最新のページはこちらです17年7月


ブログのタイトルを変更しました(2017年7月)

静岡に引っ越してから無我夢中で走ってきました。
引っ越しも、陸上の練習も、仕事も。
先日、ハードル仲間の河原さんに、引っ越しても宮城マスターズって聞かれました。
その数日後、精密検査で病院へ行った時に時間が有ったので図書館で本を読んでいてふと思いました。
こんなに頑張ろうと思わなくてもいいんじゃないかと。
幸いなことに、静岡でも働くことができました。
今の上司は、前の会社にいた時に、コラボで一緒に仕事をしたことがありました。
これも縁です。
前の会社は、アルプス電気(株)で、定年後の再雇用の2年も含めて39年働きました。
なかなか利益を出せなかったのですが、最後の数年に米国の大手の仕事を獲得できて、会社にとてもとても大きく貢献できました。
仕事を通じて自分しかできない能力も獲得・発見することができました。
今の仕事は、とても面白いので、考え方を少しだけ変えて楽しむことができると思います。
昇進も考える必要がなく、自分の満足することを目指した働き方ができるはずです。
これが自分の「ハッピー・セカンドライフ」です。
プロフェッショナルとして仕事をすることが自分の楽しみです。
こんなに幸せなセカンドライフはなかなか無いかもしれません。
もう62なので、体のどこかに不具合は有って当然です。
これからは、自分を少しだけさらけ出せるブログにしていきたいと思います。
こんな考え方になれたのは、今の上司のT本さんや、河原さん、昔からの友人の川合君や近藤君のおかげだと思います。
今度会ったら、AndyやOyaGやOOEさんやアッキーやさっちゃんやKAYAさんともこんな話ができたらと思います。
今一番大切なのは、家内とのハッピーセカンドライフです。



転居します 2017年

3月7日に角田を引き払い、8日に静岡へ荷物を搬入しました。
荷物の整理をし、転居の手続きをし、ホッとする暇もなくテグへ行きました。
3月まつでようやく落ち着きました。

いろいろ悩んだ挙句の結論は、39年住み慣れた角田を離れ、静岡へ転居することでした。
心残りは沢山あります。
仕事のこと、宮城マスターズのこと、近所のこと、住み慣れた家のことなど
心配も沢山あります。
決めた以上、新天地で頑張ります。

2015年に思ったことと2016年の計画


2015年はM60に上がり、恐る恐るハードルを始めました。
そのため、なかなかスピードが上がらない状況でした。
青森の芳賀さんにそこを指摘していただき、スピードを上げるように試みたのですが、もう一歩というところでした。
東北大会では10台目直前で止まってしまい、その後3歩で走りきれるかも心配していたので、結果としてはまずまずだったと思います。
全日本の後はミニハードルでスピードを落とさない感覚を養っています。
この休みにふと思ったのですが、ミニハードルで走っている時に、ハードルを跳ぶときの抜き足が後ろに流れています。
競技場が使えるようになったら、この点を直したいと思います。

100mに関しては、最高スピードに上げようとすると、体がぶれてしまうのを感じていました。
タイムは13秒後半と決して速くは無いのにぶれが始まります。
スピードが上がってくると、体をスムーズに動かすことが出来ないため、横方向の振動が起きてしまうのではないかと思っています。
力みすぎなのかもしれませんが、ぶれない走りをしたいと思います。
バウンディングで跳びきれるということが解決になるのではないかと思います。
全く逆かもしれませんが、まずはやってみます。

もう一つ、300mHですが、最後まで走りきれませんでした。
そこでエンディングを400mにしました。
400mを63秒で走りたいと思います。





2014年のシーズンが終わりました

今年はきっぱり北上で終わりにしました。
ハードルのビデオを見た方々からは「惜しかったね。」と言われますが、私自身は最後の最後に3歩に挑戦して良かったと思っています。
(レース直後に遠藤さんから気持ちは分かったと言われた言葉が嬉しく残っています。)
5台目までは3歩で走れましたがこれが現実的なところだと思います。
6月の宮城選手権では、5歩になってからも途中で3歩に戻すことが出来たので、その辺りも心の奥に有ったのでしょうか。
5台目を越えて5歩で走る間に3歩に挑戦しようとしましたが、なかなかできず、しかし9台の後3歩に挑戦し10台目に届かず転倒してしまいました。

北上から帰った後は、M60モードに切り替えて練習を開始しています。
来年は300mHにも挑戦したいと思い、エンディングに250mを加えました。
M60の100mHは、ピッチが8mと50cm短くなり、高さも91.4cmから84cmになります。
問題はスタートで、第一ハードルまでの距離が12mと1m短くなります。
8歩では多すぎで、7歩はチャレンジ。
とにかく、来年が楽しみです。
リヨンのホテルも予約しました。

もう一つ、骨ストレッチを始めて6年になりますが、そろそろ成果を出したいと思っています。
ようやく自分の体の中が分かってきました。
既にサッチャンが骨ストレッチランニングで成果を出しています。
道は有ります。





2013年に思うこと


2012年の年末にアジアマスターズで自分に起こった不思議な体験を書いた。
自分自身で忘れないようにするためだが、今年あのハードリングを再現できるだろうか。


Asia Masters M55 100mH final  左:2台目と3台目の間   右:4台目


意識して行ったことではないので、なんともいえないが、今年はこの再現が課題。
同じ意識になれないにしても、ハードリングだけは再現したい。
今年は、もうひとつ。
100mで新しい走法がどんな結果になるのか、楽しみだ。

2013年1月5日



競技を始めて3年目(2008年)

2007年を振り返ってみて一番印象に残っているのは、何と言っても全日本マスターズのハードル。
残念ながらメダルは逃したし、追い風で参考記録となったが、16秒70は故障で練習不足にもかかわらず嬉しかった。
記録は単なる結果であるが、ハードル間の3歩を疾走しているという実感があった。
それまでは、大股走。
走っているのではなく、三段跳びの感じだったが、これでようやく先が見えてきた。
しかし、それにしても、この2年間は故障に悩まされてきた。
最初は、弱い部分が補強される過程だと思っていたが、70%くらいの期間は故障で全力の練習ができなかった。
これで少しは賢くなって、少しは練習の有り方を学ぶことができた。
特に故障が単発ではなく、連鎖的に起きていたことは、体調管理や記録会への臨む姿勢を考えさせられた。
昨年の故障のおおもとは、一昨年の11月にバレーボールの試合で軽い捻挫をかばって無理をしたための、右足の内転筋の肉離れに始まる。
そこから、春先の記録会での左足肉離れになった。
この時はアップの時に違和感が有り、またスタートの1歩めで痛みを感じたので、大きな故障にならないようにすることはできたはずだ。
無理をしてゴールまで走ってしまった。
ゴールデンウィーク明けには、走れるようになったが、その後左アキレス腱に痛みが移動し、これがなかなか治らなかった。
内転筋は、1年が経過しようやく痛みが無くなった。
後はストレッチで稼動範囲を回復すればよい。
アキレス腱は、テーピングをしっかりして、再発防止をしなければならない。
走法とトレーニングも故障には関連をする。
一昨年の夏に大腿直筋を痛めたのは膝を深く曲げない走法にして、足を前へ出すときの負荷が大きくなったからであり、筋肉強化なしでフォームを変えたのが原因。
その後、スタートダッシュで脹脛を痛めたが、これも急にスタートダッシュをしたからだ。
これらのことを考えると、もうそろそろ故障から開放されるのではないか。
トレーニングも積んできたし、トレーニング自体も変えてきた。

今年こそ、12秒台。
ハードルも大好きだが、やっぱり100mで記録を出したい。(2008年1月19日)


思うこと

今年でついに50歳になってしまいました。
出張の多いサラリーマンですが、少しでも楽しく仕事をし、楽しく生きたいと思っています。
結構あたらし物好きで、いろんな事を広く浅く、しかし時には深く追い求めています。
自分の足跡を少しでも残してみたく思い、これを始めました。
少し、食い意地がはっていて、結果食べ物の話が多くなっていきそうですが・・・・・。
2005年10月15日

追伸1

このブログを始めた時は、何を書いたら良いのかイメージが湧きませんでした。最初は、出張が多いので、出張で見つけた面白い話を紹介しようと思い、タイトルを決めました。
だんだん、自分の事や、自分でやっている事などを書いていくうちに方向が決まったきました。しかし、これもまた変わるかもしれません。今の自分を残すために、少し思いつく事を書いてみようと思います。
中学1年では、知人の進めもあり、生物クラブに入りました。しかし、秋には、春に1500m走で同じレベルだった同級生がどんどん速くなった焦りも有り、生物クラブを退部し、陸上部へ入りました。生物クラブも楽しかったのですが、それ以上に速く走りたいという思いが有りました。中学では走り高跳びをやっていましたが、3年の終わり頃に、ハードルを少しかじったことと、走り高跳びだけでは戦えないと感じていた事で、高校では5種競技を始めました。今の高校の種目は8種競技になっており、また、ハードルも高さが一段高くなっていますが、改定前の事です。ハードルが大好きになり、100mもそこそこで走れ、400mも根性で走りぬきました。砲丸は苦手でしたが、トータルでは愛知県を通過し、東海でも何とか入賞し、インターハイへも行く事ができました。
大学では、特に運動はしていなくて、就職をして少したった頃に、フランスからパラグライダーが入ってきて、パラグライダーに熱中していました。命がけで競技に参加もしました。日本選手権にも出たりしていましたが、何か違うなという気持ちが、心の片隅にあったと思います。
それから、年に数回陸上競技場で走っていて、少しずつ思いが高まって、去年、本格的に走り出しました。
【データ】
1955年生れ
会社員(仕事は設計)
中嶋 宮城県角田市在住
(2006年4月17日)


このページのアクセス
今日: -
昨日: -
累計: -