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風は悽愴  ◆TPKO6O3QOM




(一)

 外に飛び出した私たちを出迎えたのは唸るような強風だった。その風圧に、私の小さな翼は翻弄されそうになる。慌てて風を掴み直し、私は体勢を立て直した。
 数刻前の穏やかさから一変し、上空の雲は大きな獣の群れのようにうねるように奔っていく。雨が来る。それも、もう間もなく――。
 湿り気は翼を重くするものだけど、この不調は天候のせいじゃない。
 羽ばたき一つ一つに身体が軋みを上げるのが分かる。まだまだ若いつもりだったんだけどな。

「飛ぶのが難しいなら背中を貸すか?」

 私の無様な飛行を見たプックルさんが心配そうな声を掛けてくる。普段なら遠慮する所だけど、強がっていられる体調でもない。今回は彼の言葉に甘えよう。

「申し訳ないですけど、お願いできますか」

 揚力を調整しながら、私はプックルさんの背中に降り立った。紅色の柔らかな鬣に私は身を埋める。この動作だけでも、とても億劫だ。羽を休めた途端に、更に倦怠感が身体を包む。一応、この姿で居る限り寿命で力尽きることはない。
 とはいっても、この疲労は休息や睡眠で回復できる類のものではないから厄介だ。
 それでも飛ばずにいられるだけでも多少楽にはなる。意外なことだけど、軽やかに大地を駆けて行くプックルさんの背中は、中々居心地がいい。ただ、動いていないと嫌な推測に思いを巡らせることになりがちだった。
 まずは楽俊さんのこと。プックルさんの言うとおり、生きている可能性は零じゃない。だけど、あの声は致命的なものを含んでいた。命を多く奪ってきたからこそ、その命が続くか終わるかの判別が可能になってくる。
 勿論外れる場合だってあるし、外れてほしいと願いたい。だけど、あの状況でケットシーとやらが仕損じる理由もないのも事実だ。時間はたっぷりある。仮にピカチュウさんが全速力でホテルに向かった所で、到底間に合うものでもない。

 もう一つは――。

「人間が出てくるとはな」

 プックルさんが面白そうに呟いた。

 そう……。もう一つは、人間が見つかったことだ。
 それが誰なのかは勿論気になるけど、それよりもこの事実は、危惧していた“キュウビが参加者と縁ある部外者を人質にとっている”可能性がより現実味を増したことを示唆している。そうでなくとも、部外者が囚われている可能性は高くなった。
 ただし、発見されたという学校がそうした部外者の収容所とは考えにくい。となると、必要が無くなったから捨てられたと考えた方が自然だと思う。例えば、その縁者である参加者が亡くなったとか。
 この説だと、発見された方が私の知り合いの誰かである線は薄い。
 ただ、重傷ということが気になる。捕まる時に、もしくはそれからも抵抗したために痛めつけられていたのだろうとは予想できる。キュウビが衛生環境等に気を遣うようにも思えないし、治療などしようはずもない。もしくは、痛めつけてからから放逐したのか。
 今この時にサイザーさまが苦しんでいるとしたら……と考えると気が気でなくなる。
 勿論。サイザー様は簡単に捕まるような方じゃない。ただ、ハーメルンさんたちを先に捕縛されたら分からない。あの人たちちょっと……いや相当抜けてるし。
 それに加えて、キュウビの力が未知数なのも気にかかる。
 もしもサイザー様を人質に取られ、殺し合いを強要されたら――私は今の方針を貫く自信はない。
 サイザー様と他の方たちを秤にかけたら、私は迷わずサイザー様をとる。あの子が私のすべてだから。
 キュウビに敵対する行動を選択したのも、あの子が悲しむからだ。
 やっぱり私って魔族なんだなあ。今更だけれど。

「話を聞けるぐらいには元気で居て欲しいものだ。うまく運べばキュウビとの直接対決も遠くないかもしれんぞ」

 こちらの気も知らずにプックルさんは剛毅に笑う。彼は、自分の主たちが人質に取られているとは考えないのだろうか。
 ……考えないんだろうな。多分。
 彼が楽観的だとか、私の発言を忘れているとか、主を妄信しているとかってだけじゃない。彼は主を持ちながらも自立しているのだ。誰かに一方的に依ることなく。

「なんか少し楽しそうですね」

 私の口調には少し棘のようなものが含まれていた。
 だけど、プックルさんはそれには気付かなかったようだ。肩越しに振り返った彼の瞳は、曇天の下で活き活きと輝いている。

「そう見えるか? でもまあ、たしかにそうかもな。これまでずっと、主のために戦ってきた。それはお前も同じだろう? だが、こいつは他の何でもない、オレの戦いだ。オレたち、人間に仕えてきたものたちのな。こう……グッとこないか?」
「……いえ、全然」

 胸の内の焦りを悟られないよう、私はわざと連れない風を装った。
 オレたちの戦い。プックルさんの言葉に、私は動揺していた。とはいっても、彼の言葉に感銘を受けたわけじゃない。残念ながら。
 私はキュウビを倒すと彼らに告げた。そこに、生き残りたいという気持ちは微塵も含まれていなかった。そのことに気づいてしまったから。
 それは多分、一度死んでいるせいじゃない。
 サイザー様に危害が及ぶかもしれないからキュウビを倒す。それしか、私にはない。
 私はずっと、あの子にかこつけて生きて来た。あの子のためという鎖で、自分を律していた。そうして世界と関わってきた。あの子のためと、人間を――そして同胞を殺してきた。その果てに、成り行きで人間たちの救世主の一人になろうとさえしていた。
 まったくもって都合のいいことだと思う。軽蔑していたギータやドラムなどの方が余程真摯だった。魔族の立場で、これ以上ないほどに純粋に人間と向き合っていたんだから。
 私に意志などなかった。多分、今も――。

「むぅ。漢心が分からん奴だ。やはり雌雄関係なく睾丸は必要だと思う次第だ」
「そんな汚らわしいもの要りません。邪魔ですし」

 ぼやくプックルさんに、私は苦笑する。
 彼は私とは違う。隷属ではなく、もっと健全で親密な関係を主と築いてきたんだろう。それが少し嫉ましい。

 沈んでいく思考を振り払うために、私は話題を探した。そういえば、プックルさんから本を無理やり預かったんだっけ。ずっと彼が咥えているもんだから、涎で酷いことになってたし。これにしようかな。

「ところで、あの本のことなんですけど、ちょっといいですか?」

 結局、話題は何でもよかったんだけどね。ただ堂々巡りしそうな思考を遮断したかった。それに、先程プックルさんとあの本について話し合った後からずっと考えていたことがあったのだ。

「……俺の仮説は間違っていないぞ。何せ間違いだという証拠がないからな」

 そんなわけで話に出したのだが、プックルさんは途端にどこか拗ねたような声音になった。まだ自分の仮説に拘泥しているようだ。余程自信があったみたい。
 サンプルの少ない状況で立てた仮説なんだから覆されるのは仕方ないことだと思うんだけど。
 ただ、強面の彼が子供のように意地を張っている様は、少し可愛いと思う。

「多分あれは人間という表現を使っていないだけなんだ。忘れたか? 星を喰う存在の話にも人間は出ていなかったじゃないか。自慢じゃないがオレはすっかり忘れていたぞ!」

 何故か胸を張ったような口調で告げてくる。嘆息を一つ溢して、私は翼を軽く振った。

「なんで偉そうなんですか。それに話したいのはそのことじゃありませんよ。あの本の持つ意味です」
「意味? ピカチュウの同じで拘るんだな。今のところ名称をぼかす理由もないし、キュウビがあれを書く理由もない。つまりは存在に意味はない。理由を考えるのも馬鹿馬鹿しい。殺し合いの役に立たん代物だと分かっていることで充分だ。何か出来た所で、せいぜいオレのすまーとな仮説を混乱させようとするぐらいだ。その目論見を見事オレは看破したがな」

 そう。プックルさんの言うとおり。本には、殺し合いに関する限りメリットがない。
 そんな無意味なものを製作し、支給する。こんな無駄なことはない。キュウビの遊び心とも考えられるけど、それは余裕がある場合だ。
 この殺し合い自体に不備がないかというと否としか言えない。殺し合いを催す場としては、ここはあまりにも非合理的すぎる。
 遊びを入れる暇があるならば、その前により効率的に殺し合いを進められるようにしようとするのが当然だと思う。
 この殺し合いが呪法――儀式であるならば尚のこと、万全を期して臨むはずだ。ただでさえ幾つもの異世界を渡る大掛かりなものであることだし。

「そこなんです。もしですが、この本がキュウビの手によるものでないとしたら? そして、無意味に“見せかけたい”のだとしたら、これの存在意義が変わってきませんか?」

 後半部分の彼の妄言は丸っきり無視して私は問い掛けた。こちらの意図を測りかねているのか、プックルさんの速度が少し落ちる。それともツッコミが欲しかったのかな。

「……何が言いたいのか見当もつかんが」

 彼の鳴き声には少し落胆した響きがあった。これは本当に後者だったのかもしれない。まあ、気にしないでおこう。揺れたので、彼の体毛をもう一度しっかりと掴み直す。

「私たちに是を以て何かを伝えたい存在がいるかもしれないってことです。それも、この儀式の行使に深く関わっていて、それでいてキュウビとは別の思惑を持つ存在が。キュウビに仲間がいることが前提の話ではありますけど」
「無意味に見せかけたいというのは、どういう意味だ?」
「木の葉を隠すなら森の中ってことですよ」

 首を傾げたプックルさんに私は言葉を重ねた。彼に支給されていた物品を例に挙げる。

「プックルさんのバッグに入っていた柿の葉ですけど、あれはどうみてもただの葉っぱでしたよね?」
「オレの世界には世界樹の葉と言う反魂の力を持つものがあったし……実は隠された力とかがあるんじゃないかという期待を熱く胸の内に秘めているのだが」
「いやでも、“古本屋・本の虫の老夫婦思い出の品”と説明ありましたし。ていうか、秘めた所でどうなるもんでもないでしょうが」
「むぅ……世界樹の葉は売れるんだぞ、375ゴールドで」
「どんだけ安く買い叩かれてるんですか……。物価とかその辺を知りませんけど。ま、それは置いといて。殺し合いの参加者に渡すものとして、あまりにナンセンスだと思いませんか?」
「まあ、な。そういえばあの犬の鞄には笛も入っていたな。余程クジ運がないらしい」

 プックルさんは苦笑したようだ。私からすれば、笛は一概に無力とは言い難いんだけど。ただ、ここで口を挟むとややこしいことになるので黙っておく。

「そうでしょう? わざわざ支給するんですから、殺し合いを効率的に進めるための物品であるべきです。武器とか防具とか。それなのに、こういった物を紛れ込ませるのは無駄がすぎます。しかし、こういった役に立たない代物は他にも沢山支給されているんだとしたら……?」

 しばしの沈黙。鬣越しに流れて行く世界は、淡い赤色だ。やがて意味することが伝わったのか、プックルさんの耳がぴくんと動いた。

「……なるほどな。キュウビ以外の何者かがオレたちに知らせたい何かを、キュウビに気付かれずに入れるために、ゴミのような代物を多数投入して誤魔化した……と言いたいのか」
「ええ。その何者かの真意は分かりませんし、実際にいるとも限りません。ですが、こう考えれば、あの本の説明は付くと思うんです」

 私は言い切った。
 こう言ってはなんだけど、我ながら相当飛躍した考えだ。気を紛らわすためとはいえ、後で思い返したら赤面するんだろうな。それに付き合わされたプックルさんには申し訳ないけれど、まあ、聞くだけならタダだし。
 と、プックルさんが肩越しに私をちらと見た。内心を見透かされたのか、その目には揶揄するような色がある。

「その本が“森”に相当するのかもしれないぞ?」
「……否定はしませんよ」
「更に付け加えると、おまえの説はキュウビが殺し合いの効率化など考えていない場合には意味をなさんな」

 意外な切り返しに、私は鬣に埋めていた顔を上げた。戯れとはいえ、根本から指摘されるとは思わなかった。
 無意識に、私は嘴をとがらせた。

「確かに、このは殺し合いは非効率的な要素が多すぎます。でも、これは手が回らなかったと考えられるのではないですか? 呪法を行うということは、何かしら事を急ぐ必要があったからでしょう?」

 私の脳裏には大魔王ケストラー復活のために、そして聖杯のために魔族たちが奔走していた記憶が鮮明に残っている。あれは自らの永遠の命を保つという、切羽詰まった事情があった。そのためにハーメルンさんやサイザーさまが辛い運命を辿ることになったことを思うと、やりきれなくて胸が痛くなる。
 それはともかくとしても、事が大きくなればなるほど、それで解決せねばならない問題も大きいものになるはずだ。

「そいつは、おまえが呪法のための殺し合いを効率的に進めなければならないと信じ込んでいるからだ」

 今度は私が困惑する番だった。どう相槌打っていいものか迷う。プックルさんは続けた。

「確かに、あの魔王は呪法のために殺し合ってもらうと言っていた。だが、果たして呪法とこの殺し合いは直接結びつくのか?」
「と、いいますと?」
「殺し合いは呪法に関与しているが、殺し合いそのものが呪法とは限らんってことだ。そもそも、キュウビは呪法と言ったが、そいつをオレたちに告げる必要はないんだ。それが真実だとしてもな。殺し合わねば呪法が完成しないのなら、そりゃあ自分から弱点を曝すようなもんじゃないか」
「………………」
「それをわざわざ教えるということは、オレたちにこの殺し合いこそ呪法だと思わせたいという意図があるとも勘ぐれる。または、殺し合いを隠れ蓑に別の何かを進行させているのかもしれん。仮に殺し合いが呪法にとって重要性が低いものとしよう。さて、真面目に支給品を整えたりすると思うか?」
「……いいえ。もしくは、無駄に力を入れた遊びを入れてくるかもしれませんね」

 無意味で酷く凝った遊びをギータやオルゴールあたりならやってくるだろう。キュウビがそんな性格とは思えないけれど、否定する材料もない。

「だろう? 効率化なんぞ二の次だ。第一、殺し合いを迅速に進めたいのなら、わざわざこんな広い舞台を用意しないだろ。それこそ闘技場か何か、狭い場所に押し込めてしまえばいいんだ。この舞台の広さでは時間稼ぎにこそなるものの、スムーズな進行など無理だ。現にオレたちは半日経つのに四匹の獣にしか直接遭遇していない。

 さて、こうだとしたら本に意味などあると思うか? 一転、無意味になっただろ?

 要するに、まだ分からん部分をあれこれ考えたところで暇つぶしにしかならん。だから、今理由だのなんだのを考えるなんてのは馬鹿馬鹿しいんだ。大体、おまえの仮説はキュウビの言動や行動が真実であることが大前提じゃないか。しかも、あいつの話を裏付ける確証も推察するに足る情報もない。土台が泥沼じゃあ、どうしようもなかろ」

 プックルさんはそう言って、少し苛立たしげな吐息をついた。

 ……なるほど。プックルさんはこんな風に殺し合いを見ていたのか。だから、彼と私たちの議論に時たまズレが生じていたのだ。単にその……天然なんだと思っていたんだけど。

 がふぅと、プックルさんが咳払いをしたのが聞こえた。

「あのな。考えても詮のないことに執着することを、それこそ無駄と言うんだ。どんな結果だろうと、もう起こってしまったんだから俺たちにはどうしようもない。まあ、なんだ……こうでもしないと目を逸らせないなら、付き合いはするがな」
「………………」

 しかも、私のことなんかお見通しと来た。鈍いようで、彼は中々どうして聡いところがある。それとも大雑把な彼に気遣われるほど、陰気な空気を纏っていたのだろうか。なんか……ショックだ。
 無言の私に対し、プックルさんの胡乱気な視線が向けられる。

「どうした?」
「……プックルさんって頭が悪いわけじゃなかったんだなあって。ただ非常識で大概に於いて大雑把なだけだったんですね。驚きです」
「ほう。どんな風にオレを見てたのか後でじっくり話し合う必要があるようだな」
「必要ないです。言ったまんまですし」
「……ないのか」

 半眼になって呻くプックルさんを見て、私は失笑した。それに対し、不機嫌そうに彼が鼻を鳴らす。
 突然、彼の身体を緊張が電流のように迸ったのを感じた。体毛が逆立ち――刹那の後、彼は後方へ飛び退った。

「ちょっと――!?」

 私は非難の声を上げ――それは半ばで途切れた。
 寸前まで身体があった場所を一本の大きな杭が唸りを上げて貫いたのだ。それは着地点の大地を地響きと共に大きく抉り、土塊と粉塵を周囲にばらまいた。杭だと思っていた代物が、半ばで両断された大木だと漸く気付く。

 この攻撃に、私はまったく気付けなかった。自分で思っている以上に衰弱してるってことか。

 プックルさんが怒りも露わに吼えた。脇手の森から大柄な人影が姿を現す。鎧と大きなマントを着込んだ、隻眼の赤い竜人。巨大な剣を担ぐ姿は、私に幻竜王ドラムを思い起こさせた。
 竜人は私たちを舐めるように見、そして隻眼を細める。プックルさんもまた、その竜人を凝視していた。顔見知りなのだろうか。

「丁度よく威勢のよさそうなのが居たもんだな」

 その言葉を背後に置き去りにし、竜人は一気に間合いを詰めてくる。大地を揺らすような踏みこみと共に、担いでいた大剣が一息に振り下ろされた。その際に巻き起こった烈風が、見た目通りの質量を持った業物であることを報せている。

 そして、竜人が殺し合いに乗っていることも。

 寸での所でプックルさんは左方へ身を躍らせて避ける。叩き斬られた空気が、旋風となって彼の体毛を掻きまわしていった。着地と同時に小刻みに跳んで、プックルさんは竜人との間合いを取った。
 切っ先は大地を割っていた。竜人の膂力は相当なものだ。

「先に行け。足止めはやってやる」

 竜人から目を離さずにプックルさんが小さく唸る。確かに、ここで時間を取られれば人間は助からないかもしれない。引いては、貴重な情報源が失われてしまう。
 だけど――。
 竜人の放つ威圧感は、私まで息が詰まりそうなほどだ。彼一人では荷が重い。それはプックルさん自身も分かっている。彼の全身は総毛立ち、尻尾は緊張でぴんと張り詰められているんだから。
 ここで私が変身を解けば、援護が出来る。だけど多分……私の命はない。一度失った命に未練はない。ただ、人質を取られている可能性が幾許かでもあるのなら簡単には捨てられない。
 躊躇っている私に、プックルさんが吼えた。

「頭の悪いメスだなあ。オレに治療が出来ると思ってるのか? それにな、オスの面子ってのは立てるもんなんだぞ」

 髭を焦燥で震わせながら、それでもプックルさんは不敵に笑って見せた。卑怯な私を後押ししてくれている。私の行動を――正当化してくれている。

 竜人が下段の構えから、その巨体には似合わぬ滑らかな動きで迫る。

 ……ありがとう。そして、ごめんなさい。
 目を伏せ、私は彼の背中を蹴った。翼を広げ上空へと羽ばたいた私は、風を掴んで一気に厚い雲の元へと舞い上がる。
 風が私の翼を奪おうと襲い掛かる。だけど、負けるわけにはいかない。私は悲鳴を上げる自分の身体に鞭を入れた。
 大地と大気の悲鳴を背中に聞きながら、私は学校へと急ぐ。音はやがて小さくなっていった。




(二)

 下段から振り抜かれた剣先が蛇のように伸びる。それを身を沈めてやりすごし、プックルは猛然と踏み込んだ。しかし、その途中で頭上に影が落ちたのを見、彼は足を素早く踏みかえて横転する。
 地面越しの振動に、小さく体が跳ねた。
 振り下ろされたのはリザードマンの野太い尻尾だ。鱗と筋肉という天然の装甲に覆われたそれはさながら鉄棍のようだ。現に叩かれた地面は陥没し、砂利が大きく弾ける。
 実質、二刀を振るわれているに等しい。リザードマンは爪先の方向に身体を反転させると同時に、手首を返した刀で地面を薙いだ。落ちかかってきた刃を、プックルは大きく跳躍して躱す。
 荒い息をつきながら、プックルはリザードマンを睨めつけた。気を抜けば竦みそうになる四肢を叱咤し、汗ばむ足裏で大地をしっかりと掴む。この大トカゲは、自分には少々重すぎる食べ物だと認める。頃合いを見て、逃走に移るのが最善だと本能が告げていた。
 逃げ切る自信はある。ただし、気がかりなのはニャースたちが自分たちの臭いを追ってくるかもしれないことだった。ニャースがどんな魔物か知らないが、ピカチュウの話からは闘争に向いた種ではなさそうだ。アマテラスに関しては全く情報がない。
 逃走した後、ニャースたちがこのリザードマンと遭遇する可能性は高い。とはいえ、どのみちプックル自身にも勝算が薄いのでは心配した所で結果は同じだ。

(気にせずに逃げ、首輪の解除が可能なものを新たに見つけるのも一つの手ではあるが――)

 リザードマンは既に大剣を青眼に構え直していた。リザードマンは無造作に間合いを詰めると、捻った上半身から肩口へ鋭く打ち込んできた。凄まじい迫力を伴った一撃は、周囲の空気を破裂させながらプックルへと迫る。
 それを際まで引き付け、プックルは素早く足を送った。

 逃げ遅れた体毛が一房、剣風の中を舞う。

 プックルの身体は大剣の陰へと入った。一瞬であるものの、リザードマンの視界から完全に見えなくなる。プックルは四肢を収縮させると疾風の如く跳びかかった。咆哮と共に前足の魔爪を布の上から叩き込む。しかし、上がったのは肉の悲鳴ではなく、しゃしゃという口惜しげな声だ。あろうことか爪は紫紺の絹布の上を滑ってしまったのだ。

(くそ……なーんか見覚えがあるような気がしていたと思えば! ついでにあの留め紐も!)

 プックルは忌々しく口吻を歪めた。リザードマンが身に付けているマントは、大魔王との決戦で彼の主が纏っていた代物だ。その柔らかで艶やかな外見とは裏腹に驚くほどの強度を誇り、耐熱・耐寒効果まで併せ持つ。ほぼ全身を覆う布は、これ以上ないほどの強固な鎧と化すのだ。

 渾身の一撃をいなされ、プックルは無防備な状態を曝してしまう。
 そして、この好機を見逃すほど相手は盆暗ではなかったようだ。動きを止められたプックルの背に大剣の切っ先が突き込まれる。身を捩るも――逃れきれない。
 しかし運よく剣先は逸れ、脇腹を掠めるに終わった。それでも衝撃にプックルの身体は弾かれる。傷口から零れた血が、色あせた草の上にどす黒い綾を落とした。
 跳ね起きたプックルを迎えたのは漆黒の突風だ。颶風に彩られた刀身に、プックルは敢えて飛び込んだ。半歩にも満たぬ動きで身体を捌くと、刃は戸惑うように空を刈る。
 プックルは地面を蹴りあげた。跳躍の勢いを乗せて突きあげた前足をリザードマンの下顎に叩き込む。

 戛と鉛を叩いたような音が響いた。

 まるで巌を殴ったように、プックルの肩を痺れが奔り抜ける。しかも多少無理な体勢からだったためか、爪は鱗を削いだだけで下の肉にまでは潜り込まなかった。それでもこの一撃は、リザードマンを多少よろめかせることには成功した。
 相手の顎を蹴り、プックルは小さく後方へと跳んだ。半呼吸ほど遅れて、リザードマンの左手が空を掴む。それを視界に捉えながら着地したプックルは再度突進した。

(こりゃあ……ひょっとするとひょっとするかもしれんぞ)

 プックルの思考に浮かぶのは、脇腹を掠めたあの突きだ。あれは外してはならない、外すはずのない一撃だった。乳離れしたての子供ならいざ知らず、このリザードマンの体捌きは熟練の匂いを漂わせている。
 それなのに彼は刺突を外し、それ以外の斬撃もプックルの動きを追尾しきれてない。
 加えて、先の左手もまた、プックルを拘束するには微妙に位置がずれていた。
 リザードマンの面相を見やる。彼が身に付けている眼帯には乾き切っていない血のにじみが残っていた。これは相手が右目を失ってそれほど時間が経っていないことを物語る。

 つまり――相手は片目での立ち回りに慣れていない。

 プックルを迎え撃つ上段からの斬り下ろし。しかし、やはり軌道はプックルを捉えるには僅かにずれている。回避する必要もなく、そのすれ違いざまにプックルはマントからはみ出たリザードマンの足に爪を突き立てた。
 赤い鱗を剥ぎ、その下の肉を僅かにえぐり取る。ぱしと、小さな血の花が咲き、焼かれた傷口から薄く煙が立ち昇った。
 リザードマンが小さく舌打ちしたのを聞く。
 怒りの咆哮に替えて薙ぎ払われた尻尾を、プックルは躱さずに気合いの呼気と共に両足を交差させて受け流した。衝撃にプックルの息がつまるも、身体は弾かれていない。この一合で、懐に入られては満足に迎撃も出来ぬと悟ったか、リザードマンは素早く退いて遠い間合いを取ろうとした。されど、それをプックルは許さない。
 草はらを駈ける雷光の如く、プックルは疾駆する。そして、細かい踏みこみと旋回を重ねて縦横無尽にリザードマンの全身に襲いかかった。迸る雷火のような獣影に対し、体勢を整え切れていないリザードマンの斬撃は虚空を打ち砕くだけだ。切り裂かれた空気が嘲笑うかのように重々しい唸りを立てる。
 プックルの爪牙は腕や足、尻尾といったマントに覆われていない部分を浅く細かく切り裂いていく。重さを捨てて迅さを重視した攻めであるため、表面しか削れていない。だがしかし――。

(それで構わん!)

 特に執拗に狙ったのは剣を握る右腕だった。幾つも刻まれた浅い傷から流れ出る血が、赤い鱗を艶めかしい朱に塗り潰していた。
 首筋へと放った一撃がマントの留め具を捉え、紫紺の布がはらりと地面に広がる。
 マントの下から現れたのは、所々を砕かれたぼろぼろの鎧だ。その下の鱗は無惨にも鬱血している。
 掬いあげるような剣が迫るのを見、プックルは大きく後ろへ跳んだ。まぐれか、剣筋だけはプックルを両断していた。
 上空へと突きぬけた烈風を噛み砕き、プックルは仕上げと稲妻を放つ。

 青光りする閃光の蛇はリザードマンの右腕に喰らいついた。血と肉が焦げる臭いと共に、大剣が轟を伴って大地に倒れ込んだ。
 常ならば撃たれた所で剣を取り落とすことなどなかっただろう。だが幾重にも重ねられた傷は、雫が巌を穿つように少しずつ右腕の感覚を奪っていたのだ。
 稲妻の道筋を辿るように、プックルの身体が金色の風と化した。集中して狭まる視野に昂揚を感じながら、プックルは魔爪を振りかざした。
 爪を突き立てるのは何処でもいい。肉に潜り込ませた上で爪に込められた魔力を解放する。内部より焼かれれば、如何にリザードマンといえども只では済まない。
 血を浴びて光る紅蓮の魔爪は鎧に覆われていない腹部へと吸い込まれ――同じ紅蓮の爪に掴み取られた。リザードマンの左手が、繰り出したプックルの前足をしかと捕縛している。

 リザードマンがにたりと口端を吊り上げたのが見えた。

「もう――慣れた」

 呟きと同時に、プックルの腹部に右拳が突きこまれた。腹部を抉り取られたかのような衝撃が背中へと突き抜ける。
 体腔で臓腑が断末魔を上げたのを感じながら、プックルの身体は大きく弧を描いて宙を舞った。受け身も取れずに地面へと叩きつけられ、二回三回と大地を転がる。ごぼりと、プックルの咥内から大量の血塊が溢れ出た。

 足音が近づく。起き上がろうにも身体に力が入らない。更には右前足があらぬ方向にへし曲がっていた。殴り飛ばされたときに折れたらしい。プックルがあれだけの手管を弄したのに、相手はたったの一撃でこちらの動きを封じてしまった。
 肺が酸素を求めて喘ぐが、せり上がる血塊に阻まれる。咳込むたびに激痛が全身を蝕み、感覚を奪っていく。
 ぽつぽつと雫がプックルの顔に落ちてきた。とうとう空が泣きだしたらしい。

 足音が止まった。目だけを向ければ、大剣を携えたリザードマンが隻眼を歪めてこちらを見下ろしていた。

「中々やるな。名を訊こうか」
「知って……どう、する? 墓、でも建て、るつも……りか……?」

 プックルは僅かに歯を剥いた。この返答にリザードマンは苦笑を浮かべる。それをすぐに掻き消し、リザードマンは大剣を両手で下段に構えた。
 段々と激しさを増していく雨粒が刀身をより黒く染め上げて行く。
 プックルは薄れつつある視界の中で、それでもリザードマンの動作の一つ一つを凝視し続けた。視界が霞んでいくのは雨のせいだけではない。されど、プックルは静かに足掻いた。目を閉じるのを良しとしなかった。
 もう動くことは叶わない。だが、やれることはまだ――ある。
 下段に構えられていた大剣はゆっくりと流れるように持ちあげられ、八双のような構えに変わっていく。リザードマンがそれまでよりも深く、息を――吸った。

(くら、え……!)

 プックルは残った力を全て爪先へと注ぎ込んだ。
 炎の爪が一瞬だけ眩く輝き、一条の炎が放たれた。その輝きは、文字通りプックルの生命の火そのものだ。雨粒のカーテンを貫きながら、烈火の渦はリザードマンの左目へと迫る――。

「最期まで諦めぬ魂、見事だ!」

 炎は幅広の刀身の上で弾けて消えた。リザードマンは即座に腕を返し、火炎を大剣の腹で受けてのけたのだ。炎の残滓を散らしつつ、刃は再度構えられる。

(しくじ……った――)

 ――刃唸りを纏い、大剣は振り下ろされた。



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