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開発メモ

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開発メモ

開発者ガチャビンのメモ

  • 基本は「1ブロック1ページ、分類はタグで」

  • プロットブロックは「その結果何がどうなった」、キャラクタブロックは
  「そこで誰がどうした」、イベントブロックは「何が起きた」  
  • 質問をして選択肢を選ばせていく、全体の軌道修正は各自が
  常識とセンスの許す範囲内で行うという形式が一番良い。
  ブロック間の相互影響やデータベースに格納された既存の
  ストーリーパターンを考慮して自動的に物語の方向付けを
  してくれるアプリケーションなら無敵なのだけど、なにせ手動だし。 

  • ヒックスの「ハリウッド脚本術」が種本の一つなのだが、
  ハリウッド脚本術は基本的に「明確な目的意識と意志決定能力を
  持った主人公と、彼or彼女に明確に対立する敵役の対立ドラマ」
  という型に基づいた作劇術だ。いかにもハリウッド的。
  何より、目的は必ず達成されなくてはならず、そのために葛藤は
  必要不可欠で、敵は正しく打倒されなくてはならない。
  これらの要素がぬるい作品は駄作らしい。なんとも。
  ハリウッド映画とはまさに強迫的なアメリカ精神の結晶なのだ。

  ストーリーを力強く牽引する存在として主人公、また対立も
  意志決定もドラマには重要な要素だとはわかってはいるものの、
  これらをあまりにも強調した作劇術は、日本だと使える場所と
  受け入れられる人材が限られているような気がしてならないので
  キャラクタ層という概念を導入してみた。
  ここでキャラクタ個人がどう考えどう感じどう行動するか、
  状況にどう対応するか、キャラクタ間でどういう意志や
  感情のやりとりをするかを扱う。キャラクタが状況に流されながら
  お互い駄弁ってるだけで話が終わってしまう、という極めて
  ジャパンライクなしょうもない物語も再現できるかもだ。

  • 「このキャラクターを描きたい」「このシチュエーションが描きたい」
  「とにかくなんでもいいからクリエイターになりたい」
  日本ではこの三大欲望だけが無闇に肥大していて、これに
 「けど(面白い)ストーリーが最後まで語れない」というオチがつく。
  だからキャラの設定だけ凝っちゃうとか前後の脈絡がまるで分からない
  =文脈を共有していない大多数の人には理解も感情移入もできない
  小作品を書いてしまうという例が掃いて捨てるほどあるわけで。
  「萌え系」「同人系」と揶揄される作品群の特徴だ。
  けど、「それらはまだ萌えられるだけすごくマシ」と言いたくなる例も
  決して少なくない。

  これらのニーズに対応できれば良いのだけど、ヒックスなんて
  三つとも全否定してるしなあ。というか、まずこの欲望を
  批判して叩き潰すところから始める指導法は評判が良かったりする。
  とりわけ、教える側と、元々それらの欲望が大して無い人には。

  • 「マンガでわかる小説入門」は、この三大欲望が極端に肥大しきった
  主人公がなんとかまともな小説を仕上げられるまでに成長する物語。
  実に親切な本だ。もっとも彼くらい素直で行動力があって
  モチベーションが豊かな人材も珍しかろうけど。第一、良い意味で
  クリエイターとしてのプライドが無いのが凄い。

  • タロットカードを使ってプロットを作成する方法がある。
  想像力を刺激する画期的な方法なのだが、タロットでは
  内容が規定しにくく、データベース化が難しい。要素間の
  繋がりがわからないという問題点もある。プロットにおいては
  各要素よりも互いの要素を繋げる作業の方が遥かに重要で、
  どれだけ各要素がドラマチックで魅力的でも、筋が通って
  いなければ全体としては台無しになることが多い。
  コメディー作品では狙ってそうすることさえある。
  創作論において要素還元主義が忌避されがちな理由でもある。

  タロットカードのように象徴的な要素を繋げてお話に仕立て
  上げる力があるのならば、既にプロットを書くスキルが十分
  身についているような気がする。象徴的読解能力の必要な
  三題噺だ。うんうん頭を捻らせるための訓練用と割り切れば
  いいのだが、いきなりタロットだけ渡してさあ出た通りに書け、
  というのは熟練者でもきつい。それでは支援ツールとは言い難い。
  むしろ作家養成ギプスだ。
  また最初の内はトレーナーが傍について逐一添削なり指導なり
  していなければまるで意味が無い。

  • 各ブロックが単語なら、物語は文章だ。
  日本語が喋れない英語話者に上品な日本語の言葉遣いだけ集めた
  単語帳だけを熟読させても、日本語が上手くなるわけではない。
  むしろ、単語が洗練されている分だけ滑稽になる。
  文法が大事なのだ。
  とは言え、物語の文法をどう扱うか。難しい。

  • この文法の厄介さを考えると、ハリウッド的な三幕構成に
  話を絞った方が下手に風呂敷広げるより良心的かもだ。

  • というか、ストーリーの自動生成が可能となるためには
  筋書きが大部分固定されていてかつシステムが閉じている必要がある。
  パラダイム関係にある要素を入れ替えるのは容易だがシンタグム関係の
  要素を再配列するのは困難だから。

  • シンタグム系列のシーケンスを完全に固定して名前とキャラだけ変数に
  したら簡単なのだけど、それでプロットメーカーと名乗ったら
  非難轟々だろうな。

  • タロットや某塚氏のルーンのように、神秘的な要素を
  混ぜた方がシンプルな要素還元⇔要素構成主義のチープさが
  バレにくくて良いのかもしれない。

  • 基本形の考察。
  「発端」→「状態・経過」→「劇的変化」→「解決」
  要するに起承転結。起承転結の組み合わせで全部説明できればいいなと。
  物語全体では「起→承→転→結」の基本形だけではなくたとえば
  「起→承→転→承→転→結→転→承→転→結」でもいいわけで。

  • 「承」に相当するブロックを何種類かにわけた方が良いかもだ。
  ドラマが盛り上がる承と逆にトーンダウンする承、
  どちらにも影響しない承。
  しかし余計なお世話なような気がしないでもない。
  ここでは省くべきか。

  • 同じブロックでも、起承転結の要素が重複することがある。
  民話物語において結としてメジャーなものに「結婚」があるが、
  これはお昼のソープドラマでは起や転であることが多い。
  やはりカテゴリ分類には無理がある。

  • ジャンルと利用者層を絞った方がいいのだが、どうしようか。 
  絞りたくないのだけど。

  • プロップの機能やグレマスの役割分類だけでストーリーが
  十分に再構成できるなんて主張するから、要らぬ反発ばかり
  買ってしまうのだ。どちらもゴリゴリの成長譚で、主人公から
  して記号的なキャラクタしか出てこない物語を想定している。
  日本では、何故かこの手の話は最も幼稚で子供かオタクしか
  喜ばない(と思われているが、実際は違う)低級な物語と
  見なされる傾向がある。特に、批評する側や創作論を語り
  たがる側にはこの傾向が強い。

  • ところが、機械的な創作論を語りたがる人だと勝手が180度違って
  必ずプロップの名前を出してくる。この対立が面白い。

  • だから、某塚氏が初期のスニーカー小説やRPGを例として持ち出したのは
  必然の流れなのだ。どちらもゴリゴリの成長譚と記号的なキャラが
  現役で機能している分野だから。
  「アイテムと名前とグラフィックだけ、良くて戦闘システム変えた
  だけで新作扱い」「主体性の無いお使いゲー」「ウルティマから
  一つも進化してないby堀江」と揶揄されがちなコンピュータRPGなどは
  末期的な例かも知れないが、その分パターン分析しやすい。
  プロップの機能もきちんと機能しそうだ。

  • けど「ゲームシナリオのドラマ作法」は良書だと思う。
  ハリウッド脚本術とスタンスや方法論が被ってる部分があるけど、
  非常に読みやすくかつ面白い。教科書としてもエンターテイメント
  作品としてもよくできている。ハリウッド脚本術は内容は素晴らしい
  がテキストが糞過ぎる。その点では、アイデアとプロットが良くても
  テキストがウンコだと全体としてはウケないよ、というのを
  地で行っている素晴らしい反面教師的「作品」とも言える。

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