍中将で、第3極東戦線の司令官として参戦している猛将。30代の若さで高級将校になる実力派。非常に好戦的な人物で、将校でありながら後方で椅子を暖めながら指揮するだけでは物足りず自ら戦車に乗って前線に赴くことを何よりも好む。行動理念は全て「戦争する事 」に集約されている為、分かりやすいといえば非常に分かりやすいキャラクター。世紀末でヒャッハーやってるモヒカンの様な思考回路と行動基準である。 どいつもこいつも・・・ユーク陸軍の将校はタカ派と戦闘狂しかいないのか!
だが、ただ粗野な戦争バカというわけではなく、頭はかなりキレる方でその時流に合わせて自分の立ち位置を変えたりする辺りは「狡猾」そのもの。また、元男子戦車道ソ連代表で、戦車戦においてはユーク内でも一二を争う。
また、戦車道に対して尋常ならざるこだわりを持っており、自分と同等と判断した好敵手には航空支援を多用しないなど、普段の戦闘狂はなりを潜める。男子戦車道なんてない、という野暮な突っ込みはなしだぜ。ガルパンおじさんとの約束だよ!
的確な状況判断能力と予測能力を持っており、数々の実戦経験に裏打ちされた大胆な行動力と地形と自他の戦力状況を読み解いての戦術立案能力、敵将校の戦術や戦略を読み取り敵の行動を予測する知能、そして型にとらわれることのない臨機応変な戦術変更能力に長けており軍部からの評価はかなり高い。2003年に勃発した、ユーク連邦離反をめぐるユーゴスラビア紛争では、反ユーク派のユーゴスラビア軍との戦車戦で戦車部隊の中では最も損害が少なかったとされている。損害がほぼ皆無であったことを当時の上官に訝しがられたが、「指揮官が優秀だからwww」の一言で上官を納得させるだけの実力を持つ。(当時は少佐階級)

北海道戦争の活躍
主に苫小牧方面にて指揮を執っていたが、扶桑第一戦車師団との決闘を望み上層部を恐喝して説き伏せ、十勝平野に選抜された戦車兵を率いて十勝平野での決戦に臨む。十勝平野の戦いでは、圧倒的な航空支援の元で扶桑第一戦車師団を圧倒するも、やり方が気に入らなかったのか、突出した我那覇中将乗車の10式戦車への攻撃命令をやめ一騎打ちを申し込む。数十分に渡る死闘の末に撃破するも、乗車のT-90SMも大破し自身も左目と右足を負傷するなど重傷を負う。
負傷したにもかかわらず戦線復帰したがる戦馬鹿は健在で、本国からコネで受領したT-18戦車に乗って縦横無尽に戦場を駆け回る。

  • ジノーヴィー・コルサコフ
ニコラエフの副官で、陸軍大佐。幼少期から腐れ縁の仲で、彼の破天荒ぶりにふりまわされながらも確実に補佐する名官。戦車道時代は狙撃手を勤めていた。日課は犬の散歩と胃痛薬を飲むこと。
ニコラエフと長年戦車道をやってきただけあって、対戦車戦は扶桑軍相手に引けをとらないほど。特に狙撃に関してはユーク一で、FCSがあまり発達していなかったソ連時代でもイスラエル軍もドン引きの命中率を誇っていたが、高度な射撃完成システムの発達によってあまり目立っていない。また、合理的な思考と状況判断能力を武器に作戦立案、部隊編成、戦闘指揮から交渉、接待、ニコラエフがやらかした案件の事後処理など、多方面にわたって辣腕を振るう有能な前線指揮官である。

北海道戦争での活躍
十勝平野の戦い終盤にて、決死の覚悟で突っ込んできた我那覇戦車隊に誤射を恐れて右往左往し一方的に撃破される中、我那覇中将に随伴する10式戦車を正確に狙撃するなど優れた狙撃手としての面目躍如を果たした。

  • イゴール・メニショフ
第2戦車師団の師団長で、階級は陸軍少将。NATOから戦車キラーの異名で恐れられ、数々の機甲師団を打ち破ってきた戦車戦のエキスパート。金属工学の権威の父を持ち、自らも戦車の複合装甲に口を出せるほどの知識と権力を持つ。また、大学では心理学を専攻していたため、敵の意表をついた作戦を得意としており、予測不能な自在な戦法は魔術師と評されている。
ユーゴスラビア紛争を通して、T-72戦車9両で反体制派のT-80や西側が輸出したレオパルト2戦車、ルクレール、チャレンジャー、M1A2などといった西側最新の戦車を破壊したことから「軍神」「ソ連の虎」と呼ばれている。幻自在な戦法や単騎で複数の敵を撃破するなどの戦法を好み、随伴する他の搭乗員たちの練度もケタ違いに高く、高度な操縦テクニックと射撃技術も持つなどの特徴がある。
性格は飄々としながらもどこか達観しており、部下曰く「ひねくれ者」。周囲に流される事なく傍観者のような位置で、他者に対してしばしば人生訓のような哲学じみた言葉を口にしている。
同時に闊達な趣味人でもあり、独自のコーヒーのブレンドを研究したり、奇抜な柄のシャツを愛好したり、乗車に虎をモチーフにし装飾を付けたりとかなりの自由人。 特にコーヒーの研究はほぼライフワークと化しており、戦場だろうと暇さえあれば戦車内でコーヒーを淹れては、匂いがこもると部下に叱責されていた。

  • ニキータ・ブルイギン
北海道侵攻において第4極東戦線の司令を務める陸軍中将。部下に対しても丁寧な口調で接するまじめで紳士的な人物であるが、その態度はどこか慇懃無礼で人を見下している節がある。そして、戦争に美意識を抱く重度のサイコキラーであり、三度の飯よりも熱風と硝煙と血なまぐさい臭いを好む危ない思想を持つ。・・・もはやユーク陸軍にまともな思考の人物を探すことは困難なのではないだろうか。
彼が率いる部隊は、死を誉れとする時代錯誤の生粋の戦闘狂で構成されており、機関銃突撃による制圧戦は群を抜いて高い。死を厭わないどころか捕虜を一切とらないことで定評がある。彼曰く「生まれる時代を間違えた」。
アフガン紛争では捕虜を取らず、多くのムスリム戦士を恐怖のどん底に陥れた。しまいには「投降は無駄だ抵抗しろ(意訳)」などと呼びかけることから「殲滅のブルイギン」と呼ばれるようになった。しかし、自分が異端であることを重々自覚しており、紳士を演じているのもその為。思想が異端であると自覚している故に、感情論に左右されない、合理的な考えを示すこともある。
アフガン紛争での戦争犯罪からルビヤンカ刑務所に収容されていたが、北海道戦争に必要不可欠な人材として軍から徴用され特赦、現在に至る。
自分に課せられた任務の達成のためなら手段を選ばず、作戦遂行のために必要ならば味方を囮に使うことになんら負い目を感じない非道な人物でもある。また、自らの信念を貫き通す人物が好きで、特に扶桑兵のことを「信念の固い優秀な兵士達だ」と評している。実際狂人であるが、記憶力が途轍もなく良く、仕事の範囲で見かけた顔は大抵憶えており、頭も相当キレる。倫理に反していると意見具申する将校に対して説得力のある正論っぽいことを言って説き伏せることもしばしば。これで人格もまともならば・・・。戦術は完璧な状況からの包囲殲滅戦を得意としており、索敵と初期行動、退路や補給路の破壊などに長けている。

  • セルゲイ・マトロフスキー
陸軍少将で、第12統合師団の師団長。尊大且つ自己中心的な人物で、その性格を突かれて宗谷方面で大損害を被る。性格に難ありで人格者のスヴェルドロフ傘下の人物として置かれていることに疑問を生じるが、実力派揃いの極東第1戦線に抜擢されるだけの技量は持ち合わせているらしく、緒戦では扶桑軍を相手に始終優位に立っていたことを考えると宗谷半島での第十戦隊の突入と扶桑陸軍の大規模反抗作戦はただ単に運が悪かったとしかいえない、かもしれない。

  • アブラム・チェルナビン
陸軍少将。政治将校の経歴を持ち、様々な陰謀を駆使して今の地位についた冷酷な男。戦争行為による殺戮に快楽を見出すド変態であるる、ただ暴れているだけではなく重要な任務に対しても一定以上の戦果を挙げる功績を認められて現在の地位に昇格している。
表向きには第2極東戦線第8統合師団の師団長を務めるが、犯罪者によって構成されたパルチザン掃討を名目とした特別任務部隊、占領地の治安維持を名目とした治安維持警察の立案者で、参謀本部から各戦線にいるそれらの特殊部隊を統括することを密かに命じられた。目的のためなら手段を問わない信念をもつが、戦時中に人道から外れた作戦行動が露呈したため、直属の上司であるラフマニノフによって階級を剥奪された上に解任され、後に戦争犯罪者として死刑となる。

  • ニキータ・ボルコフ
第37特殊任務大隊の指揮官で、陸軍少佐。元々はチェチェンでの戦争犯罪を指揮したということで処刑されそうなところをチェルナビンに助けられた経歴を持つ。世紀末思想を持つ人物の一人で、「戦争で大暴れしたかった」という理由で北海道侵攻に志願した、チェルナビン同様にタカ派や狂信者以前に問題外な人物。
彼が率いる部隊は特別任務部隊という肩書きを持つが、実際は戦争犯罪を隠すための隠れ蓑で、構成員も戦争犯罪者や脱走兵、亡命しにきた者、そのほかにも凶悪犯など刑務所で過ごした人物が多いため、スペツナズのような精鋭部隊ではない。ただし、率先して最前線に送られるおいう捨て駒同然の戦いをしているため死傷率がきわめて高く、長くこの部隊にいる兵士はスペツナズに引けを取らない技能を持つ。なお、特殊すぎてこの部隊の死傷率はユーク軍の死傷率にカンストされていない。

  • 特別任務部隊兵
パルチザンやゲリラコマンドの掃討のために創設された特殊部隊。通称「懲罰部隊」。
部隊創設の真の目的は「脳にナノマシンを埋め込むことによって感情を捨て、軍に従順で規律のある兵士を大量に作成すること」。ソ連が生み出した凶器の産物ともいえる懲罰大隊を再び創設し、人的資源の有効活用と危険な任務や忌避されるような任務を強要するために従順な人材を欲したユーク軍上層部の歪んだ思考によるものである。そのような経緯で創設されたため、構成員は卑劣な凶悪犯や死刑囚、ホームレス、ストリートチルドレン、上官殺し、重度な軍規違反を犯した者、脱走兵、スパイなど、軍にとって死んでも問題ない者が多くを占めており、戸籍上は死んでいるか、もしくははじめから戸籍にいない人物として扱われている。一般兵は階級は剥奪されており、この部隊の上下関係は命令する下仕官と命令に従う一般兵だけである。
一般兵の脳内に埋め込まれたナノマシンには窮地に立たされ捕虜にされる危険性が高まると玉砕するか自殺するようプログラミングされており、大半の兵士が捕虜になると死ぬことを躊躇なく選ぶため、その実態は長らく表には出なかった。自殺衝動を抑え運よく捕虜にすることに成功したある扶桑兵は「戦地での勇猛な姿と打って変わって、まるで人形のように動かない。生気が全く感じられず不気味だったよ」と証言している。
ゲリラ狩りのほかに地雷処理や戦死者の埋葬、威力偵察、正規部隊を上手く活用させるための囮など、攻勢においては露払いとして多くのものが戦死した。しかし、前述したとおり軍の発表には戦死者として数えられていないため、扶桑軍の戦果とユーク軍が公表する戦死者とではずいぶんと差が生じているのはこのためである。
そんな彼らを指揮する下仕官は脳に特別な処置を施されていないものの、やはりといいうか腹に一物を抱え込んだ者ばかりで、減刑を望んで志願するものも少なくない。しかし、性格に難ありではあるものの、そこそこ優秀な指揮官が多いのも特徴である。

ユーク海軍登場人物

  • オルガ・パブロヴナ
海軍大将にしてユーク海軍初めての女性提督として最近注目を浴びている妙齢の女性。北方艦隊兼扶桑皇国遠征艦隊の扶桑海方面隊司令長官を務めている。後方で座して指揮を取ることは性分に合わないらしく、将校でありながら自ら最前線にて指揮をとることが多いため、付き従う多くの将兵に慕われている。最近の悩みは童顔すぎて提督としての貫禄がでないことらしい。
竹を割ったような性格をした反面年相応に好奇心も強く、突拍子もない発言や一見無謀な作戦を立案したりするなど、彼女を取り巻く参謀達は終始その行動に振り回され胃薬を手放せない毎日を送っているとか。しかし、一度戦闘に入るとユーク人らしい合理的で冷酷な一面を覗かせ、敵対する者は例え味方であっても容赦しない。実際、恩師が率いる艦隊が陸軍の影響が強い情報部に嵌められたとき、苫小牧砲撃戦時にあえて到着を遅らせるなどの狡猾な面が見られた。
オラーシャ帝国のロマノフ朝の末裔にしてオルガリヒ重役の令嬢という怪奇な出自を持つ。しかし彼女は親の七光りで入隊したのではなく艦隊指揮能力はかなり高く、将校に就任してから扶墺戦争以来の大戦果を上げるという実力者である。中国との蘇岩礁事変からの海戦では中国最新鋭の戦艦を中心とした艦隊を撃滅し早期講和に持ち込ませるなど類まれなる戦術を発揮している。
得意とする戦術は用意周到に張り巡らされた艦艇による機動包囲戦で、一度罠に掛かるとその海域は彼女の独壇場と化し、さながら狩猟場に現れた標的を追い詰める猟師めいて抵抗手段を減らしていき、殲滅する。作戦を完遂させるためには自軍が必ず勝てる状況を作り上げる事を心がけ、常に優位な状態で戦う。また、いかに敵勢力が弱小であろうとも常に大多数の兵力を整え、万全の態勢で戦闘に挑むという姿勢を崩さない。このことから、海戦では一度の敗北もしたことがないことから、扶桑皇国海軍の如月提督と並んで「常勝の天才」「ユーク海軍の英雄」と呼ばれている。また、その容姿から「白銀の姫君」とも。
しかし、完全な合理主義者ではないらしく、戦略的により優位な方法を取ることが可能な場合でも、敢えて敵との正面決戦を選ぶ傾向にある。そのため、卓抜した戦略眼を有していたにもかかわらず、用兵家としての本質は戦術家であったとも言われている。
容姿は銀髪のセミロングと宝石に例えられる蒼い目、凛とした表情と180cmを優に超える高身長が特徴で、若くて容姿端麗ということから海軍の広告塔として高い人気を誇る。また、軍で戦闘訓練を積んだ教官クラスの実力者でもあり、武術はユーク最強のスペツナズであるα部隊隊員を上回る圧倒的な身体能力と戦闘力を持つ。

経歴
財閥の令嬢として生まれたパブロヴナは親の反対を押し切り高校卒業後に幹部候補生として海軍に入隊。
海軍士官学校上級幹部課程を主席で卒業後、北海艦隊第54駆逐戦隊に配属され、22歳の若さで駆逐艦「ヴェールヌイ」の艦長として勤めることになる。
オーシアと北極海航路を巡る小競り合いで頭角を表しはじめベルカ戦争ではついに天賦の才を発揮、数々の軍事的功績を挙げ、23歳の若さで海軍中将に昇進し第1艦隊司令長官に任命される。また、そこに至る戦いの中で、後に部下となる優秀な軍人と巡り会う。
中国満州戦争での功績で海軍大将・北海艦隊司令長官、コレーエツ戦役での功績で海軍上級大将・艦隊総司令長官に昇格する。
そして北海道戦争を経てユークトバニア海軍で三人目の海軍元帥へと昇進する。

北海道戦争の活躍
第五艦隊と第五水雷艦隊の迎撃のために扶桑海方面に配備される。パブロヴナ率いる北方派遣艦隊は、扶桑海沖にて超大型戦艦を中核とする第五艦隊と重巡を中心とした砲雷撃戦最強の第五水雷艦隊と接触した。アウトレンジ射撃とミサイルの集中攻撃によって扶桑艦隊に穴を空け、そこにプーシキン指揮下の第10独立巡洋艦師団を突撃させた。
パブロヴナは、前衛を務めた水雷戦隊が攻撃してきた際に、それらの戦隊の攻撃が散発的であったことから、扶桑艦隊がこちらの位置を性格に把握できていない状況であることを看破した。砲雷撃戦に重きを置く扶桑第五艦隊ならば、位置を把握していれば真っ先に戦艦を遣すだろうという考えである。
それは図に当たり、意表をついて奥深く入り込んだ北方派遣艦隊は、扶桑艦隊の側面に出る事に成功。パブロヴナの綿密な情報収集と分析能力の高さが伺える一面である。ミサイル集中攻撃で、側面を突かれて混乱した扶桑艦隊を、プーシキンが中央突破して艦隊を前後に分断。しかもジャミングして指揮系統を混乱させると言う徹底ぶりで、殆どはプーシキンの独壇場とかした。第二次扶桑沖海戦では巧みなミサイル集中攻撃と遠距離からの支援砲撃、最強の1航戦による航空攻撃、さらに静粛性の高い潜水艦と水雷戦隊の波状攻撃で多大な戦火を誇る。
メドヴェージェフが戦線離脱したことを聞くと仇討ちのために砲戦での決着を望み、ほとんど独断でトハチェフスキー級の艦砲を従来の25インチ砲に戻し扶桑艦隊との決戦に備える。

  • ゲンナジー・カディロフ
北方艦隊参謀長にしてパブロヴナを補佐する忠実な海軍参謀中将。パブロフ家の執事もこなしており、西側では「猟犬」の呼び名で通っている。50年以上の歳月をパブロフ家と共に歩み、当主の身に降り掛かる災禍を払い続けてきた事実から忠誠心は極めて高く、パブロヴナにとっては全幅の信頼を寄せる主従関係以上の存在となっている。 ソ連成立時に、皇族の監視をするために国家保安省から送り込まれてきたスパイであったが、本来の任務そっちのけで皇族との仲が深まっていき代々誠実な使用人を務めていくようになったといわれている。パブロフ家の執事兼庭師兼警備員であるが、軍事知識や作戦立案能力もきわめて高く、一流の参謀としてパブロヴナを補佐し、艦隊運用、白兵戦能力、射撃技術等あらゆる面で高い技能を有しているだけでなく、政治面・軍政面でもパブロヴナの代理人として活躍している。老人らしく物腰柔らかな性格だが、若い頃は口が悪く粗暴な性格だったらしい。
高齢ながらも強靭な肉体と高い索敵能力、戦闘能力とを兼備しており、重量が13kg近いKSVK対物ライフルにアンダーバレル式に改造されたRG-6を装着したものを片腕で楽々と扱い、素手で鉄筋コンクリートを豆腐めいてぶち抜いたりと、年老いた体からは想像できないような腕力で大男を片手で持ち上げたり、しまいには日本刀で銃弾の雨を見切って掻い潜り、鎧袖一触で切り伏せたりと常軌を逸脱した戦闘をこなすが異端者ではない。
狙撃の腕前も超一流で、音速で飛ぶ戦闘機のパイロットを揺れるヘリ内部からヘッドショットして撃墜したり、回転するヘリのプロペラに当てずに銃弾を通すなど人間離れした動体視力を持つ。さらに両眼を利き目にすることが可能であり、狙撃と観測・索敵を同時に行う事ができるため、観測手を必要としない。
このような優れた軍事技術は、パブロヴナにしっかりと受け継がれている。

北海道戦争での活躍
第三次道南沖海戦では圧倒的な戦力差を持って扶桑艦隊を殲滅すべく、ユーク海軍の象徴である超戦艦「ニコライ・ヴァツーチン」に座乗し大きく迂回して扶撃しようとするも、菊池提督率いる第五水雷艦隊と接触。扶桑海軍の新型戦艦「大和」を中心とした艦隊と合流させないよう、別働艦隊を率いて迎撃に当たるも、ミサイル戦艦という通常の戦艦と比べて近距離での防御力が低いという特徴を突かれ、近距離での戦いを強いられ激しい交戦の末に戦死。
結果として機動部隊との合流を妨げ、ユーク艦隊が逆転負けすることは避けられたが、包囲網を突かれて機動部隊撤退を許してしまっている。
人事面での良きアドバイザーであり、パブロヴナと他提督達との橋渡しをつとめていた。そのため彼の死は陣営にとって大きな痛手となった。パブロヴナは彼が担っていた分野の仕事まで引き継がなくてはならなくなり、必然的に軍事・人事面でミスが目立つようになったといわれている。

  • ウラジミール・メドヴェージェフ
太平洋艦隊の司令長官にして海軍大将。海軍軍人として様々な戦場を潜り抜け多大な功績を挙げた人物で、湾岸戦争*3や第二次朝鮮戦争、蘇岩礁海戦などで多大な実績を上げている。狡猾且つ明晰な人物で、ユーク海軍戦術の父とされている。上司・部下共に信頼され、常に優れた戦績を残す知将で、オーシアと比較して打撃力に劣るユーク艦隊を率いて「負けない戦い」を推進した。北海道戦争でも作戦本部や上層部の思惑を理解しながらも限られた戦力での戦いとして潜水艦による通商破壊と漸減戦法を試みるが、道南沖に出撃した際に、渋谷提督率いる第二艦隊による攻撃で撤退を余儀なくされる。
第二次次朝鮮戦争<レニンスキー・コムソモール>に砲術長として乗艦し、全滅の危機に瀕した際に僚艦を逃しつつもアイオワ級2隻と撃ち合い、撃沈こそできなかったものの撤退させるという神業をやってのけた。その功績から「北方の赤い狼」の渾名を頂戴し、様々な戦艦の艦長を歴任した後指令の地位につき、様々なソビエト海兵やユーク海兵を育成してきた。オルガも育成してきた軍人の中の一人であるが、彼からしてみれば男勝りな彼女は優秀な部下であると同時に手に負えない孫娘といった感じである。メドヴェージェフのモットーは臨機応変である。この教えは、パブロヴナにも伝授されており、第二次扶桑沖海戦での勇戦に繋がっている。また、部下達もそれを熟知しており、道南沖での戦闘でも、即座に集結するなど、行動の速さが見て取れる。
戦闘では艦隊の数も重要である一方、メドヴェージェフは機動戦術をもっとも重視している。これは今の地位になる前の激戦区において、限られた戦力で可能な限りの戦果を上げた実績があるとされている。また、情報収集も怠らず、そこからの情報分析にも長けている。 この機動戦術は、蘇岩礁海域での中国海軍との戦闘では、常に動き回って的確な場所に攻撃を加えて、直ぐに離脱するという戦法を駆使した。このことから「幽霊師団」とも呼ばれる。
かなりの甘党であり、海戦の前にはイチゴジャムを入れたユークティー3個ほどの角砂糖をぶっ込んだ紅茶を好むほどである。

北海道戦争での活躍
北海道戦争時には扶桑遠征艦隊の総司令官として直接艦隊の指揮にあたり、太平洋方面から北上する扶桑第二艦隊と交戦する。艦隊決戦の前から潜水艦による戦力の低下を狙うなど用意周到な準備と計略を持って万全な体勢で迎え撃つも、桁違いな航空戦力を投入されて十分な戦力を持ったまま扶桑艦隊の道南沖の侵入を許してしまう。
道南方面に展開した第4極東戦線の撤退を支援すべく夜戦を仕掛け、艦隊編成を整えて再度扶桑艦隊に攻撃を行う。巡航ミサイルによる攻撃を危惧してECMを散布、ジャミングで指揮系統を混乱させた後に砲雷撃戦で扶桑艦隊に挑むもメドヴェージェフが得意とする機動戦術は重装甲と一撃必中を旨とする扶桑艦相手には分が悪いとしかいえなかった。さらに運が悪いことに初っ端から全ての艦が射撃管制装置に被弾、レーダー射撃が上手くいかず、しかも互いのレーダー機器がお釈迦になった状態であるはずにも関わらず、渋谷提督とその幕僚達の神業とも言える操監技術と砲雷激戦によって始終圧倒されることになる。
結果、天命を信じ挑んだ砲撃戦だけでは僅かな損害しか与えられず、加えて頼みの水雷駆逐戦隊も護衛艦隊によって一方的に狙撃され艦隊は壊乱。その後は扶桑戦艦部隊とウポール単艦の正面切っての砲戦となり、依然衰えない扶桑艦隊の火力により、一方的な砲撃を受けウポールは大破炎上。
己の慢心を認め、散華した部下へのけじめとしてただ一人で艦と共に命運を共にするを決心した。「此処から先は私一人の戦争だ」と乗員の総員離艦を命じるが、彼の元を去る部下はいなかった。残存兵力を戦闘海域から離脱させ、渋谷提督と互いの武勲、手腕を賞賛しつつも、「貴殿をここで通しては、戦死した部下が無駄死にになってしまう」と降伏勧告を拒絶。壮絶な撃ち合いの末、自艦の大破と引き換えに戦艦「出雲」を大破、「近江」と「駿河」にも少なからずの損害を与える。
乗艦「ウポール」が大破したほか主力巡洋艦1隻が沈没、水雷駆逐戦隊が壊滅するなど損害を被るものの、最終的には扶桑海軍の飛行場への攻撃を阻止することには成功した。ちなみに奇跡的に一命を取り留めるも怪我を理由に戦線離脱、後に査問委員会で岩手沖から道南沖での一連の戦闘の敗北を弾劾されるも幕僚団の必死の擁護のおかげで現職に留まった。

  • ニコライ・ザハルチェンコ
太平洋艦隊の航空参謀長兼ね第二航空戦隊司令長官。根っからの航空主兵主義者。海軍中将。豪放磊落な性格でメドヴェージェフから信頼も篤く、他の多くの部下からも慕われている。同時に年長者という立場から、特に血気盛んなボロジノフの言動には、些か頭を悩ませている模様。但しボロジノフ当人からも「親父さん」と親しまれており、メドヴェージェフ艦隊のまとめ役とも言える重鎮である。
第二次大戦後、航空兵力の重要性をいち早く説き、本格的な航空母艦の建造をクズネツォフ元帥に進言しキエフ級空母の艦長に就任した経歴を持つ。「鬼のザハルチェンコ」の異名で味方の航空兵に恐れられており、鬼教官として扶桑皇国の航空戦隊に匹敵する猛訓練を実施している。オーシア海軍のトップガンやエースを集めた航空隊との演習でも、「二度と相手にしたくない部隊」と言わしめているほどに太平洋艦隊の航空部隊の錬度は高く、「北太平洋最強の航空艦隊」と呼ばれるようになるほど。ちなみにどれだけ怯えるかと言うと、当時の海軍の花形は戦艦であり、その矜持もあって苛烈な訓練で知られていたが、戦艦乗りでさえ空母の訓練にはドン引きしたほどだとか。 また、戦闘気乗りとしての腕でも相当なもので、かつては「死鳥フレスヴェルク」と呼ばれたユーク海軍一の戦闘機パイロットであった。メドヴェージェフと共に、幾多の戦場をくぐり抜けてきた叩き上げの古参士官であり、それだけメドヴェージェフとの付き合いも長い。
ちなみに彼はコーヒー派で、湯沸かし器を持参しており戦場で暇さえあればコーヒーを淹れる。最近は独自のコーヒーのブレンドの研究に拘っている。

北海道戦争での活躍
メドヴェージェフ艦隊こと扶桑遠征艦隊の参謀の中では最も年長者であるためか、他の参謀にとって「親爺」的な存在になっている。また、最年少参謀であるボロジノフには手を焼いており、軽薄な言動に呆れている。
作戦情報部のミスによって岩手沖海戦で航空戦力が壊滅したために一時戦線を離れていたが、再び復帰したときに彼を待っていたのはかつて「1航戦に次ぐ精鋭」と謳われた2航戦ではなかった。生き残った熟練のパイロットは各戦線に引き当てられ代わりに寄越されたのは老兵と新兵、そして実戦に出て間もない試作戦闘機と旧式の戦闘機一個航空師団分だけであった。そんな逆境さえ「精鋭が聞いて呆れる」と笑い飛ばし、第三次道南沖海戦では囮として扶桑機動艦隊を引き付ける。
圧倒的な戦力差の中で機動部隊を守りぬいたことを再評価され、後に「鉄壁のザハルチェンコ」と呼ばれるようになった。


  • アンドレイ・ボロジノフ
オーシアからは「黒色の獅子」の異名で恐れられている水上戦闘艦隊、通称「チョールヌイ・カヴァレリー・フロート」を率いる提督。階級は少将で、座乗艦は「セヴェロモルスク」。如何なる危機でも冷静沈着に指示を出し聡明な頭脳と機転で戦術を即座に立案する天才肌であるが、水雷屋らしく血気盛んで激情化なところが玉に瑕。その破壊力から 「ユーク海軍の呼吸する破壊衝動」とまで言われた。
若いながらも、メドヴェージェフと同じく卓越した艦隊指揮能力を有し、同時に駆逐艦艦長としての腕と度胸も有している。電撃戦を行う際、常に一番槍として先陣を切る事から、太平洋艦隊の中では切り込み隊長の役割を持っている。そこでメドヴェージェフにボロジノフの勇猛果敢かつ猪突猛進な戦闘に目を付けられて、太平洋艦隊の水雷戦隊司令長官にまで昇進する。一点突破能力に定評があり、突撃の際に直撃弾を弾き返すなどその恐るべき攻撃・突撃能力から
基本的には「粗にして野だが卑にあらず」を地で行く性格であり、口が悪いが悪意はなく、その為か僚友と部下などからも慕われている。

北海道戦争での活躍
第一次道南沖海戦では隷下の駆逐艦とフリゲートを率いて雷撃を試みるも、夜間時でさらに煙幕を張っている関わらず一方的な狙撃によって次々と落伍し水雷戦隊の約半数を失うこととなった。それでも戦闘可能な少数の駆逐艦だけで重巡1隻を沈没させ戦艦1隻中破、駆逐艦3隻を被雷させ中破させる活躍をみせたほか、「ウポール」への追撃を防ぐなどの活躍を見せる。
第二次道南沖海戦では北方艦隊に組み込まれた。メドヴェージェフや戦友の仇を討つため讐を果たそうとし、命令を無視して自らの水雷戦隊を率いて突貫、予想外の方向から砲雷撃を行い後に「道南沖の悪夢」と恐れられるほどの修羅の如く活躍をしている。
第三次道南沖海戦では、後に伝説として語り継がれる一点突破を披露する。

  • アレクサンドル・クレメンチェフ
北方艦隊の第一水上打撃師団に所属する<トハチェフスキー>の艦長及び第1水上打撃師団の司令長官を務めているレーダー射撃のエキスパ-ト。海軍少将。戦艦用兵の第一人者として知られ、砲術の権威となっている。一点集中攻撃による砲雷撃戦闘においては彼の右に出るものはいないとされている。
性格は戦友のメドヴェージェフいわく「万に一つの可能性を発見したらそれを信じ、冷静沈着に行動する人」である。実際、幾たびの戦いにおいて常人には到底思いつかないような方法で危機を突破してきた。中国軍の電子妨害下においてFCSが当てにならなくなった状況においても、砲撃長だった頃の経験を活かした的確な指示を行い、85%以上の命中弾を叩き出すなどの神業をみせた。「柔軟な発想で戦局を乗り切る」を信念としており、戦場での先読みの鋭さで功績を挙げる。
パブロヴナが乗艦している関係上、参謀とは別に司令補佐という名の雑用係も兼ねている苦労人である。当初はパブロヴナの自由奔放な性格から翻弄されているが、艦隊戦での非凡な判断能力は認めている模様で的確な補佐をしている。

  • マクシム・プラトーノフ
北方艦隊の航空参謀長兼ね第一航空戦隊司令長官。海軍中将。航空屋としてのプライドが強く、同僚のザハルチェンコをライバル視しているが、昇進で遅れ気味なのが玉に瑕。かなり家族を溺愛しており、所構わず家族の写真を見せびらかしたり、娘自慢やのろけ話のために軍の回線を公然と使用するなど、極度の親バカ・愛妻家。
ユーク海軍航空隊の基礎を築いたクズネツォフ元帥の薫陶を受けただけあって、航空兵力運用ではユーク随一であり、航空攻撃において彼の右に出るものはいないといわれている。攻略不可能といわれた陸奥湾要塞をたった一度の奇襲攻撃で機能不全に追い込むだけの錬度を誇り、その航空攻撃指揮能力はザハルチェンコに拮抗している。やはりというか、航空機部隊の鬼教官としてもしても知られ、その恐ろしさから「人殺しプラトーノフ」やら「気○いプラトーノフ」など、エライ言われようだったとか。ただしこれほどの訓練を課したからこそプラトーノフ機動部隊はユーク最強の航空部隊となり得たのであり、実際彼の没後ユーク海軍の航空部隊は凋落の一途を辿っている。そして飴と鞭はしっかり使い分けているようで、同時に気遣いや優しさを家族同様にかけるために、周囲の人物からは非常に慕われている。
パブロヴナのことを当初は小娘扱いしていたか、中国海軍との戦闘で類稀なる艦隊運用能力を見てからはその実力を認め、幕僚団の一角として的確に補佐するようになった。砲雷戦での猛攻を繰り出すパブロヴナと航空隊の指揮による隙のない用兵のプラトーノフの役割分担は絶妙であり、何だかんだいって数多くの修羅場を潜り抜けてきた歴戦の猛者の貫禄がある。

  • イーゴリ・プーシキン
第10独立巡洋艦師団の司令長官で、階級は海軍少将。ボロジノフ、チューホフと並ぶ水雷格闘戦のスペシャリスト。戦況に応じた柔軟な艦隊起動を行うチェーホフと対照的に水雷戦隊の高速接近能力を重視した突撃戦法を得意とする。
北海道侵攻の際、第10独立巡洋艦師団はその機動力の高さ故に、追撃していた菊池中将率いる第五艦隊を追い越してしまった。その際、第五艦隊兵士から「まるで、疾風だ!」と言わせ、その後「ウラガーン」の異名を持つようになった。また、指揮や戦術・戦略の内容は、迅速かつ合理的である。パブロヴナは、その用兵ぶりを「神速にして、しかも理に適う」と評価。
水雷戦の腕も扶桑軍の大河内提督と互角に戦ったボロジノフに並ぶ力量を有している。

戦争中の活躍
第二次扶桑沖海戦で敵艦隊の動きをあらかじめ予測し、多数を撃沈させたほか、「ラードヌイ」を喪失させるも突如入ってきた菊池提督の「伊吹」の猛攻で苦戦を避けられないことを即断して、被害を最小限にとどめた。

  • ゲオルギー・チューホフ
ユーク海軍少将。第1駆逐戦隊及び第1水雷戦隊司令長官で、駆逐艦4隻にフリゲート6隻が付き従う典型的な水雷戦隊が3個集まった艦隊を指揮している。現場からの叩き上げ組らしく、苦労性の同僚であるクレメンチェフと比べると既存の発想に捉われないパブロヴナの作戦行動を「面白い」と感じるおおらかな面があり、退役前に彼女の海軍元帥就任が見たいと部下に語っている。

  • イワン・イワノフ
海軍第281艦上戦闘機連隊の隊長。
豪傑な人物で、自らの戦果よりも仲間が無事に生還することを信念とするナイスミドルな中年男性。パイロットとしての技量はユーク海軍でも一、二を争う腕前を誇るエースパイロットで、ベルカ戦争では若くして大尉まで上り詰めたが、、危機に陥った仲間の命を救おうとして命令違反を繰り返したり、また彼のいい加減な性格から上層部からは疎んじられている。しかしシリアスな状況では的確な判断と指示で幾多もの窮地をかいくぐってきた。何度被弾しても必ず生還して帰ってくることから「不死身のイワノフ」とのあだ名が付けられている。ザハルチェンコとは教官時代の教官と部下の関係で、いまでも「おやっさん」と呼んで慕っている。
空軍の航空隊を上回る戦果を上げていたが扶桑との戦争に疑問を抱っている。
撃墜数は28機、共同撃墜数21機。

  • アナスタシア・ヴァシリーシナ
「アドミラル・クズネツォフ」の戦闘機部隊の副隊長にしてユーク海軍航空隊で名の知れたエースパイロットの一人。隊長であるイワン・イワノフの僚機を務める。ユーク人の父と扶桑人の母を親に持ち、北海道で長い間過ごしてきたことから「どちらかといえば扶桑人寄りの人間」とのこと。若年ながらも熟練のエース並の腕を持つが、反面予想外の攻撃に対処できないなど良くも悪くも教科書通りの動きだと指摘されている。FBSに所属している兄がいるが近衛赤旗軍の謀略によって殺されており、ふとしたきっかけで兄から「このデータを死守して欲しい」と託される。真実を知ったアーニャは戦争をとめることができないと知ると、せめて扶桑側にこの事実を知らせ、せめて多くの血を流さないようと演習のさなかに最新鋭ステルス戦闘機Su-61で扶桑への逃亡を図る。

  • アラン・ティモシェンコ
イワノフから「期待のルーキー」と呼ばれるクズネツォフ第281艦上戦闘機連隊所属の新米パイロットで、階級は少尉。ヴァシリーシナと同年代にして空戦の才能を発揮した人物。扶桑皇国との戦争ではユーク軍一の戦果をたたき上げ、短期間にして各エースパイロットと並ぶ撃墜数を誇るようになった空戦の麒麟児。
イワノフからは腕を認められるほどの技量を持ち、岩手沖海戦や道南沖海戦といった大規模空戦で人離れした戦果を残した。
Su-61に乗って陰謀と混乱が渦巻く北海道の空に赴く。
中の人曰く、リボン付きとブービーとサイファーを配合することによって出来上がったした人物らしい。どうりでこんなチート人物ができるわけだ

北海道戦争での活躍
第281戦闘機連隊は501飛行団に編入され、最新鋭機Su-61を受理される。
初陣となった岩手沖海戦では、ユーク海軍航空隊の多くが命を落とした中で11機を撃墜するという華々しい戦果を出す。これ以降、第2次道南沖などといった大規模空戦で勝利といった戦果を上げた。特に苫小牧制空戦においては、その圧倒的な戦闘力で劣勢にあったユーク軍を優勢に導き、水頼大佐やのエース部隊など多数の戦闘機を撃墜した。この頃から敵味方問わず、畏怖と敬意を込めて「道南沖の鬼神」と呼ばれるようになる。
また、扶桑兵からは「北方の悪魔」、または部隊章から「ウロボロスの死神」などと恐れられた。
後に北海道戦争での戦果を分析した結果、ティモシェンコの作戦遂行能力は「ユーク海軍航空隊の一個師団に相当する」という恐るべき結果が情報参謀本部戦術情報課よりもたらされている。
北海道戦争での撃墜数は41機で、共同撃墜数は12機。

  • ボリス・'アブラモフ
海軍第281艦上戦闘機連隊の3番機にして常にテンションの高いお調子者。海軍航空隊の中では対艦攻撃の鬼と呼ばれており、ユーク海軍の航空隊の中では彼の右に出るものはいない。任務中にも軽口をたたいて管制官から悪態をつかれているが、反面に緊急事態においては柔軟な発想の元いかなる戦局でも落ち着いて対処できる肝っ玉の太さを見せいてる。しかし仲間想いな性格ゆえか、一時的とはいえアーニャと敵対した時は困惑の色を見せ普段の冷静さを取り乱している。
撃墜数は11機、共同撃墜は19機。撃沈数7隻。

  • ニコライ・クズネツォフ
故人。ソ連機動部隊の父と称され、スターリンに沿岸海軍から外洋海軍にするよう強く申請した人物である。
世界初の空母となる中央ユージア海軍のハーミーズや、本格的な正規空母として建造された扶桑海軍の鳳翔を見て、地中海やバルト海、大西洋の制海権を得るためには空母の整備が必要であると進言し、39年の時点で強襲揚陸艦の機能を有する大型空母5隻を有するまでになっている。
フィンランドとの戦争では防備が薄い都市部に空母機動部隊を投入し強襲上陸を果たし本部との連絡手段を絶ち、冬戦争の早期終結を手助けしている。
後のスカンディナビア戦役ではノルウェー軍、スウェーデン軍を圧倒し、スカンディナビア半島全国の掌握を実現した功労者となった。

ユーク空軍登場人物

  • マクシミリアン・ロドネフスキー
空軍大尉。「大空の鷹」の異名を持つユーク空軍一のエースパイロットにして、空軍選抜部隊となる第309統合航空団に一時的にまわされた。これまでの撃墜数は36機とベルカやエストバキアのエース部隊に匹敵する撃墜数を誇り、扶桑皇国のエースとも渡り合える人物として期待されている。偏差射撃の名人で、ミサイルがなくなっても機銃のみで大暴れした。敵を1機撃墜するのにわずか十数発しか弾を使っていなかったといわれている。そんな彼が誇りにするのは自らの戦果でも驚異的な技量でもなく、信頼する仲間を一度も落とさせなかったことである。
撃墜数41機、共同撃墜数13機。

  • セルゲイ・スミルノフ
空軍大佐。「ユークの荒熊」の渾名で恐れられているエースパイロット。第309統合航空団の指揮官として一時的に配属される。指揮官、パイロットとして高い能力を持っているほか、部下からの人望が厚い歴戦の勇士。大佐という立場にも関らず前線で指揮を執ることが多い。戦法は「肉を切らせて骨を絶つ」をモットーとしており、簡単に仕留められそうにない相手には被弾覚悟で格闘戦を挑み数々の戦闘機動で相手の後ろをとって撃墜することを好む。風聞を信じず、自分で見聞きしたものしか信用しない主義である。
撃墜数34機、共同撃墜数22機。

  • キリル・ルイシェコフ
空軍少佐。第309統合航空団に選ばれたパイロットのうちの一人。容姿端麗な顔立ちと出自の良さからファンレターがたくさん届いており、軍の広報部もしばしば彼をプロパガンダに活用している。しかしいいとこ育ちのイケメン坊ちゃんというわけでもなく、人離れした操縦センスを持っている。基本戦法は長距離からLSAMを撃って編隊を撹乱させた後に一撃離脱で多くの敵機を屠ることを得意としている。至近距離からの戦闘を好むため被弾数は多いが、それでも連れてきた僚機を墜落させたことは一度もない。ロドネフスキーとは同期ということから互いにライバル視しているが、腕は認め合っている。
撃墜数27機、共同撃墜数8機。

  • イグナート・ヴォボルノフ
空軍中佐。ユークでも五本指に入るエースパイロットで、接近戦をもっとも得意とし人並みはずれた戦闘機動を用いた格闘戦に定評がある。奥尻島事変ではたまたま近くを飛行していたため救援に駆けつけており、圧倒的な差を誇る扶桑空軍の第6世代機の制空戦闘機と技術と精神力で第4世代機であるMiG-27にも関わらず互角に渡り合っている。性格は旧貴族としての影響か正々堂々としたことを好み、姑息な輩と卑怯なことをとても嫌う。独特の感性の持ち主で、戦闘・日戦闘に限らず口を開けば突拍子もない発言をよく行う。また空気が読めないわけではないが空気を読んでも敢えて気にしない人物。かなりのロマンチストの変わり者として知られている。またプライドが高く、唯我独尊的な一面を持つ。
撃墜数39機、共同撃墜数9機。

北海道戦争での活躍
千島列島を占拠したオーシア軍から、現政権が秘密裏にクーデタによって起こった政権であることを告げられ、現在首都「シーニグラード」では政権奪還に向けたクーデタによって混乱状態にあることと、現大統領の命令が無効であることを理由に降伏勧告を通達。
勧告に従い陸軍と海軍が各地で武装解除、原隊に復帰する準備をする中、ヴォボルノフ率いる部隊が勧告に叛き徹底抗戦を声明する。この声明に共感した次世代試験艦隊と一部の陸空軍将校によってクーデタ軍を編成し、扶桑第3、第4艦隊の航空戦隊と交戦する。
本来戦争に使用される予定であった第7世代戦闘機の機動性と試験艦隊の強力な武装、陸軍の粘り強い抵抗によって、少数ながらも大部隊と渡り合えるだけの戦闘をする。

  • アンドレイ・マルコフ
故人。防空軍大佐。ソ連防空軍の伝説的エースパイロットで、防空軍創設以来の実力者といわれている。階級は大佐。1995年のベルカ戦争でソ連政府はオブザーバーとして連合軍に参加したが、オーシアの妨害をするべく秘密裏に飛行任務につくためにベルカに派遣された。そこでクリスタ・ヨスラフという女性と知り合い、命令違反を承知で極秘結婚をしていた。しかし、クリスタはユーゴスラビア空襲でオーシア軍を中心とした連合軍の空爆に巻き込まれてしまい、それ以来オーシアに対して熱烈な恨みを抱いていた。
その最期は、オーシア首都オーレッドにて、オーシア空軍エースパイロットであるビショップ大尉と死闘を繰り広げた後に撃墜され、後に死亡が確認された。撃墜数は48機、共同撃墜数22機。

セルゲイ・イリッチ
元ソ連空軍/防空軍少佐。故人。セルゲイ・イリッチという名は偽名で、元の名をユーリ・ダシコブという。「国境無き世界」に参加したユーク兵の一人であったが、クーデター軍の情報提供を条件に司法取引によって服役を免れたところをスタグレイショフに拾われた経緯を持つ。
カルフォルニア上空での戦闘でウォーウルフ隊と交戦するも戦死。撃墜数は17機。共同撃墜数11機。

  • イワン・スタグレイショフ
防空軍中将。故人。ソ連八月クーデタの主力となった防空軍の総司令官で、自らの権限を駆使して防空軍全軍を率いてエリツィンらに対し反乱した。クーデタ軍が有する戦力は航空戦力、地上戦力、海上戦力共にソ連正規軍に劣らない規模を誇っていたが、兵士の大半が防空軍を指揮するスタグレイショフの命令でやむを得ず反乱に加担していたため戦意も低く、直属の部隊とスタグレイショフに加担する若手将兵以外は烏合の衆であったため、反乱は早期に鎮圧された。
実力さえあれば人種や思想を問わず重用することから、彼を信頼する部下も多くいたが、裏の顔は狡猾な策略家そのもので、堅実に勝利を固めていくことを信条とする。しかし、清濁を併せ持つ手腕と人格から彼を支持する将兵は多い。
エリツィンの改革を快く思っておらず、ブラトノイと呼ばれる反政府組織を秘密裏に組織してソ連とウクライナの紛争を仕込むなどの暗躍を繰り返し、エリツィンを失脚させようと画策し続けた。モスクワでのクーデタ失敗後、戦力を立て直すためにクーデタ軍の切り札である新型爆弾「トリニティ」の取引によってソ連軍に降伏しようとしたことがマルコフに露呈し討たれた。

紅龍会

  • 劉武鄭
キターイスク共和国陸軍中将。秘密結社「紅龍会」の創設者。大東亜戦争時に関東軍に祖国を侵略され国力を大きく削ぎ落とされ、さらに国共内戦時のどさくさにまぎれて行われた内モンゴル併合やシベリア抑留などのソ連軍の蛮行から両国に対する憎悪が凄まじい。かといって共産党に組しているかといえばそうでもなく、大躍進や文化革命、天安門での大弾圧などから祖国にも愛想を尽かしている。ユークの疲弊を狙い、戦力が落ちたところで一斉蜂起、北上してきた中国軍と共にウラジオストクまで侵攻して失われた国土の復活を夢見ている。将来は「中華連邦」の建国を夢見ており、中国内の軍閥にクーデタを呼びかけ武装蜂起を行おうと呼びかけている。

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最終更新:2017年10月13日 23:33

*1 オラーシャ内戦は統一派と反対派との戦争になっている。

*2 こちらの世界では扶桑人によるシベリア抑留は起こっていない

*3 連合軍側で参戦し、艦砲射撃による沿岸基地の攻撃や海防戦艦の撃破などで戦果を立てる。なお、このとき扶桑海軍との間でちょっとした小競り合いが勃発している。