滞郷記


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 二竪(やまい)漸く癒えんとして辞郷の日近きにあり。一篇を貽(のこ)して暫し旧閭に訣れむ。
 シューベルトの“Standchen”を想はす様な美しい朧月夜だ。沈丁花の冷たい匂ひにそそられて、静やかに月光のみちあふれた庭におり立ってうつつなく梢を眺める。帰ってきてから四たび仰ぐ満月の影。
 うつろとなったやうな自分の胸には張り詰めた哀愁もなく火のやうな情熱もない。身を包む沈丁花の薫りのそれにも似た心持。今私は限りなき夜の静寂を味ひながら夢の園をさまよふてゐる。

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 私は遠からず行かねばならぬ。この温い田園の慰撫から離れて再びけばけばしい幻惑の巷の混濁した空気に生きねばならぬ。一切の精神美を破壊する新文明の光に乱酔した人々のみずぼらしい仮面舞踏に面をそむけて息詰まるやうな日を送迎せねばならぬ。だんだんと春らしくなってゆくにつれ躰軀の元気も日に増し加はる。けれども一日一日と余す日数の消えてゆくのがどんなに残り惜しく思はれることだろう。
 私は病を抱いて郷にかえってからこのかたの長い追想を筆に任せて書き留めて置かうと思ふ。(三月十二日記)

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 私が帰って来たのは昨冬十二月二日の晩だった。せはしない東都の人たちに目慣れた私は帰郷の都度、広島駅の待合室に群がった人たちの諄朴な風刺や詞つきにあふれたローカルカラーに深い懐かしみをしみじみと覚えるのである。
「ごうぎお寒うがいますの」とお婆さん同志。
「もうぢき来てぢゃけん待っとりんさい」若い肩揚が鬚を撫で上げながら・・・
 残虐な物質文明の渦中に気息奄々として呻吟せる生存の弱者の悲しみを、屢(しばしば)目撃し来った痛惨な記憶は春の淡雪のごとく跡方もなく消え去って、さながら太平の夢幻郷を観るやうなゆったりとした気分になる。
 淡く煙る臥虎山頭(広島市の比治山)の松の翠を見返しつつ呉線を南への帰るさ、海浜づたひに走る列車の窓に弱い夕日が差し込む。金色に揺らめく内海の波のさざめきに、はしなくもウェーベルの舟唄を思ひ浮べつつ今宵の我が家の楽しい夕餉を心に画けば、緩やかに流れてくる潮の香もそぞろになつかしまれる。

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 稀に来る夜半もかなしき松風を
     絶えずや苔の下に聞くらむ
「おかあさん。唯今帰りました。おかあさん・・・・・・・」
 友が錦衣嬉しく帰ったのは、十二月二十八日の夜。饗宴の宵さざめき渡る村の古老たちの太古さながらの歓歌の声を聴き流しつつ友は私の青く冷たい手をひしと握り締めた。この夜二人は言葉少なかった。けれども私は友の笑ましげな顔ばせとその夜の感懐を永く忘れえぬであろう。
「えらくなって帰りました。喜んでください」
 遠く鐘愛の昔を顧みて慈母の霊前に涙ぐみつつ手向けた言葉はこれより他に何があらう。

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 昨日と過ぎ、けふと暮して飛鳥川・・・今更にいにしへびとの咏嘆も痛々しく身にしみて、大聖の臨終の如き落暉の光は音もなく薄れてゆく。かくして改暦第二の年は遠く悠久の彼方に没し去った。

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 病中の身には陶然とした屠蘇の酔心地も味へず心しづかな新春を迎へた。
 義太夫会。一月十日夜。語り物は今度新しく稽古したもので、この夜がその発表会(あけじ)。
 信仰記 御殿 菅原四ツ目 梅由 新口村
 連中は皆めきめきと腕が上ってきたのでどれも面白く聞かれた。
   梅は飛び桜は枯るる世の中に、なにとて
   松はつれなかるらん、女房よろこべ倅はお役に立ったぞよ。
 聴き慣れた物ながら、「寺子屋」は好きな浄瑠璃だ。「梅の由兵衛」では可憐温順な少年の死をいとほしむ。都雀氏の「梅忠」は稽古足らずで前半だけだったが、しんみりとした美しい語り口だ。
  イヤイヤ男気な忠三郎、頼んで今夜は爰(ここ)に泊り、死ぬるとも古郷の土、生みの母の墓どころ、一緒に埋まれそなたにも、
  嫁姑と引合せ、未来の対面させたいと、おろおろ涙梅川も、それは嬉しうござんせふ、さりながら、私がととさんかかさんは、
  京の六条球数屋町・・・
 我当の「梅忠」を観たことがあるが、封印切りの場も好ましいけれど私は「新口」の方を好ましく思ふ。

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  正月もごゥざった
     お逮夜もごゥざった・・・
 幼いころの童謡がフト心をかすめて過ぎってゆく。まだ月ものぼらぬ星明りの夜。円福寺には今読経の鐘がしめやかに響いて釈迦入滅(親鸞入滅の間違い?)の夜の哀調を伝へる。幾年ぶりかで賑やかに打揃ふてお逮夜の「夜茶」をたべた。

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 平和な団欒のうちに旧正月も来た。けれども伝統的の習俗の懐かしい気分は年と共に衰滅して、今時では羽子板ついて遊ぶ子もない。凧のうなりも空に聞えることが稀になった。

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 二月一日、湖月(藤井清水の従弟の富永正気の雅号)朝鮮へ出発。あまり、突然で驚いた。垣の角まで見送る。対馬海峡を乗り超えて遠く旅立つ彼の姿をまたいつの日に相見えるであらうか。鶏林の空は寒しと聞く。自愛せよ。

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 二月の初旬と終わりに呉の別宅(その頃郷里の家は長兄が守り、父は呉市に別居してゐた。)へ行って数日遊んだ。格別の享楽もない。けれども煙りそめた町並みの柳の下に瓦斯の灯をあびて漫ろ歩きすれば、また軽い眩惑的なムードに包まれる。

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 糞便検査の結果無数の十二指腸虫が繁殖してゐることが判ったので極力これが駆除療法を施す。二日目ごとに一日の間隔を置いてチモール2.5グラムづつ服用(朝)、あと下剤として甘汞と篦麻子油と交互に用ゐる。午後(夕方にかけて)強度の下痢がある。下痢はさほど苦しいとも思はぬが朝絶食して服薬(殊に篦麻子油)下後の気持ち悪さはなんとも譬へられぬ。
 これを10日間許りやって後、還元鉄と亜砒酸を連用して今に続けてゐる。

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 「梅由」と「十種香」を兄について稽古する。「梅由」は四日で上げたが「十種香」は六日かかった。上野の学校の女子部や男子の学友から時折便りがあるので都の様子も学校の模様もよくわかる。

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 一月中旬に帰国した宗二師匠が漸く戻って来た。連中が集って座が賑ふ。「先代萩」の「原田館」を聴く。
 引き続き薬と牛乳に親しんでゐるが、貧血も次第に恢復して血色が良くなった。食欲も進んで来た。

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  蝶々とまれ 菜の葉へとまれ
   菜の葉が切れたら
    わしの手へとまれ
 ひやめし草履突っかけて麦畑を蝶々追ふた少年の頃を夢のように憶ひ出しつつ、ぽかぽかと暖かい光に息づいてゐる菜園の菜の花の黄色な悲しみを追ふ。紅梅は真盛り、桃も咲いた。彼岸桜もこの雨で綻びそめた。障子を明けると木蓮の花の香がしっとりと流れて来る。
 「梅忠」(新口村)の稽古を始める。

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 年の蓋があいてから三度呉の町へゆく。新開の街筋の赤い格子戸の家から淫らな糸のねじめ聴く灯ともし頃はわけもなく軽やかな心持になる。
 一日、海岸近くの金毘羅宮の松の丘にのぼった。麗らかな春の日の行楽に、適当な場所の多くを持たぬこの土地の人々は、こんな所にでも来てブラブラと歩きながら港の景色を眺めてゐる。私もその一人だ。孤独な一人だ。
 と、遥かに放大な欸乃(あいたい・・・うたごえ)が夢の国からでも流れて来たやうに耳を掠める。眼の下の沙浜には貝採る女子供がうごめいてゐる。軍港には四十隻ばかりの大小の艦艇が静かに浮いてゐる中に、今朝進水式を挙げた新艦扶桑が三万噸の巨體をを波の上に横たへてゐるのが眼をひく。
 一丈五尺の櫓が撓ると唄はれて、その昔平相国入道が夕日を招き返したといふ早瀬(音戸の瀬戸の早い瀬)のあたりは瑞々しい春のうしほがひたひたと打寄せてゐるのであらう。ぎらぎらと輝く波のおもてを眺め渡すと、黄色い柑子が枝重く垂れてゐる南海の山畑が慕はれる。

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 帰村して本号の編輯(へんしゅう)と印刷準備に取り掛かる。発刊以来これで八号目だ。
 夕暮れの里の静けさ、縁側に出て春の香に満ちた庭にうっとりと見入ると彼岸桜の枝もたわわに満開の花をつけて打揺いでゐるのがまたなくうるはしい。
 蛙が啼く。柔かな薄い膜をふるはして蛙が啼く。
  土手の蛙のなく声きけば----
 湖月が良く唄ってゐた節をおもひ出して、放縦な退廃的な江戸時代のDecadentが心をそそる様な軽い「春の哀愁」を身に覚える。年一年と置いてゆく我が「青春」に対して痛切な別離の寂しみを味ふのは菜種さく春の頃。惜しめど甲斐なき一生の「峠」は過ぎんとする。誰かある。黒髪なでて打哭くべくもがな。

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 十句余りの帰省中格別の記すべき出来事もなかった。なれども私には過ぎ去る一日一日の推移が底知れぬ懐かしさを残してゆくのだ。
 この冊子が諸子の手に触れる頃には私は東台の花をくぐって学(実際は旧字)に通ふてゐるであらう。
  三月三十一日夜、新月の光淡く枝垂桜の梢に匂ふ頃稿を終る。

(権藤円立氏が藤井清水創作ノートより筆写。)

全文筆写終了。10/4