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 他県の里程標など  08/08/15 創設  
     な、な~んと 因縁の一年経過と4か月  09/12/87 加筆

= 09/12/18 ==
 伊予松山には、「札の辻」に幕藩時代の元標?
  「従金毘羅二十八里」 「大洲街道二里」 「土佐・二里」
など
   五つの街道に30基あまり残るという(熊註 舞鶴田辺藩型か?)
   久万高原町二箆山(土佐伊予往還)に「十二里」

 別情報:秋月街道(北九州)の要所に江戸期の里程標石:数基
         里程数は整数でない ▽里△町

== 09/08/12 再度 採録分 ==

新着情報 == 他県の状況 == 09/08/12 ==

 兵庫県・洲本  3基 近代文化遺産指定
   岡山と形式違う(M5布告準拠): 七尺 木柱の姿を残すかも(熊)
   加筆 「淡路往還(南海道)」に里程標4柱と類似柱3柱ある。
     尖頭形角柱 22×22×高さ  (兵庫県歴史の道報告書6)10/01/27YK

 富山には M5布告準拠の木製十一尺 8基 (内7基復元品)

 広島-大竹間 にM18行幸記念の「壱里標」石
   広島起点で、七里十三町ある 官に呼応した私製か?
       高さ六~七尺   いずれも  「壱里標」 
   壱里目の 「壱」 佐伯楽々園に残っていたものを収蔵(@石内)
   廿日市に 四里目の 「壱」 いずれもWEB内に写真
   大竹市に 七里目 実物を移設復元 

 広島廿日市(津和野街道) 「距 廿日市元標壱里」、「同弐里」 岡山スタイル
     明治24年もの 広島元標からの距離を横面に併記

 紀州街道に 「距松阪元標五拾(米・千)」 大きい石柱

 宮崎に 「距 宮崎元標八里」 岡山と同スタイル

 西海市西彼町に 18cm角 「長崎十三里」 画像なし

 飫肥街道@内之田に 「一里標石」 (内容不祥)

 舞鶴・野村寺(路)橋 「田辺橋ヨリ一里」  (画像あり)
      全部で、3基現存
                           ここまで ===↑

  岡山の隣県や他の県の里程標/道路元標/一里塚/一等水準点などの事情を調べます。 以下は 08/08/15 掲載分

  奈義豊沢の里程標  その親HP:奈義の史蹟名勝
===
  
広島廿日市の例  更に、もう1基 09/08/12 追加分
  広島佐伯区の例    
明治18年天皇巡幸のときに設置された
  広島安芸区の一里塚/水準点
  暗越(くらがりごえ)奈良街道の一里里程標  M35年5月
  宮崎延岡の例  日向の例もあり  
  福井市|武生市の例  解釈に疑問あれど、京都の往還路
  埼玉県の道路元標 由来(法制に言及)と現状
  里程標/道路元標考察  三重県四日市の場合
  伊勢街道  伊勢街道一般の資料中に 元標と里程標
    三重県HP これは 「伊勢街道」 資料としても面白い 
  
札幌の「明治一里塚」と御休所  四里ごとに御休所