南京事件


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南京事件


南京事件とは

1937年(昭和13年)12月13日から約2ヶ月間の日本軍、主に第16師団の南京城内外における掃討作戦による捕虜・敗残兵・赤色ゲリラ兵、非武装の民間人の殺害を指す。どの程度の規模で民間人の殺害が行われたかは諸説が存在し、30万人以上から数千人規模までさまざまである。

南京事件の間接的な原因と考えられること

  • 中国領内で中国共産党軍、いわゆる八路軍によるゲリラ攻撃が頻発したこと。それによって日本軍はゲリラと民間人の識別が厳しくなっていたと思われる。(そもそもゲリラ攻撃自体がハーグ陸戦協定違反)

  • 中国国民党軍が南京の死守にこだわり、撤退命令をなかなか出さなかったこと。撤退命令が出された時には指揮・命令伝達機能が日本軍の攻撃によってほとんど破壊されており多くの兵士が撤退できず、しかも日本軍による武装解除を拒み、軍服を脱いで市民にまぎれたこと。それによって正規兵と民間人との区別が曖昧になってしまったこと。

  • 日本軍は急激な進軍速度によって補給線が伸びきり、自軍の食料を供給するのに精一杯であったため、大量に発生した捕虜を食わせるだけの食糧が無かった。

以上の3点が挙げられる。

規模のわかれる諸説


  • 30万人以上
中国で多く聞かれる説である。各種、埋葬資料や裁判の証言などに基づく。
埋葬資料は不正確な部分が多いため、これをそのまま証拠採用すべきではないが、少なくとも「根拠のない数字」であるとは言えない。同時に信頼できる数字であるとは言いがたい。

  • 十数万人前後
この説は日本の比較的主流の学者に多く見られる説である。その裏づけには現存する日本軍戦闘詳報・陣中日誌など日本軍の公文書(現在は防衛庁の資料室が保管)が元になっている。ただし、戦闘詳報は敗戦直後、大量に焼却処分されたために多くが失われている。また、戦闘詳報には「戦果」として数を多めに書く傾向がある。従って、この数字が上限であるとも下限であるとも言えない。

  • 1万人以上十万人以下・数万人程度
日本の虐殺に否定的な学者に多い説である。主に日本軍の記録から確実に虐殺といえる下限を見積もった数字である。

  • 一万人未満・もしくは捏造
1940年代当時、どの国の占領地域でもその程度殺害はある程度あったとして、南京事件だけがプロパガンダとして過大に報じられたとする主張。確かに事件の詳細を報じたのは日本との関係が悪化していたアメリカの『ニューヨークタイムズ』であった。また、当時国際連盟で南京事件が2万人の民間人の殺害として中国代表が発言しているが取り上げられなかった。
この説を唱える人たちは事実には関心が無く、結論を先にもってきてそれに当てはまる理屈を後から考える傾向がある。

兵士か市民か

 支那兵は自軍が劣勢になると軍服を脱ぎ捨てて、市民から服を奪って着ることにより市民に紛れることがよくあった。
 そのため、 日本軍は市民に紛れ込んだ軍人を捜索するのに非常に苦労した。
 また、市民の格好をしたゲリラによる不意討ちなどに、日本軍は苦しめられたと言われる。
これは対テロ戦争における現代米軍の作戦を見ても容易に推測できる。
 南京では、日本軍は青壮年男子を全て便衣兵容疑があるとみなし、これを拘束せよとの命令を出した。
そのため便衣兵に混じって無関係の一般市民が多数拘束され、殺害された。

 便衣で攻撃した場合には明白な戦争犯罪であり、処刑することは全く合法である。
しかしながら、南京で拘束されたのは捕虜・敗残兵の他に無関係な一般市民が多数居た。
また、処刑には裁判が必要だが、日本軍はほとんどこれをしなかったが識別の為手や肩等、武器を扱った痕があるかどうかを確認する作業が兵士の間では行われている。

中国側の主張

江沢民時代以降中国側は公式に30万人以上という説を唱えている。しかも、反日愛国主義教育により犠牲者の数が年を経るごとに大きくなるという異常事態に陥っている。また事後に共産党員が『30万人と言う数字は既に決まっている』と公言している。

中国側の主張の矛盾点

中国側の30万人以上という説は物理的に無理があり、軍事的に見ても懐疑的である。
まず、陥落時の南京の人口は20万人であり(多少の人口の増減があっただろうが)、30万人以上を殺すことは物理的に不可能である。幽霊を殺したならばそれもありえるが、現実的には多重カウントの多発が想定できる。
また、軍事的に見ても体質的に補給能力の低い日本軍がそのような大殺戮を行う能力があったとは考えられない。

仮に実行したとすれば大量の銃弾(最低でも30万発以上)が必要になるし、銃剣などの刃物を使用したとしても使用した刃物は刃こぼれなどを起こし、ほとんどが使い物にならなくなる(士官軍刀で斬れるのは良品でさえ2~3人が限界だし、銃剣も何回か使えばかなり消耗する。そもそも人間の体は結構斬り難いもである)。また銃剣は短く、刃物単体としての戦闘力は極めて限定的、しかも三八式歩兵銃で銃剣を使用すると細長い銃身が歪むので普段は銃剣での戦闘を禁止している。

仮に30万人が虐殺されたとするなら一人60kgとして約18000tもの膨大な量の死体が発生するはずであり、それを旧日本軍が処理できるとは思えない。
紅卍会などによる埋葬記録から得られる数字もそれを裏付けている。

さらに仮に大量殺害が行われたとすると、南京の人口は大幅に低下するはずであるが、列強各国の国際食糧援助は殆ど減少していない。周囲からの流入の可能性は大量殺害の情報から考えにくい。

また、南京事件の代表的研究者である東中野修道氏らが発刊した著作、「南京事件「証拠写真」を検証する」において、中国共産党が反日プロパガンダ機関として設置している「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館」や、各種出版物で用いている「証拠写真」を検証したところ、「証拠として通用する写真は一枚もなかった」との研究結果が出ている。

南京事件研究者の間では、「一級史料として認められている文献には合法的処刑一件をのぞく、南京城内での殺人に関する記述は認められない」というのが定説となりつつある。
「ウイルソン証言」、「マギー牧師の証言」などの史料は、伝聞系の記述があまりに多く、日本側研究者はその資料的価値には懐疑的とされる。

国民党軍のプロパガンダとしての南京事件


日本軍人やジャーナリストの証言で多く共通しているのが、「当時南京にいたが、大虐殺など聞いたことも見たこともない」というものである。
これを裏付けるかのように、近年「南京大虐殺」は戦後に創作された国民党軍の反日プロパガンダであったとする説を、東中野氏を中心とする人々が唱えている。
南京にいたアメリカの記者、ティンパリーが中国国民党の顧問
であったこと、南京事件当時の公式文書に「南京大虐殺」の記述が無いことなどがその理由とされる。

ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅計画との対比


南京における多数民間人の殺害はゲリラ掃討を目的としており、ナチスドイツのホロコーストは特定の民族の地球上からの根絶を目的にしている。
よって ナチスドイツが行ったホロコーストとは意味合いが全く異なる為同列に扱いその対応を対比するべきではない。



参考資料



「南京事件日本人48人の証言」
阿羅健一著 小学館文庫
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